窓際の席から外を指さした友達が笑いながら言う。
私もそれに合わせて窓の外を見れば、弟が体育で50メートル走をしていた。
話には聞いてたけど、4年生にして校内トップの速さらしい。
千人は超える学校で1番っていうのは姉としても誇らしかった。
「ありゃモテるだろうねー。小学生にして彼女が出来そうなタイプだ」
「え…?!彼女って、まだ私達そんな年齢じゃ…」
「早い子は早いよ?ほら、隣のクラスの橋本と宮田付き合ってキスしたらしいし」
「…へー」
少し驚きもあったけど、そんなことよりも窓の外に釘づけになった。
走り終わった後、無邪気に笑う弟に目を奪われる。
楽しそう。私と違ってスポーツ大好きだもんね。そんなことを考えていたらフフッと笑みが零れた。
その瞬間、ズキッと胸の痛む光景が目に入ってくる。
「……。」
「ん?どうしたの?春」
知らない女の子が、弟の後ろから抱きつく。
こんな光景は小学生同士のじゃれ合いでは結構頻繁にあることだった。
何と言うか…クラスのイケてる感じの女子と男子によく見かける光景。
明るい、スポーツの得意な人同士。人気者同士がはしゃいでる状態。それはどの学年にもどのクラスにも存在する。
私みたいな根暗で大人しい、運動音痴タイプとは無縁の世界。きっと、今見てる弟と女の子の光景もそれと同じことだ。
それなのに、私の心はおかしくなった。
「雪…」
ズキズキと胸が痛み続ける。それと同時に目頭が熱くなって叫びたくなった。
仲良くしないでって…言いたくなった。けどそれをぐっと飲み込んで窓から教室へ目を戻す。
人生で初めて、嫉妬した瞬間だった。
あの時の感覚は今でも忘れない。
この感情が、どんなものかなんてわからなかった。
はっきりと、この感情が恋とわかったのはもう少し後のこと。
あれは…中学1年生の春。桜が満開の季節だった。
「姉ちゃん、それ新しい制服?」
「うんそうだよ。似合う?」
「俺の方が似合いそう」
「真顔でそういうこと言わないで凹むから」
小学5年生になった弟が私の部屋の入り口から顔を出す。
身長が伸びて早くも私と同じくらいにはなったけど、元々童顔なのか女顔なのか、弟が着た方が似合いそうなのは本当だった。
ノックもせずに自由に入ってくる弟へ、はあっとため息をつく。
怒るほどのことではないけれど、どうやって説得すればいいのかがわからない。
「髪そんままで行くの?」
「え?どうして?寝癖ついてる?」
「姉ちゃん中学生なんだからちょっとはオシャレするとか頑張ったら?」
じゃあその中学生になった姉の部屋にノックくらいはしてほしい。
そう心の中で呟きながら、仕方なく櫛を手にとって髪をとかす。
オシャレと言われてもどうしたら良いんだろう。ひたすらうーんと唸りながら鏡と睨めっこをする。
その直後、私の髪に自分のものじゃない手が触れた。
「俺がやってやろうか?」
「え…?」
鏡に映った自分の後ろに弟が見える。
私の耳元の近くで話しながら長い髪を見つめる弟。
その弟が妙に色っぽくて、小学生になんか見えなかった。
昔から思ってたけど弟は外見と違って内面が変に大人っぽい。
私の同級生で小学生の頃からこんなに大人っぽい男の子はいなかった。
同級生どころか、上級生にだっていなかった。
「なんか良い感じの髪ゴムないの?シュシュとか」
「シュ、シュシュってなに?」
「姉ちゃんに聞いたのが間違いだった。もういいよピンだけでやるから」
器用に髪を触りながらピンを口へ咥える。その仕草を鏡越しで見る度に胸が疼いて、顔が熱くなった。
耳まで真っ赤に染まった自分を見てフッと顔を隠すように俯く。
どうしてこんなことくらいで恥ずかしいんだろう。
どうしてこんなに心臓が脈打ってるんだろう。
どうしてこんなに…
「はい、出来た。すっげェ可愛いじゃんこれ!」
嬉しいんだろう。
「あ、ありが…と」
「何で俯いてんの?気に入らないとか?」
「ち、違うよ!可愛い!」
「自分で言うなよ可愛いとか」
「え!ち、違うよ!そういう意味じゃなくて…」
「あー、はいはい。可愛い可愛い」
「ッ…」
可愛いと、言ってもらう度に体中が痺れて動けなくなった。
顔が真っ赤になって熱くて火が出るかと思った。
弟は、こんな私の反応に気付かずに無邪気に笑ってる。それが妙に胸を高鳴らせて、少し…寂しくも思えた。
「こ、こんなこと、どこで覚えるの?」
「クラスの女子に遊びでポニーテールのやり方教えてもらったんだよ。そっから何かハマってさ。自分で他のも研究するようになった」
「…そ、なんだ」
「言っとくけど女装の趣味とかそっちじゃないからな」
「…。」
クラスの女子にっていう単語が、私の脳に衝撃を与える。
他の女の子にも、同じことをしたの?これをするようになったきっかけは…他の女の子なの?
さっきまで好調だった気持ちが一気に下がり始める。
嬉しかった出来事が突然悲しい出来事へと一変する。
「や、やっぱり…こんなの似合わないよ」
「え?ちょ…!おい、何してんだよ!」
綺麗に仕上げてくれた髪を嫉妬でぐちゃぐちゃに掻き回す。
ボサボサになった髪からピンを引き抜いて櫛でとかした。
その後すぐに立ち上がって弟の顔を見ずに部屋を出ようとする。
最低だ。自分が今やってることは最低でしかない。けど感情が追いついてくれなかった。
「…可愛くねェ」
「ッ…」
部屋を出る時に小さく聞こえた一言。それがグサッと胸に刺さって血が出てくる。
心から血を流す代わりに、私の目からは大粒の涙が流れだしていた。