7話 景天視点


「──では貴殿らも、蓉雪皇后の死について兄上から何も聞かされてはいない、と?」


 真っ赤な絨毯が敷き詰められた回廊に、私の硬い声が響いた。


 外朝、三公が会する一室で、皇帝の側近でもある三公の爺どもとする会議は有益なものであることが少ない。

 何せ、奴らはほどんど情報を持たないが地位だけは高く、世襲で継いだ地位にふんぞり返り、特に議論も改正もなく世襲で継いだ前皇帝時代の古い政を部下に指示し、甘い蜜を吸うしか能がないのだから。


「はい、景天様。皇帝陛下はただ、『皇后の逝去を知らせよ』とだけおっしゃられ、そのまま後宮にお籠りになられましたので」

「皇后の逝去の、その真偽は?」

「蓮様と凛様も見届けた、と」

「蓮と凛……」


 兄上の護衛の双子の兄妹。

 兄上が5歳の頃から、当時7歳にして護衛として傍についた天才達。


 皇帝にのみ忠誠を誓い、円滑にただその任を遂行する。

 三公ですら口を挟むことのできないほどに皇帝の信頼も厚い。

 そんな常に皇帝の傍に侍る彼らの言葉、か。


「ふむ……。だが、それでは民は納得すまい。誰もが疑問を抱き、不信感を覚えるだろう」


 現に屋敷からここへ来るまでにちらほらと聞こえてきたのは、皇后の死を不振がる声ばかりだった。

 もともと前皇帝時代から朝廷に不満を抱き続けてきた市井の民だ。

 いつ爆発してもおかしくはない。


 私としては好都合だが……それでも、今反乱を起こされれば民は私ごと朝廷を崩しにかかるだろう。

 まだだ。まだ私への信頼と彼らの中での地位を確立しきれていない今は、反乱を起こされるわけにはいかない。


「うぅむ……ですが、こうも皇帝陛下が頑なに口を閉ざしておられるのですから、我々がどうすることも……」

「それに、今までも我々が主に政を執り行ってきたのです。今は皇帝の、皇后へのお気持ちを尊重し、そっとしておこうではありませんか」

「うむ。民も、いずれは忘れることでしょう。そうそうお目にかかることのなかった皇后陛下のことなど」


「……」

 忘れる?

 馬鹿なことを。

 蓉雪皇后は民間から娶られた、皇帝唯一の妃だぞ?

 そうでなくとも皇后は元々古琴の名手としても人気を博していた。

 そんな皇后の死を、民がそう簡単に忘れるはずがない。

 特に、彼女──蘭は……。


 いつ反乱が起き、皇帝だけでなく皇弟である私、それに朝廷高官たちも、諸共朝廷から引きずり出されるともわからないというのに……こ奴らは呑気なものだ。


「……何が兄上の意思か……それはこちらが推測することではない。ひとまず、このことは兄上にお伺いし、直接指示を仰ぐ。それまでは何を聞かれても、皇帝陛下の言葉を待て、と伝えることにするしかない。皆、そのように」


 私の言葉に三公が恭しく頭を下げ、私は部屋から足早に退散した。



***


「──タヌキどもめ」


 表面上だけは都合よく扱ってくれるものだが、裏では何と言っているか……。

 だが、このままでは我が身すらも危ういだろうな。

 肯定にならぬ程度に早急に皇帝への反発をやわらげつつ、私への信頼を高めていかねば……。


「柳蘭──か……」


 後宮に乗り込もうとする弟子を手助けしてやってほしいと聞いてどんな女かと思ったが、なかなか面白い女だ。


 強い意志の宿った瞳を持つと思えばどこか抜けているし、賢いが良くも悪くも大真面目で嘘がつけん。

 おまけに恐らく私の協力が得られないならば力づくでやり遂げようと考えているであろう脳筋だ。


 蓉雪皇后に妹がいることは知っていた。

 元々古琴の名手だった彼女を、兄上が突然娶りたいと言い始めた時には驚いたし、市井の人間が皇后になるということは当然三公含む高官たちが難色を示した。

 だがあのいつも何を考えているのかわからない、自分の意見をほとんど言わない兄上が押し切って、蓉雪を娶ることが決まったのだ。


 当然、皇后の妹として、蘭は都に連れてくるはずだったのを止めたのは、蓉雪皇后だった。


『妹は曽蓉江で自分らしく生かしてやりたい。それができないならば皇后にはならない』と。


 大国天明国の皇帝にそんな条件を突きつける女は、彼女くらいだろう。

 ……いや、蘭も言いそうだな。

 もっとも、彼女の場合はまずは拳で脅しにかかりそうなものだが。


 私の脳裏に美しい銀髪がなびいて、思わず頬を緩ませる。


「しばらく退屈しなさそうだな」


 あのじゃじゃ馬娘が、私の野望の成就に良い役割を果たしてくれると良いが……。


 私は闇夜に浮かぶ下弦の月を見上げて、一つ、ため息をついたのだった。