第46話「いってきます」

 世界平和。バカバカしい願い。


 フォウルは心底口にしたことを愚かしいと思っていた。


 何せ手段でしか無いのだ。

 アリサと幸せな結婚生活を、そしてかつての仲間たちへ安寧を。

 それこそが真なる願いだと言うのに口にできず、ただ、世界が平和になれば、平和であり続ければ結果的に叶うからそうするだけなのだから。


「世界、平和……」


「はい」


 シズは目を丸くする。

 大きすぎるスケールに驚いたということもある。

 そんなシズの願いである、人間と魔族が仲良くするなんてものも世界平和に負けずとも劣らない大きなものであったが、そんなことより。


「凄いですっ! 流石シズさんですっ!!」


「え……えぇ?」


 この人なら、と。

 思ってしまったのだ。どうやってかなんてわからないし、何より世界が平和であるとはどういう状態なのかもわからない。


 ただ。


「あたし、応援しますっ!」


 少なくとも多くの人が幸せになるだろうと思えた。


 今のシズは極めて前向きだった。

 前向きにならなければならないとも言えた。

 自分の願いはまだ叶っていない、スタート地点に立ったばかりでへこんではいられない。


 後は自分が手を伸ばすだけ。

 そんな場所まで連れてきてくれたのは、紛れもなく目の前で少しの混乱が見て取れるフォウだから。


「あ、あり、がとうございます」


「はいっ! あ、でも、いつでもここに来てくださいね? って、この村の新人が言うセリフじゃないのかも知れませんけど、えへへ」


 照れくさそうに笑うシズに、肩の力が抜けていくフォウ。


 やはり、愛すべきはかつての仲間たちか。


 そんな風にも思った。

 見た目の通りにシズは心底応援しているわけではないとフォウルは理解した。


 よくよく見ればシズの足は少し震えていたし、不自然なくらいに明るい。

 この人ならきっとできるだろうと思ってしまったから、自分のわがままを胸に押し込んで、フォウの負担にはなるまいとしているのだ。


「きっと、きっと! フォウさんなら多くの人を幸せにできると、思うんです! あたしも、ここでいっぱい頑張ります! だから、だから――」


 応援するのだ、足かせにはなりたくないのだ。


 それでも。


「あ、あれ? おかしいな? あ、あたし、ほんとに応援、したくて! 応援、しなきゃならなくて!!」


「シズさん……」


 涙が溢れた。


 初めての一歩を踏み出させてくれた人は、初めてのわがままを許してくれなかった。


 初めての友人になってくれた人は、初めての別れを教えてくれた。


「ちょ、ちょっとまってくださいね? す、すぐ、あ、あたし――」


「じゃあ、約束、しましょっか」


「や、やくそく?」


「シズさんは魔族と人間の友好を。わたしは世界の平和を。一緒に願いが叶えられた時、わたしはここに帰ってきます。その時は、また。わたしを孤児院の修道女として雇ってください。今度は、ちゃんとお給金ありで」


 そう言いながら、フォウはルクトリア教会で渡されたクロスのネックレスを首元から外して、シズの手に握らせた。


「あ……」


「お互いの願いが叶えば、ですよ? わたしはシズさんほど魔族のことが好きではありませんから。帰ってきた時、やっぱり魔族はーなんて思わせないでくださいね?」


 拭っても拭っても止まらない涙を止めたのは、やっぱりシズの大切な友人だった。


「約束、してもらえますか?」


「……」


 ほんの少し困ったように、でも何処までも慈愛に溢れた優しい瞳。


 そんな目に、包まれて。


「はいっ! びっくり、させちゃいますから! 最初からここで働いとけばよかったって!」


「ふふ。ええ、楽しみにしておきます」


 シズは二つ目のクロスを首から下げて、笑顔で別れを受け入れた。




「もっと、ゆっくりしていってもいいですのに」


「お気遣いありがとうございます。ですが、わたしは・・・・余所者ですので」


 見送りに来たカッシュへと曖昧にフォウは笑う。


 この間にもフォウルは出稼ぎに精を出していることになっているのだ、早く戻って帳尻合わせに魔物狩りでもして金銭を得なければならない。


 そのあたりの事情を歯がゆくカッシュは思う。


「そんな顔をしないでください」


「申し訳ないです。元よりこんな顔なもので」


 フォウル自身が選んだやり方というか、生き方だ。

 当の本人に後悔は今の所欠片もないし、必要な苦労だと受け入れている。


 仮に今から村を出るのがフォウルであれば、アリサはもちろん多くの村人たちが見送りに出てきたであろうに、今はカッシュの一人だけ。


 中身が同じであればこそ、そんなギャップは多かれ少なかれストレスにはなるだろうとカッシュは思ったが故の心遣いだった。


「悪くない……どころか、満たされていますよ、俺は」


「満たされている、ですか」


「ええ。フォウのやったことがフォウルに響くわけじゃない。だからこれは空虚な充足なのかもしれませんが、大切な人が望んだ道を歩み始めた。その事実でね」


 今回のやり方は拙かった。

 多くの反省も改善点もある。あるが、結果を見ればちゃんと目的通り。


 なら、満足だと。


「そう、ですか」


「そうですよ、本当に。結婚式の準備、お手伝いよろしくおねがいします」


「……もちろん、お任せください。お早いお帰りを、シズさん……いえ、アリサさんが待っているでしょうから」


「ええ」


 自分の部屋の窓から見送ってくれているシズへと最後に一つ笑顔を浮かべて。


「いってきます」