「むっ――?」
「どうしたの? アリサちゃん」
さて、フォウとシズによる旗から見ればどう見ても百合の花が咲き誇るかのようないちゃいちゃ訓練が繰り広げられている頃。
「な、何か嫌な感じがしちゃって」
「嫌な感じ?」
「フォウルが浮気してる予感が」
「え、えぇ……?」
花嫁修業に勤しむアリサは目つき鋭く、フォウルがいる方角を睨みつけた。
とんでもない乙女の勘である。
「あははっ! フォウル君が浮気ぃ? そんなのできるならもっと早くからアリサとくっついてたわよ!」
「あう」
アリサの母が一蹴した。
苦笑いを浮かべるのはフォウルの母だ、何せもっともだとしか言いようがない。
改めて二人はいつかくっつくと村中から目されていたのだ。
中にはフォウルのことをいいなと思っていた女もいたし、その逆にアリサのことをいい女と思っていた男もいた。
しかし、そんな人間の誰もがフォウル、あるいはアリサ以上に相手を幸せにすることはできないと感じていた。
「我が息子ながら浮気するほどの甲斐性があると思えないのがほんとに……ごめんねアリサちゃん」
「い、いえっ! ぜ、全然です! そ、そんなとこが、その……す、好き、ですので」
「もう、親の前でノロケないでよね!」
「あ、あうぅ……」
それほど、お似合いの二人だったのだ。
幼馴染という関係は、二人の間に息のズレを消し去った。
いや、阿吽の呼吸すら超えているだろう、何せ自分のことよりも相手のことをやったほうが結果的にコトが上手く進むのだから。
ただただ双方が無自覚であったことだけが問題だった。
アリサは恋を自覚していたが、愛に無自覚だった。
フォウルは愛を自覚していたが、恋に無自覚だった。
切っても離せないどころか、一度くっついてしまえば溶け合ってどうしようもないことになるなんて。
村中の誰もが理解できていたから、はよくっつけやと全員が応援していたのである。
「今頃、フォウルは何してるのかな……」
「さてねぇ。フォウル君はほんっと何でも出来ちゃう子だから、私達が聞いたことも無いような仕事をしてるかも知れないね」
確かに女になってシスターを無自覚に誘惑していますとはとても想像できないだろう。
しかしながら母親たちはもちろん、アリサにすら安心感があった。
浮気の予感はともかく、フォウルには利他的な面がある。
現に自分ではアリサと幸せな結婚生活のためにと言ってはいるものの、蓋を開ければアリサを幸せにしたいという願いが大部分を占めていた。
アリサを幸せにすることが、自分の幸せなのだと疑いもせずにとことんフラットに思っている。
そんな一面がアリサをやきもきさせる一因になっていることには気づいていないのが、鈍感賢者たる理由とも言えるがそれはさておき。
そんな他人を優先しがちな人間が、進んで誰かを悲しませたり、大事な人を傷つけたりするとは欠片も思わないという考えが、この場だけならず村人達の共通認識だった。
「でもまぁ、がっぽり稼いでくるのは間違いないからね。アンタ、それに見合ったお嫁さんになるんだよ?」
「ぷ、プレッシャーがすごいわ……でも、もちろんよ。私だって、ちゃんとフォウルのお嫁さんしたいから」
作り上げたばかりの卵焼きの形はまだ歪だけれども。
ちゃんと美味しい食事を準備して、仕事に疲れて帰ってきたフォウルを笑顔で迎えるのだと。
ありふれた家庭を夢に願い、アリサは今日も料理の練習をする。
「おーい」
「あら? 村長? こんな時間にどうしたのかしら?」
和やかな花嫁修業の空気に、ノックの音と村長の声が響いた。
「こんばんは、村長。どうしました?」
「すまぬな、夜更けに」
村長自身ももう就寝間際だったのだろう、寝間着に厚めの上着を着ただけの姿だった。
「実はアンデッド処理に向かう道中のシスターさんが来ておってな」
「シスターさんが? こんな田舎方面に珍しいですね」
ドアを開けたアリサの後ろからフォウル母が顔を覗かせながら言った。
言葉通り、ハフスト周辺にまでシスターというか聖職者がやってくるのは珍しい。
単純に近辺に大きめの墓地が存在しないからという理由もあるが、何よりこの辺りで神道に入りたいという人間はルクトリアへと向かうのが通例だからだ。
「二人組なんじゃが、どうやら片方は見習いシスターさんらしくてのぅ。道中で魔法の練習をしていたら、魔力切れになってしまったらしい。休める場所を借りれないかと言っておってな」
「なるほど。ちょうどフォウルは出ていて部屋も空いてますし、うちで良ければどうぞとお伝え下さい。ちょうど、アリサちゃんの料理も揃ったところですし、夕食もよろしければと」
「そうか、すまんの。お礼はすると言っておったし、お前たちで受け取って構わないからよろしく頼んだぞい」
小さく村長が頭を下げ、その場を後にする。
「シスターさんなんて、ほんとに珍しいですね」
「見習いって言ってたし、練習がてらに小規模な墓地でも周ってるのかも知れないわね。でもちょうど良かったわ、この料理どうやって処理しようかと思ってたところだし」
「あ、あはは……無駄遣いしてごめんなさい」
食卓の上に所狭しと並んでいる料理の数々。
いずれも形は微妙だが、味はそこそこなものになっていて食べられないことは無いが、流石に量が多い。
食べられるものを作られるようになってきたからこそ、ついつい作りすぎたという結果だった。
「あ、はーい。空いてますのでどうぞ」
再びノックの音が響く。
そして、声に従って空いたドアの向こうには。
「突然申し訳ありません、わたしは、シスター・フォウと申します。一晩、よろしくお願い致します」
顔を真赤に頭から湯気を立ち上らせている金髪の修道女を背負った、フォウがいた。