75 狂気の現場

※非常に残酷な表現がありますのでご注意ください。



 自分の身体が薄緑に輝くのを感じる。


 なんとなく、わかる。

 これは私の魂の本質を映し出す色なのだと。――この色が、私が誰であるかを証明している。



 『この者の痛みは我が痛み、この者の苦しみは我の苦しみ』



 リオネルの手を取り直す。

 私の薄緑の光が彼に伝播し、私たちの魂が一瞬、共鳴するように感じた。

 心が静かになり、祈りを込めて、慎重に言葉を紡ぐ。


『我、この者を唯一無二の伴侶つがいとし、生涯にわたり命を分かち合わん』


『今、口付けをもってしるしを刻もう。――母なる妖精郷よ、見届け給え――』


 言葉は言霊となり、強い誓約へと進化し、私たち2人の魂に深く浸透していく。


 私は彼の左手の薬指に口付けをした。

 すると、その薬指に、私の名前を表すしるしが光りながら刻まれた。


 同時に、私の指にも同じしるしが刻まれていた。



「……うぁ」


 ――自分の生命力がリオネルに一気に流れ込むのを感じた。


 リオネルの身体から、みるみる影が抜け落ちていく。

 髪がいつもの美しい金髪に、肌は元通りの美しい白に――。



「……はぁ」


 ……よかった。

 わかる。彼は助かる。


 でも、リオネルの了承なしでツガイの儀式をしてしまった。

 ……ツガイの儀式は解除もできるって言ってた。

 だから、良いよね? リオネル。


「え、マルリース様。今のは……?」


 一部始終を近くで見ていたレナータさんが、驚愕して聞いてきた。


 そりゃそうだろう。


 聖属性魔法とは明らかに違うし、元平民のレナータさんにはあまり目にしたこともないような不思議な現象だったはずだ。

 そんなわたしたちをレナータさんは、マントで隠していてくれていたようだった。


「ごめんね、教えられないの。私の錬金術の秘術よ。マントで隠してくれてありがとう」


 申し訳ないが教えられないのは本当なので嘘をついてごまかした。ごめんね。


「わかりました! いえ、勘で動きました!! 他の人に見せちゃいけない気がして!!」


 宿屋で働いていたから、お客様の顔色から色々察する経験を積んでるのかな。

 気配りが効いてる。ありがたい。


 幸い、壇上はすでに緞帳どんちょうが降ろされ、さらに現場は人がバタバタ行き交っている。

 なにせ、未来の国王陛下がすぐそこで毒に犯され倒れてるのだから。



「……っ」


 私はサークレットに手を触れた。

 さっきからまるで頭痛のように額石が脈打っている。


 急いでこの場を離れないといけない気がする。

 ここで竜化してはいけない。


「マルリース様、大丈夫ですか?」

「ありがとう、大丈夫。ねえ、レナータさん。すこしリオを見ていてくれる? 私はすこしここを離れるから」

「え、どちらに?」

「あ、えっと……、両親のところへ。リオはもう大丈夫だと伝えに、本来ならあなたに行ってもらうべきなんだけど、私もすこしホッとしたくて……」

「わかりました! ボックス席にお戻りになるのなら、私も安心です。緞帳のむこうのざわつきも落ち着いて来てますし」


 「ありがとう。リオネル……ごめん。ここを離れるね……」


 まだ意識のないリオネルの頭を撫で、頬にキスしてその場を離れた。



 馬車にリージョとハルシャがいる。

 そこに行かなくては。

 リージョを通じてグラナートお父様に話しかけて、助言を貰わないと。


 「(ああ……! 出来たらこのまま、この脈が収まって人間のままでありますように……!)」


 できたら、魔力がちょこっと増えたりとか、何かの属性魔法に目覚めるとかそういう逆にお得な覚醒ならいいのにな……。


 そんな都合の良い願いで自分の不安定な心を支えながら、舞台袖に降りた。


 しかし、早く立ち去りたいのに衛兵が出口を封鎖しているのが見えた。

 ああそうか、犯人がいるかもしれないからか。

 絶対ボニファースの仕業なのに。


「う……」


 さっきから、額石から感じる鼓動が収まるどころか、激しくなってきている。

 どうしよう……。

 グラナートお父様……。


 逃げ道を求めて、会場に目を走らせると、


「ち、違うんです! 私は……ビルヒリオ坊ちゃまに言われて……しかたなく……!!」


 ――ワインを注いでいたボニファース家の使用人が捕らえられ、叫んでいるのが目に入った。


 その言葉に会場中の目が、ビルヒリオ=ボニファースへ注がれる。


 ――注目されたビルヒリオ=ボニファースは、一瞬キョトン、としたが。


 注目されたことに歓喜を覚えるかのように――。


「は……ははは!」


 と、小さな笑いから、次第に半狂乱へと変わった。


「あーーーーーーーーひゃっひゃっひゃひゃ!! やってやった! やってやったぞ!! リオネルを殺してやった!! ウィルフレドもだ!! やった!!! オレがやったんだ! 剣聖を2人も!! オレが……一番だああああ!!」



 会場は落ち着き始めており、その声はよく通った。


 今や会場は風使いの人たちが、音量調整をしているのか、それぞれの言葉が聞き取りやすくなっている――つまり会場中の人にボニファースの叫びは届いた。


「やーーーーっと、オレを見たな!! 愚図どもが!! オレにもっと注目しろ! オレが、剣聖を倒した!! みんなオレを見下しやがって! オレを認めない奴は全員、リオネルみたいにしてやる!! あっはははは!!!」


 彼の言葉を聞くだけで、四面楚歌だったことが伺える。なにもかもが思い通りいかず、追い詰められてこんな事をしでかしたのだろう、と想像がつく。しかしそれは、すべては自分勝手と自業自得による結果だというのに――それに気づかず、さらにこんな……!


「……あいつ、許せ……ない……っ」


 私はそれを見ながら拳を握りしめた。

 殴りたい――心の底からそう思った。



 ――その時。


 重たい舞台から光が溢れ、緞帳どんちょうがめくれ上がったかと思うと、光球に包まれたウィルフレド閣下が、怒り狂った形相で飛び出し、ボニファースの前に着地し――ボニファースを拳で殴り飛ばした。


「ごぼぁおあっ!?」


 吹き飛ぶボニファースに慌てて避ける生徒たち。

 ボニファースは、数メートル後ろの席にまで吹っ飛び、固定椅子に叩きつけられた。


 ウィルフレド閣下は、かなりの血を吐いたのか、正装が血まみれになっている。


「ボニファースぁあ………っ!!」


 ――迫力のある怒気を隠さないその声は講堂に響きわたり、彼は先程の儀式で使用した剣を抜くと、さらにまばゆい光魔法を直線上に放ち、ボニファースと自分の間にある固定椅子を粉砕した。


「ゲホッ、ゴホ……うわ、……あああっ……」


 叩きつけられたダメージに身体が言うことをきかないのか、ボニファースは、半身起こし、


「か……閣下、すいません。リオネルだけ狙ったんですけど、その、巻き込んでしまって……! この通り、謝りますっっ」


 そう言い訳しながら、後ずさりする。

 しかし、ウィルフレド閣下の怒りがそれで収まるはずもなく――。


「嘘をつくな……!! お前は、もう……死ね!!!!」


 ――剣は振り上げられ、問答無用に振るわれた。



 私は目を背けた。

 何かがゴトリと落ちる音だけが、聞こえた。


「うわああああああああ!!」

「きゃああああああああ!!!」



 再び会場は、阿鼻叫喚の叫び声に染まった。


 ……ショッキングな出来事とは言え、当然だ。

 殺人未遂、しかも自分より身分が上の貴族である剣聖2人と、そして……第一王子殿下を自分の毒殺に巻き込んだのだから……。



 「……行こう」


 注目があちらに集まっているうちに――。

 どこか人目につかないところで窓を割ってそこから出よう。


 私は舞台裏にある、準備室のような部屋を見つけた。

 中を確認すると無人だった。

 私はそこに入ると内側から鍵をかけた。


 室内に目を走らせると、窓が1つだけあった。

 私は窓を開け放つと、そこから外へと抜け出した。