第19話 呪いの儀式

「率直に聞くが、本当にあの依頼人は善人なのか?」


 吉良は目を丸くした。そんな質問が返ってくるとは思わなかったからだ。


「お前にウソをついていることはないのかってことだ。いいか、二年間も進展がないんだ。どうでもいい周辺のことばかり話して、肝心の部分はあえて話さなかったということはないのか?」


 吉良の記憶の中での椿は、訥々とつとつとした話し方をしていた。一生懸命思い出すように、絞り出すように言葉を紡いでいく。年齢のせいなのか、言い間違えや記憶の混同もあってまさに辿るような話し振りだった。


「俺なら我慢できなくて他へ移るね。そうだな、たとえば京へ行く。距離は遠くなっても一日で行けるだろ。京なら、あやかしに詳しい人間はもっといる。切羽詰まってるはずだ。毎日毎日得体のしれないモノの声が聞こえてくるなんて、頭がおかしくなりそうだ」


 椿は落ち着いているように見えた。取り憑かれてるだとか、心身に支障を来しているとか、そういうことはなにもない。当たり前の顔をして毎回毎回同じ曜日同じ時間に来客用のソファに座って待っているのだ。


「それに面接の後にどこかへ行ったことも黙っていたんだろ? 伝えるべき重要な行動だと思うがな。しかも手帳にはしっかりと自分の言葉で残していたんだ。あえて隠していた、そう思う方が自然じゃないのか?」


 吉良は改めて手帳の文面を思い出した。破られてはいたが、どの字もしっかりと書き記していた。


 躊躇いや恐れは、書き手の性格を表したようなバランスの良い字からは読み取れなかった気がする。


「うがった見方になるが、どうしても人を疑って掛かるのが習慣なんだ。その目でこの依頼人のことを見れば、どう考えても怪しい行動ばかりが目立つ。なんでお前のとこに来たのか、なんでお前を選んだのか。依頼のことは最初から全てカモフラージュだったんじゃないのか? 本当の狙いは別にあったんじゃないのか? お前の言うまじないなんかじゃない。最初からのろいを掛けようとしていたとしたら」


 老婆の残した手帳には、こう記されていた。


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 9月4


 吉良先生は、いい先生。


 優しく何でも聞いて


     ありがとうござい

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 日付と内容から、初回の面接後に記されたもの。破られた箇所を推察すると、「吉良先生は、いい先生。優しく何でも聞いて『くれる』」。仮に求めていたのが怪異の解決ではなく、呪いの実行のための口実に付き合ってくれる存在だとしたら、欲しいのはただただ何でも聞いてくれる存在。疑うことなく真剣に聞いてくれる存在。


「そんな……」


「心当たりは全くないのか? 騙されていたとウソをついていたと感じる瞬間はなかったのか? 全部が本当のことなのか?」


 呆けた顔をした吉良の肩が激しく揺さぶられた。メガネが落ちて机の上を転がっていく。奥二重の優しそうな瞳の中に浮かんだのは、依頼人の家から逃げる際に見た一瞬の映像だった。


「に、逃げるとき。あの家から逃げるときに押し入れの襖が開いているのを見ました。几帳面な人、本当に几帳面な人だったから今思えば、違和感はあります。椿さんは、押し入れで何かをしようとしていたところで、あやかしに取り憑かれてしまったのかもしれない。……気のせいかもしれないですが。それにあの部屋の中にあの手帳だけ出されていたのは不自然じゃないですか? 居間では新聞紙もチラシもきっちり畳まれて置いてあったのに」


「……なあ、隠したいような大事なものは普通見つからないように隠しておくよな。もしかして、押し入れから取り出したんじゃないのか、手帳を」


 ありのまま伝える吉良の視点に月岡が推測を加えた。そのまま何かを思いついたように月岡は話を続ける。


「手帳だけなのか? 一冊の手帳だけをわざわざ押し入れにしまうか? あの家には他にもしまえる場所はたくさんあった」


「た、確かに。手帳だけが広い押し入れの中に置かれているのは変です。何かと一緒に。たぶん関連する何かが一緒に置かれていた、とか」


「関連するもの……」


 月岡は腕を組んで唸り声を上げた。何も浮かばないのか大仰なため息を吐いて頭をかきむしる。


「わかんねぇ、全然わからん!」


「……もし、もしですよ。月岡さんの言うように椿さんがあらかじめ呪うつもりで来ていたのだとしたら、一体何を呪おうとしていたんでしょうか」


 吉良は空っぽになったコップの中を見つめた。底の方はやや薄暗く、何かの文字が書かれているのだろうが読めなかった。


 おそらくは、長く使われている間に識別できないほどに削れてしまったのだろう。


「なぜ、椿さんは水子霊と言ったのか。これはずっと気にかかっていました。症状は確かにそうかもしれないですが、そんな簡単に水子霊に結びつけられるものなのかどうか」


「実は確信があったんだろ。過去に、結びつけるような何かがあって」


「だとしたら、椿さんは水子霊だと思った自分自身に取り憑いていた何かを、言わば狐落としのように体から落とすためにこの二年間通い続けて、きた。だったらきっとあるはずです。手帳以外にも、過去の出来事や呪いの方法が示されたものが。本当に呪おうとするのなら、同じモノから来る、いわゆる呪物は全て一箇所に集めた方が力が強まる。そう考えた可能性はあります」


 呪物と呼ばれるものに、本当に力が備わっているのかどうかは吉良にはわからない。水子霊をあやかしの範疇に含めるかどうか決めかねていたのと同じように、判断基準は自分の外側にある。


 あやかしと幽霊は似通っているが別物で、それがあやかしかどうか判断する術は持っていても、「幽霊ですか?」と聞かれると「わからない」としか答えようがない。


 呪いの正体もあやかしが関与していれば何かしらの答えは出せるかもしれないが、そうでないものについては判断不能と言うしかなかった。


 ただ、そのモノをどう捉えるかは人それぞれだ。


「呪物を集めるのであれば、その力を使うとき以外はどこかへしまっておく必要があります。つまり、呪いを封印する。封印という意味では、あの家では押し入れが適切だったのかもしれません。先にルールの話をしましたが、一月に一度決まった日にだけ封印を解いて、中の物を取り出した。儀式の一環です」


「ちょっと待てよ。あの依頼人がやって来たのは昨日だろ? 今日、手帳を取り出した理由はなんなんだ?」


「終わったんですよ。手帳の最後のページには、『記念すべき2年目』という言葉とともに、『後は』『終わり』『ありがとう』と書かれていました。ちょうど丸二年経った昨日、椿さんの儀式は終わった──はずでした」


「だが、実際には終わっていなかった」


 吉良はメガネを拾い多少曲がったつるを手で直すと、耳に掛けた。


「椿さんの状態はこれまで見てきた方と同じでした。餓鬼。ニ年掛けて憑物落としをしようとしていたのに、あやかしを産んでしまったのかもしれません。……ですが──」


 「わかってるよ」と言うと月岡は机をついて立ち上がった。


「全部仮説だ。だから証拠を見つけないといけない。押し入れを見れば、事件の背景がわかる。そうだな?」


「はい……おそらく、は……」


「だったらこんなところさっさと脱け出すぞ」


「ぬ、脱け出すってどうやって!?」


 月岡は鍵の閉まっていない扉を勢いよく開け放つと、吉良に向かって叫んだ。


「とにかく走るんだよっ!」


 そのあとは速かった。別に容疑者だというわけではないため、誰かが常に部屋を見張っているという状況ではないこともあったが、巨体を押し退け、驚いたように口をぽかんと開けた警察官の間をすり抜けるように警察署の外まで逃げた月岡は、駐車場から自身の車を見つけ出しすぐさま乗り込んだ。


「月岡さ──」


「遅い! もう発進するぞ!」


 数十秒後にようやく追いついた吉良が助手席に乗ると、車が急加速して駐車場を出ていく。真夜中の静寂な闇の中を一台の車が矢のように走り去っていった。