第7話 仙台へ

 巨獣災害から一夜が明け、SNS上ではそれらのトピックに関連して一つの奇妙な投稿が上がっていた。


『ねえ、庭にツチノコが出たんだけど!?!?』


 そんな一文と共に掲載された動画は、宮城県と岩手県の県境近くに在住する女性が自宅一軒家の庭を窓ガラス越しに撮影した映像で、手入れのよく行き届いた芝生の上をシャクトリムシのように体を屈伸させながら進む――胴の平たい蛇のような姿をした、未確認生物(UMA)として知られるツチノコのような存在が映されている。

 しかも動画の最後はツチノコ伝説として語られるものと全くの同じ、二メートル近くの大跳躍を見せ、塀を乗り越えてどこかへと消えてしまう顛末だ。

 あまりにも出来すぎた映像である。


 平時であれば作り物のフェイク映像だとすぐに決め付けられてしまいそうなそんな動画も、それ以上の巨大生物の出現を誰もが認めてしまっているからこそ、事実として広く受け入れられていく。


 怪生物の目撃情報は、巨獣出現以来、東北を中心にぽつぽつと増え始めていた。


 ▲▽▲▽▲▽▲


 方針を決めた俺たちはその後、一時間ほど車を走らせ、仙台市には無事に到着することができた。遊びに行くときは電車を使うから道路上の土地勘がないことが一つ不安だったが、自力での運転でここまで来られた感動はひとしおだ。


 目的地に向かう道すがら、お財布に優しい大手アパレルチェーン店を発見したので一度立ち寄ることにする。

 いい加減ジャケットを返してもらわないと、俺が風邪を引くことになってしまいそうだ。

 どうも丈夫なホルンには防寒具など必要ないみたいだが、だからといってその格好では人目を寄せ付けるだけだし、今後の潜伏生活のことを考えても上に着るものは一枚購入しておくことにした。

 そんなわけで。


「……ど、どうしたら」

「いや、好きなものを選んでもらえたらそれでいいんだが」


 おろおろ、たじたじ。

 レディース服のラックの前に連れていくと、救いを求めるような眼差しでこちらを見上げてくるホルンの自主性のなさに呆れ返る。

 仕方ないから、俺も気に入る服探しに協力する。


「あー、これとかいいんじゃないか?」


 そうして試しに手に取ってみたのはややオーバーサイズのシンプルなトレーナーだ。ホルンは背が低いし体の線が細いので、こういうだぼっとした服で体型を誤魔化せば姉が相手でも正体を気付かれにくいんじゃないだろうか?

 一度想像を膨らませるためにもホルンの目の前に服を持っていくと、彼女の困り眉がより顕著なものとなる。


「どうだ?」

「〜〜〜分からないです」


 困ったように首を振られてしまう。ハッキリしないなあ。

 俺もあまりセンスがあるほうではないから、服に関しての決定権は正直持ちたくないのだが……。


「じゃあそうだな、好きな色は?」

「好きな、色……」


 ホルンの好みでも分かれば。そう思って尋ねてみたのだが、どうやら藪蛇だったらしい。そこからホルンの長考は始まってしまった。

 好きな色なんて簡単な質問、よほど奇を衒おうとしなければスパッと答えられるだろうに、真剣な顔をして悩んでしまうホルンに俺は内心困惑する。

 よっぽど自分に自信がないのだろうか。自己肯定感の低さは端々に感じているけれど……。


「い、いや、その、好きな色だぞ? ホルン?」

「えと、白……」

「いや、今の格好が目立つから服を買うんだ。白以外がいい」

「白、以外、ですか」

「あるだろ?」


 顎に手を当てて考え込むホルン。

 んん、どうしてこんなに迷宮入りしなきゃならないんだ。

 埒が明かなくて、早々に質問したことを後悔し始める。

 グッと堪えながら彼女の回答を待っていると。


「その。好きな色って、なんでしょう?」

「あー、そうだな……」


 見上げながら漠然と問いかけられてしまって、仕方なく俺も知恵を絞ることにする。改めて尋ねられると難しい話題だ。哲学一歩手前みたいな。

 真剣に答えようとすると、変な着地になってしまいそうだったから、多少の詭弁も織り交ぜてホルンが好きな色を考えやすい筋道を立ててやることを意識する。


「例えば俺は緑が好きなんだけど、それは子供の頃から見てきた森や、山のイメージから来る。だからホルンも、好きな場所やものや人から連想した色を、好きな色って考えてみるのはどうだ?」

「好きな場所や、ものや、人……」


 そう呟いて俯くホルンは、また長くなりそうだな、とうんざりしかけていた俺の予想に反して、意外にもすぐにその答えを見つけた。


「黄色、とか」

「……ほう。その心は?」

「私に優しかった姉が、その色だった」


 いや、なんてコメントしてやればいいか分かんねえよ……。

 仄かに姉妹関係の闇をチラつかせないでほしい。ホルンにとって優しい姉がいたことはいいことではあるが、結局はそれらとも対立しているのが現状なんだろ……?

 もしかしたら、先々で頼れるのかもしれないが。


 思えば、襲撃者のほうの姉も黒で統一した服装だったか。彼女たちには何かそういった色の法則性があるのかもしれない。


 なんだか気まずい気分になってしまいながらも、ポジティブな印象で色を選んでくれたのは事実なので、その色のトレーナーを探してみることにする。

 といっても、色の派手さは変わらないな、これ。

 よりにもよって黄色だ。それが好きと言うなら別にいいけどさ。


「うん、似合う似合う。いいんじゃないか?」


 立ち鏡の前に彼女を連れていって自分でも確認させる。

 パステルカラーで色の主張が控えめなパーカーを選んでみた。胸のところに小さく、かわいい熊の刺繍があったりする。デザインは選べないので文句言わせないが、このパーカーならフードを被ることでホルンの髪色を隠すこともできるし、この色なら気に入ってくれることだろう。


「せっかくだから着てみなよ」

「は、はい……」


 試着室が空いているのをいいことにホルンを押し込めてみる。すると、そう長い時間を掛けずに出てきたホルンは、言われた通りにパーカーを上に重ねた状態でやや恥じらったような顔色で俯いているのが印象的だった。


「かわいいじゃん」


 だからからかい半分でそう言ってみると、ホルンはぷるぷると小刻みに震えて抗議の眼差しを向けてくる。「悪い悪い」と軽薄に謝りながら。


 手招きで近くに呼び寄せ、後ろを向いてみてとお願いする。

 うん、やはりオーバーサイズの上着を選んで正解だ。手元の袖が少し余るから目立つバングルを隠すことができるし、丈の短いワンピースゆえ寒々しかった素足の露出も、これだけ上半身を着込んでいるのならそういうコーデであるように見せられる。

 少なくとも、この服装に違和感はない。


 続けて、クルっと回ってみてとお願いしてみる。素直に一回転するホルン。

 その行動に特に意味はないのだが、ここまで疑うことも知らずに言われた通りに動いちゃって、かわいいやつだ。

 ついつい調子に乗ってしまった。


「それじゃ、これで決めていいか?」

「は、はい……。大丈夫です」


 んん、大丈夫ってなんだよ。

 言葉選びにムカッとしながらも、さっと会計を済ませる。何はともあれ、今後しばらくの間はホルンの服装はこれだ。もともとが白色で薄着の少女だったことを考えると、綺麗に対極の属性になったように思う。

 潜伏としては完璧。これなら一見ホルンだとは誰にも気付かれまい。


「ありがとうございます」


 退店すると、あまり嬉しくなさそうな声のトーンでぽつりと呟かれてしまい、いい加減にしろと思って俺は振り返る。


「お前なあ、いい加減その暗い顔直せ! 気持ちよくないぞ」


 喜ぶことを求めるのはひどく浅ましい話だが、ホルンの優柔不断でうじうじした子どもっぽさと付き合っていくことを考えると、いまのうちにハッキリと口で伝えるのは必要なことのように感じる。


 俺がからかっているときや飯を食べているときなんかは素に近い反応でかわいらしいのに、遠慮なのか自己防衛なのかは知らないが、こういう場面では感情を前面に押し出そうとしないホルン。

 本音か建て前かよく分からない反応を続けられると、どうしてあげたらいいか分からなくて困るのだ。

 突然のお叱りに目を丸くするホルンと、俺は真っ向から向き合う。


「嬉しいならちゃんと嬉しそうにすること。そうじゃないなら別にそれでもいいけど、俺はお前に少しでも明るくなってほしいから色々やってるんだよ。可哀想だなって思ってるから。まずそこを分かれ」


 俺の想いを言葉にして伝えてみると、ホルンはハッとしたような顔をしてくれる。

 その反応を見て、俺も態度を柔和なものに直しながら。


「……お前の立場じゃ気を遣うのも無理ないけど、もうちょっと正直でいてくれていいから。いいか? これはこれから俺と過ごすなかでの絶対の約束だ」

「っ、は、はいっ!」


 顔を近付けて約束を迫ると、声を上擦らせながらコクコクと必死に頷くホルンを見る。

 怪しい。本当に分かっているのかぁ〜? コイツは……。

 なんて疑っていても仕方ないから、気難しい話はこのくらいにしておく。

 切り上げて再び歩き出そうとすると。


「あ、ありがとうございます!」


 と、精一杯の張り上げた声で(カスカスだった)ピシッと直角のお辞儀をされてしまって驚いた。その行動はさすがに大胆すぎて逆に困る。

 予想外な反応に、思わず面を食らってしまいながら。


「そ、そうだ。うむ、苦しゅうない……」


 同じようにかしこまった返事を返してしまう。なんだかむず痒く、顔を見合わせていると自然と笑みが溢れてしまいつつ。

 不安そうな表情で俺のことを窺うホルンのその気持ちを解消するため、頭にぽんぽんと手のひらを乗せた。

 上目遣いをするホルンは、ほっとしたように微笑みを俺に向ける。


 以前よりは少しだけ打ち解けたような気分で、俺たちは車へ戻ることにした。