第19話 神社






「ン、おかえり〜。夏怜ちゃン」


「おかえり……って、飲み物はどうした」


 飲み物を買ってくると言って、一度自分達から離れた夏怜。そんな夏怜が、飲み物を買わずに冷や汗を垂らしながら帰ってきた。岬は、そんな夏怜を少し心配しながら問いかける。


「……村長の家に行った時、最初に出てきた女の子に会ってさ……。あんな真面目そうな子が『八尺様が出るらしい』とか言うもんだから、ちょっと怖くなって帰ってきちゃった」


 自身の布団を部屋のど真ん中に移動させながら、夏怜はそう語る。怖いものが苦手な夏怜は、その八尺様が本当に出るかもしれないと考えた。両サイドに頼もしい人が居る状態で寝ることが出来れば、少し安心出来る。それ故の行動だ。


「へ〜……あたしより身長高いあの子だよネ」


「そうそう。やっぱお父さんがあの調子だし、言い聞かされてるとかなのかな……?」


「……まぁ、そうだとは思うが。明日からは住人に聞き込み調査をするが、全員が全員八尺様と言ったんなら最早おしまいだな」


 明日も、普通に朝早くから活動する予定。そんな会話をしながら、3人は寝る準備を済ませる。歯磨きしたり、布団を敷いたり。……そして、ここでようやく岬は気づいた。杏樹が、何気なく岬達と同じ部屋で寝ようとしているということに。


「おい待て、お前の寝床はここじゃない」


「うげ、バレちゃッた」


 バレてしまった杏樹は、岬によってあっという間に1人部屋へと追い返されてしまった。温泉に入ってリラックスをしたからか、岬の気がもう少し緩んでいたら、共に寝るという未来もあったかもしれない。

 2人に挟まれながら寝るという予定だった夏怜は、不満気な顔を浮かべながら寝床につく。八尺様が怖いのは勿論あるが、温泉で仲を深めあった杏樹と夜を共に過ごしたかった、という思いが1番大きかった。


「……仕方ない、アイツは1人で寝なければいけないんだ。そんな不満気な顔をこちらに向けられても困る」


 部屋の電気を消して、岬は眼鏡を外した後布団に入る。既に布団に入っていた夏怜は、そんな岬に強烈な視線を送っていた。明白な文句こそ言わなかったものの、もはやその目線が文句に成り果ててしまっていた。


「……なんで杏樹だけダメなのさ、可哀想じゃん!」


 頬を膨らませながら、岬にそう問いかける夏怜。今夜は早く寝たいが、彼女のそのモヤモヤを解決しない限りは寝ることが出来ないだろう。岬は、沈黙しながら考えた。杏樹の名誉を傷つけない程度の良い嘘を。

 そして、それは不意にビビッと舞い降りる。岬の頭に、天啓が舞い降りた。


「……アイツは、重度の夢遊病患者でな……。それも、部屋を出るとかじゃなくて、結構暴れてしまう系の。1人で寝させないと、私達にも被害が及んでしまうからダメなんだ」


「夢遊病? ……なるほど。……それは確かに」


 夢遊病。それは、睡眠中なのにも関わらず体が動き出してしまい、本人の意思と関係なく歩き回ってしまったりする病気。我ながら良いクオリティの嘘をついたな、と岬は思う。事実、上手く夏怜を騙せているようだった。

 夏怜の中で勝手に夢遊病患者になってしまった杏樹。明日、本人に慰めの言葉でもかけてやろうか……なんて考えている夏怜に、岬は釘を刺す。


「……一応言っておくが、無駄なことは言ったりするなよ。唯一のアイツのコンプレックスなんだから、気にしてもらって仕事を放り出されたりしたら困る」


「それは大変……。わかったよ」


 岬に返事をすると、夏怜はゆっくりその瞳を閉じる。本当は杏樹とも一緒に寝たいけど、そんな事情があるのなら仕方ない。


「……おやすみ、清水さん。八尺様が来たら守ってね」


「来ないとは思うがな。おやすみ」











 起床して、ご飯を食べて……。これが慰安旅行だったなら、朝の温泉にゆっくり浸かっていたところだが、生憎彼女らにそんな余裕はない。午前10時、3人は旅館を出て、村の住人達へと聞きこみ調査を始める。

 今日は、雪が降っていた。大雪と言うほどでもないが、まあそれなりに、風が吹いたら雪が体に打ち付けてくるくらいには。元々住人が少なく、雪が降っているのも相まって、外に出ている人はあまり見られなかった。


「……雪かきとか、してるもンだと思ってたケド」


「それどころか、店にも人が見られない。……何が起こってるんだ?」


 昨日は、住人が少なかったとはいえ、流石に道を歩いていれば人を見かけたり、何らかの店の店員の姿を見ることが出来た。だが、今日は何か違う。旅館にて働いていた店員以外の住人が、忽然と姿を消したかのように居なくなってしまった。

 雪が降っているから、あまり外には出たくないという気持ちは分かる。けれど、一応商売なのだから、働いている店にその気持ちだけで出勤というのはおかしくないだろうか? まるで、3人が今日から聞き込み調査をするという事実を知っていたかのように、住人達は姿を現さない。


「……このまま無難に探していても意味が無いな、二手に別れよう。片方は1人だけになってしまうが」


 慣れない土地で二手に別れるのは、少し危険。とはいえ、このまま捜査が進まずに無駄な1日を過ごすくらいなら、その茨の道を突き進んだ方がマシ。岬は、二手に別れて外を歩こうという提案をした。


「ァ〜、じゃあ岬ちゃンと夏怜ちゃンは2人で行動して……あたしは1人で良いよ。その方が気が楽だシ……」


「……ボクに行かせてくれないかな」


 杏樹は、その提案を受け入れて、自分が1人で捜査するという意思を表す。その意思を岬が了承する前に、夏怜が口を開いてそう告げた。


「……杏樹が1人で捜査をする方が危険は少ないと思うが、なにか理由とかはあったりするのか?」


「昨日旅館で会った子に、もうちょっと話を聞こうと思って。……昨日はあっちから話しかけてきてくれたから、ボクが相手なら話しやすいかな〜って思うんだ」


 昨日の夜に話しかけてきた、鈴佳。村長の家に行って野坂に直接居場所を聞けば、確実に彼女と話すことが出来るだろう。夏怜は、そう思って自分が1人で行動するという案を出したのだ。


「……ン〜、まァありだとは思うよ。あたしとか岬ちゃンが行くよりか、確かに1回話してる夏怜ちゃンの方がいいしネ」


「……私も、その面ではいいとは思うが……同時に、1人で行動するにはまだ早いし危険だと思う。この村は何か変だし、……」


 夏怜の意見を聞いた2人は、その意見を受け入れてくれた。しかし、岬はその意見にあまり乗り気ではないようで、夏怜に忠告したいことを口にする。そんな岬の唇に、音も無く動いた夏怜は人差し指の先を押し当てる。岬は愚か、杏樹ですら、夏怜の動き出す気配を全く感じられなかった。


「確かに危険かもね。……けど、ボクなら大丈夫。伝説の怪盗だよ? 杏樹には負けたけど、杏樹以外には負けないさ。たとえ相手が八尺様でもね」


 昨日の夜までは、あんなに八尺様を怖がっていた夏怜。そんな可愛らしい彼女が、今は怖いもの知らずに笑みを浮かべながら岬にそう告げる。あの聖夜の怪盗ヴァイパーが、急に夏怜へとそのまま乗り移ったかのようだった。

 伝えたいことだけ伝えて、夏怜は岬の唇から人差し指を離して歩いていく。向かう方角は、村長の家の方向。


「……わかった、緊急時はすぐに連絡してくれ」


「分かってるよ、そっちこそ」


 強く吹く雪によって遮られる中少しだけ見える、杏樹よりも小さな、その正義執行人の背中。この仕事は初めてだろうに、その背中はとても頼もしく見えた。敵に回すと厄介だったが、逆に味方になると頼もしい存在。怪盗というのは恐ろしい。


「…………夏怜ちゃんがあんなにやる気なんだ、私達も相当頑張らなきゃいけないな」


「そうだネ。……こんな寒い中ずッと村の中を歩き回るのも嫌だケド……少し頑張ろッか」


 着ているコートのポケットに手を入れつつ、杏樹はそう返事をする。新人の夏怜よりも役に立てなかったら、4年近く活動してきた2人は先輩としてのメンツがなくなってしまう。日頃から頑張っている岬は勿論、あの面倒臭がりの杏樹までもがやる気を出していた。

 とりあえずは村中歩き回って、人が居ればその人に聞き込みを……。そんな無難な計画を立てようと会話していた2人。それに決定しようとした時、岬は少し遠くに人影を見た。そして、徐に口を開く。


「……おい、あれ。見てみろ」


 言われた通りに、岬の目線の先を見る杏樹。吹いていた風が少し収まって、雪によって阻まれていた視界が良好になったその先には────。まるで雪に身を包んだような、綺麗な白いワンピースを着た、黒色の髪が長い高身長の人間が居た。その人間は、よく見れば白い帽子を被っていた。

 あれが、八尺様だ。2人がそれに気づくのは、非常に容易いことだった。2次元の世界から無理やり連れ出してきたかのようなその八尺様らしき人物は、どこかへと歩いていく。


「……気づかれないように、でも絶対に見逃さないように。尾行するぞ」


「……りょうか〜イ」


 八尺様を見逃さぬように、岬と杏樹は急いでその歩いていった方向へと駆け寄る。八尺様は子供にしか見えない、なんていう言い伝えだったはずだが……。今はそんなこと関係ない。明らか怪しい者が居るのだから、追わない訳がなかった。

 奴が元々立っていた位置に着いて、歩いていった方向を見てみると……、ゆっくりと何処かに向かって歩いていく彼女の姿が見えた。そのゆっくりと歩く姿は、もはや薬物使用者ジャンキーやゾンビにさえ見える。尾行している2人の存在には、気づいていないようだった。


「…………アレが、例の?」


 杏樹は、こっそりと岬の耳元でそう問いかける。


「……噂になってる、八尺様の正体だろうな」


 その声が万が一にでも響かぬように、岬は同じように杏樹の耳元でそう答える。


「……想像してたより小さくてよかッたヨ、アレなら戦える」


 そう呟いて、杏樹は再度八尺様の方を向く。奴が歩いていくあの方向は、村の外れの方。旅館や村長の家とは正反対の方向だ。普通は子供を連れ去る為に現れる八尺様が、子供は愚か人が全く居ないタイミングで現れる。行き先も、全く分からない。あの八尺様は、少し謎が過ぎる。

 とはいえ、今の杏樹達に出来ることは、ただ奴を尾行することのみ。もし奴に共犯者が居た場合の為に、今回は殺害を目的としていない。捕縛した後に口を割らせて、犯人を全員洗い出してから処罰を下す、というのが目的だ。不殺を貫き続けた不殺のスペシャリストである夏怜が居ないのは少し痛手だが、やむを得ない。


「……どこまで進んで行くンだか……」


 全く止まる気配のない八尺様。進んでいく道は歩道を外れて、立ち入り禁止の看板が立てかけてある森の方へと進んでいく。捜査の為だ、そんな看板を気にしちゃいられない。2人は、八尺様を追いかけて森の中を歩いていく。

 杏樹は、ふと自分たちが歩いている道を疑問に思う。立ち入り禁止の看板が立てられているのに、怠っていない整備された道。それに、八尺様以外の人間が歩んだであろう、何層にも積み重なっている足跡。少し違和感を感じていたが、森という静かな場所では、岬にそれを囁くだけでも奴に気づかれてしまう恐れがある。結局伝えられぬまま、杏樹は岬と一緒にひっそり尾行を進める。


「……」


 進んでいく先で目を引いたのは、雪景色に目立つ赤色の鳥居だった。この先は、神社……? なんて思って進むと、ある建造物の前で八尺様が立ち止まる。2人の想像通り、その建造物とは、廃れ寂れた神社であった。

 神社の目の前で、何もせずに立ち止まる八尺様。このまま奴が何もしなければ、杏樹の腕なら気絶させることくらい容易だろう。前に居た岬を追い抜いて、杏樹はゆっくりと八尺様に近づいていく。そのまま音も無く失神させる……そうなるはずだった。


「…………岬ちゃン」


「ああ、分かってる。……してやられたな」


 2人がこの神社の境内けいだいに入るのを待ち構えてたかのように、森に隠れていた村の住人達が、鎌や包丁等の凶器を持ちながら2人を取り囲む。狂気的な笑みを浮かべて近寄ってくるその様は、もはや全員が正気ではないようだった。


「……コイツら、絶対話通じないよネ。全員殺してもいい系?」


「無駄な殺害は避けろ。だが、殺されるくらいなら殺せ」


 岬が杏樹に伝えた課題は、個人と大人数が戦闘する時において、最も難しい課題だった。不殺が課題ならば、なんとか攻撃を掻い潜って逃げればいいし、殺害が課題ならば、容赦なく全員を殺せばいい。しかし、不殺が基本の上でやむを得ない場合のみ殺害を許可するという岬が伝えた戦闘方法は、とても難しい戦闘になることが予測される。

 戦闘の天才である杏樹ですら、容易にこなす事の出来ない戦闘。杏樹は高周波ブレードを手に持ち、岬は拳銃を手に持ち────。束になって襲いかかってくる村の住人達と、2人は戦いを繰り広げる。











「村長の家……って、確かここら辺だったと思うんだけど……」


 2人から離れた夏怜は、単独で村長の家へと向かっていた。目的は、昨日旅館で出会ったあの女の子、鈴佳と話をするため。夏怜は、自身の記憶を頼りに村を歩いていた。

 しばらく歩いていると、なんだか見覚えのある道に出た。そこは、昨日村長の家から旅館に帰る時に通った道。つまり、その道を辿れば村長の家にいける、という訳だ。周りに人が居ないか確認しつつ、夏怜は早歩きでその道を辿っていく。


「……よし、ここだったよね!」


 村長の家の玄関の目の前で、夏怜はそう呟く。ちゃんと確認をした後、「すみませ〜ん!」なんて元気良く挨拶をしようとした瞬間。何者かが玄関の方へと歩いてくる音、そして、男2人の話し声が聞こえてきた。


「ガハハ! 今頃は、住人の皆が奴ら処理する所だびょんな」


「いやぁ……野坂さんには頭が上がりまへん。毎度提供してくれるガキのに加えて、若い女3人分のを提供してくれるとは」


 その声の片方は、村長である野坂。もう1つの声の主は、男であるという以外全く分からないが、話し方から勘ぐるにこの村の人間ではない人間ということが推測できた。夏怜は、玄関のすぐ近くにある物置の隅に隠れながら会話を盗み聞きする。


「いやあ、全然容易いわ。うぢの鈴佳ちゅう娘使えば、八尺様のせいに出来るはんでな。住人も馬鹿しか居ねはんで、簡単さ洗脳でぎだわ」


「ご子息様を八尺様に仕立てあげて、連続子供連れ去り事件を無理やり未解決化するとは……。ガキのモツは高値で売れるんで、助かりますわ」


「馬鹿しゃべれ、あんなのは子息じゃねぇ。利用する価値無ぐなったっきゃ、同じようにモツじゃ」


 汚い笑い声を玄関に響かせながら、扉を開いて出てくる2人の男。片方は野坂、もう片方は黒スーツに黒サングラスのいかにも怖そうな男だった。

 夏怜は、今にでも目の前に出て2人を懲らしめてやりたいという思いをなんとか抑えつつ、歯を食いしばり黙って会話を聞く。


「……そんじゃ、明日のこの時間帯に来ますんで! よろしくお願いします〜」


「おう、じゃあな」


 ガラの悪い男を見送ると、野坂は家の中へと入っていく。詰まっていた息を、やっと自由にすることが出来た。夏怜は、他人に聞こえないくらいに息を荒げながら思考を紡ぐ。

 2人が今、野坂の手によって危険な状態にある。不意打ちに近い状況で襲われる2人は、果たしてあの2人だろうと帰って来れるのだろうか。

 ……それに、男達が話していた内容。鈴佳が八尺様で、連続で未成年の子供が連れ去られている事件の件も、全て野坂とあの男が企んでいたこと。モツというのは、きっと……内臓のことだろう。高値で売れると言っていた。


「…………とんだ、くそ野郎じゃないか……」


 優しい夏怜は、なんの罪もない子供が連れ去られて人身売買されるなんて事実を受け入れたくなかった。鈴佳が野坂によって利用されているのも、受け入れたくはなかった。顔をしかめて、夏怜は決意する。

 2人はきっと、大丈夫だ。清水さんも頼もしいし、杏樹はなんたって僕を倒した実力者なのだから。ボクは、今のボクがやれることを────。