双子は何でもそっくりなんじゃないの?と言ってくる人がいるが、それは迷信というものである。一卵性双生児か二卵性双生児かにもよるし、仮に顔はそっくりでも環境や出会いによって性格や趣味はいかようにでも変わるものだ。
夏樹と、弟の冬樹もまさにそうだった。二卵性双生児なので、顔は“似てはいるけれど、近しい人が見間違えるほどではない”というレベル。初見の人や後ろ姿や遠目からの姿なら間違えられることもある、くらいだ。そもそも自分達は見た目以上に中身が全然違っていた。やや生真面目でクールだと言われる夏樹に対して、冬樹は天真爛漫でマイペースなキャラ。勉強は夏樹の方ができたが、運動神経は冬樹が上。同じ吹奏楽部に入っても、金管楽器や大きな楽器に惹かれた夏樹に対して、冬樹はフルートのような繊細な木管楽器を好んだ。
けして仲は悪くなかったと思う。むしろ正反対なキャラクターだからこそ、お互いが持っていないものを補えたとでも言えばいいのか。ちなみに、顔はそこそこ似ていても女子にモテたのは冬樹の方だった。人間、コミュニケーション能力はどこまでも大切ということだろう。
『うわぁ……冬樹お前。どうするんだよそのチョコの山……!』
小学生の時からモテた彼は、中学に入ってからはさらにモテが加速したように思う。中一の二月のバレンタインなんかいい例だ。紙袋持参して学校に行くからどれだけ自信があるのかと思いきや、まさか本当に紙袋いっぱいにチョコを詰めて帰ってくるとは。
しかも、はっきり言ってそれでは袋が足りずに、学校前のコンビニでレジ袋を買ってくる羽目になったと言うのだから驚きである。
『今時の女子は熱意が凄いんだね。おれもびっくりだよー』
ほわほわと笑いながら、彼は紙袋いっぱいのチョコを見せてきた。ここまで来ると、もはや羨ましさなど微塵もない。なお、夏樹の方はチョコを数個貰ったがそれだけだった。義理か本命かよくわからなかったが、学校で食べてしまったので家にはもって帰ってきていなかったりする。
『とりあえず兄貴、これを消費するの全力で手伝って欲しく』
『一個一個大事にしてる余裕がないんだな、なんとなく予想できたけど』
『手紙は一応読むけど、ここまでの数となると一人一人に細かな返事するのちょっと無理だよ。というか、おれ滅茶苦茶疑問なんだけど、みんなあのチョコをどうやって持ち込んでるんだろうね?一応、建前上うちの中学、バレンタインのチョコの持ち込み禁止なんじゃなかった?部長そう言ってたよ?』
『禁止なのは確かだけどそこまでがっちりしたもんじゃないな。あと、
『ええ?』
兆野先輩というのは、当時の中学の吹奏楽部部長である。今も昔も、吹奏楽部に女子が多いという状況は変わりない。当時の中学の吹奏楽部も、男子部員は自分達兄弟を含めて数えるほどしかいなかった。兆野先輩はその中でもたった一人しかいない三年生の男子部員であり、音楽への情熱と実力を認められて部長に選ばれた人物でもある。ただ――暑苦しすぎる言動と見た目のせいで、悲しいくらいモテないのだったが。男友達はたくさんいるというのに。
『お腹壊しちゃうし、手作りチョコも多いし、消費期限早いよね絶対。かといって、食べ物を捨てるのは嫌だな……』
冬樹は困ったように笑って言っていた。
『仕方ない。既製品のやつはまとめて溶かしてチョコケーキにでもしよう。というわけで兄貴、ケーキ作ってケーキ!』
『いや、自分でやらないんか!』
『おれをキッチンに立たせていいと本気で思ってる?ねえ本気で思ってる?家を火事にしてもいいならそうするよ?』
『……俺が作らせて頂きます』
『やったー!』
料理が得意なのは夏樹の方。子供の頃からなんとなく趣味で料理をすることが多く、調理実習でもそれなりに頼られるタイプだった。対して冬樹は、過去にキッチンで何度か小爆発を起こしてるツワモノである。得意料理は炭です!ともはや開き直って言うレベルだ。目玉焼きで消し炭を錬成する猛者はそうそういないと思うのだが。
天真爛漫で、甘え上手。弟属性の彼と、いつも何かと世話を焼いてしまう夏樹は相性が良い兄弟だと言って良かった。きっと、そんな彼に母性本能をくすぐられる女子は多かったことだろう。
かといって、同性に嫌われるかといえばそんなことはない。彼は人を褒めるのと頼るのが非常に上手く、世話焼きだったり兄貴肌だったりする男子のクラスメートたちにもよく可愛がられていたものだった。例の、兆野部長にもだ。そんな彼をたまにうざったく思うこともあるものの、夏樹にとっては間違いなく可愛い弟で。
だから、二年生の秋――なんであんな事が起きたのかと、思わずにはいられないのである。
明るかった冬樹が沈むことが多くなっていた。コンクールの直後からだ。コンクールのあとは、文化祭の練習がある。自分たちの中学は、文化祭は小規模であるものの吹奏楽部の演奏会は毎年のように行われており、冬樹も好きな曲ができると楽しみにしていたはずだった。
それなのに、練習に身が入らない様子。さながら何かに怯えるような、怖がっているような。
『おい冬樹、どうしたんだよ。最近のお前、おかしいぞ』
夏樹がそう尋ねると、冬樹は首を横に振って“ごめん”と繰り返した。
『ごめん、兄貴。ごめん、おれ……』
彼が何を言おうとしたのか、言いたかったのかはわからない。確かなことは一つ。その答えを聞くよりも前に、あの事故が起きてしまったということである。
冬樹は軽自動車に撥ねられて、意識不明の重体となった。一命は取り留めたものの、結局三年過ぎた今も彼は昏々と眠り続けたままである。
わかっているのは、彼がふらふらしながら見通しの悪い道を飛び出したらしい、という事実だけだった。相手の自動車がもっと速度を出すような道だったら、あるいは向こうが即座に救急車を呼んでくれなかったら、弟は助からなかったかもしれない。
「……あいつ、運動部入ってもいいくらい、運動神経良かったんだけどな。動体視力も。それこそ、その気になれば軽自動車くらい避けられそうなもんだったってのに」
はあ、と夏樹は回想から戻ってきて、ため息をついた。
「それに、近くの道をふらふらしながら歩いてたってのもよくわからない。土曜日だったから部活はなかった。夕方に、誰にも言わずに家を出て、一体何処に行こうとしてたんだか」
「一応訊くけど、遺書とかはなかったんだよな?」
「無い。ていうか、自殺しようとしたわけじゃないと思う。死のうとしてる人間が、がっつり財布も携帯も水筒も持って、リュック背負って出かけていくか?富士の樹海にでも行くつもりでしたーってならともかく、定期は置いていってるんだぜ?」
それに、彼はあれでも理性的な人間だ。本格的に自殺を考えるなら、軽自動車の前に飛び出すなんて非効率なことはしないだろう。もっと確実に死ねる方法――それこそ、高いビルの上から飛び降りるとか、電車に飛び込むとかしそうなものである。見通しの悪い40キロ制限道路で、軽自動車の前。どう見ても、確実に死のうと目論む人間の行動ではない。
勿論、本当に鬱になってそれしか考えられなくなっている人間は、そんな細かな計画性などなく電車に飛び込んでしまうものかもしれないが。少なくとも夏樹が見ている範囲では、彼は悩んでいるとはいえそこまで思い詰めているようには見えなかったのである。
「結構ミステリーだよな、そう考えると」
うーん、と理貴は頭を掻いて言う。
「……何にせよ、早く意識が戻るといいな。弟君もまた、フルートやりたいだろうし」
「ああ、そうだな」
理貴は空気が読めないところはあるものの、けして悪い奴ではない。夏樹の
ただ。こうして改めて弟のことを思い出すと、未だに謎が多いなと感じるのも事実である。彼は一体、何にあそこまで怯えていたのだろう?そして、一体何処へ向かおうとしていたのだろう?
――あいつの部屋、結構そのままになってるところも多いし。今度、ちょっと整理してみるかな。埃まみれになってるのも、それはそれで気の毒だ。
両親に掃除されるより、兄の自分に掃除される方が彼もマシだろう。ベッドの下からうっかりアレな本とか出てきてしまうかもしれないがそれはそれ、男兄弟ならそこまで気兼ねすることもないはずだ。
――ミステリーと言えば、結局八尾のこともそうだな。あいつ、なんで五月なんて中途半端な時期に転校してきたんだ?
じゃあ後でな、とフルートパートの席に戻っていく理貴を見送り、夏樹は首を傾げる。
――親の転勤、はないよな。時期的にも、場所的にも。隣の市から、本当にどうして……。
そこまで考えた時だ。がたん、とやや大きな音がして音楽室の防音扉が開く。顔を出したのは、顧問の
「はい、皆さん注目ー!」
今日は、合奏の予定はなかったはずである。一体どうして、と夏樹が思っていると。
その後ろから、今日見たばかりの顔が見えてぎょっとさせられることになった。長い黒髪に、平均的な成人女性の体格である五条先生が小さく見えるような長身。あの八尾鞠花が。
「こちら、二年二組に今日転校してきた八尾鞠花さんです。吹奏楽部に興味があって、見学したいということで」
中年ながらもハキハキとした声で、五条先生がにこやかに喋る。なんで、と夏樹は固まるしかない。いや、転校してきてどこかの部活に入ろうと思うのは自然なことだ。女子が吹奏楽部に興味を持つのだって何もおかしくない。でも。
この流れでは、まるで。夏樹を追いかけてきたかのような。
「特別に、仮入部を許可することにしました。皆さん、仲良くしてあげてくださいねー」
まるで小学校での、転校生の紹介のようなことを言う先生。しかし、ノリの良い部員たちは“はーい!”と良い子の返事をする。一部の男子達は彼女の美貌に色目きだち、女子達も驚いたようにざわついてはいるが。
「八尾鞠花です、よろしくお願いします。音楽そのものに興味があるので、どんな楽器でも触ってみたいです」
彼女はそう説明しながら、ちらり、と明らかに夏樹の方を見た。そしてにっこりと笑って、ひらひらと手を振る。一気に部員たちの視線が集中して、なんとも痛い。
――マジかよ……。
彼女が嫌いなわけでは、断じてなかった。ただ、いきなり告白してきた相手を真正面から受け止められるほど、自分は楽観的な性格ではない。
何より、なんとなく胸がざわついて仕方なかった。八尾鞠花は、何だか得体が知れないのだ。そう感じる理由は、直感としか言いようがなかったけれど。