第16話 再会

 何人もの旅人が、真っ白な空間にやって来た。

 そして、その人達が旅立つのを何度も見た。

 アリスは、ずっと待っている。

 自分の妹分、フィオラがやって来るのを。


「旅人さん」

 月の子がアリスに語り掛ける。

「どうしたの? 月の子君」

「君の待っていた旅人さんが、やって来るよ」

「えっ」

 驚きを隠せず、目を見開くと、そこにフィオラが突然現れた。

「ここは……」

 フィオラはきょろきょろと辺りを見回した。

 そしてアリスを見つけると、バツが悪そうな顔をして口を尖らせた。

「フィオラ! 待ってたんだよ。ねえ、顔を見せて。やっとまた会えたんだもの」

「アリスお姉ちゃん……」

「ねえ、フィオラ。紹介したい子がいるの。ほら、この子。月の子君って言うんだよ」

「月の子? 神様とか悪魔じゃなくて?」

 八重歯を見せて笑うフィオラ。この人を小馬鹿にするような態度は生前と何ら変わらない。

「迷える旅人フィオラ。ようこそ。生と死の間へ。アリスは君がここに来るのをずっと待っていたんだよ」

「……なんで?」

 フィオラは俯いてそう言った。

 表情が読み取れない。

「うん?」

「あたし、お姉ちゃん達を裏切ったんだよ? なんで、あたしなんかを待ってたの? なんで天国に行ってないの?」

 フィオラの声は震えていた。

「月の子君がね、フィオラに会わせてくれるって言うから、待ってたの。一緒に天国に行こう」

「……行けないよ。天国なんて。あたし、悪いこといっぱいしてきたもの。本当は、お姉ちゃんと顔を合わせることだって、出来ないんだよ」

「フィオラ」

 アリスはフィオラを抱き締めた。

 もう聞こえない心臓の音が、聞こえるような気がした。

「アリスお姉ちゃん」

「大丈夫。大丈夫だよ。あなたは何も悪くない。フィオラは、ずっと私の妹。一緒に行こうね。天国でも、地獄でも。きっとリディア姉さんも待ってるよ」

「イヒヒ。ダメだよ。お姉ちゃん」

 フィオラはアリスを軽く押した。

「フィオラ?」

「あたしみたいな汚れたやつは、お姉ちゃんと一緒のところなんて行けっこない。そうだよね。えっと、月の子だっけ?」

「よかった。僕のこと忘れられてると思ってた。そうだね。君は天国には行けないよ」

「……やっぱりね。これまでの報いか。でもアリスお姉ちゃんは天国に行けるんでしょ?」

「さあ。どうだろう。天国も地獄とそう大差ないからね」

 月の子は飄々とそう言って、紅茶を飲んだ。

「気の持ちようさ。あの世は心ひとつでがらりと変わるんだよ。天国が一気に地獄へ、地獄が天国へ。それの繰り返しさ。そして、時期が来ればまた人間として現世に生れ落ちるシステムさ」

 アリスはフィオラの手を握って、笑顔で話しかける。

「ほら、天国も地獄も一緒なんだって。ね、一緒に行こう。もう死んじゃってるし、怖いことなんてないよ」

「……イヒヒ、アリスお姉ちゃんって死んでも変わらないね。いいよ。一緒に行こう」

 この言葉に、見ているだけだった月の子は、言葉を紡いだ。

「哀れで愛しい旅人さん達。心が決まったのなら、あの世に行こうか」

 二人は声を揃えて言う。

「うん」

 月の子が指を指す。するとその方向に真っ白な階段がある。

 アリスはその階段を初めて見た。

「この階段は……?」

 アリスが不思議そうにそう尋ねると、月の子は微笑んだ。

「あの世への階段。この階段を踏み外すことなく上がって行けば、自然とあの世に行けるよ」

「そうなの……。じゃあ、月の子君とはここでお別れ?」

「そうなるね。でも大丈夫。魂は何度も繰り返し転生するものさ。いつかまた会える日が来るよ。きっとね」

「うん。わかった。フィオラ、一緒に行こう。きっと、リディア姉さんも皆も待ってる」

 アリスがフィオラの手を引いて、階段を上ろうとすると、フィオラはその手を振り払った。

「フィオラ?」

 きょとんとした顔をするアリスに、フィオラはぼそりと呟いた。

「やっぱり、行けない」

「どうして? 一緒に行こうよ。フィオラもあの世で一緒に過ごそうよ。次があるんだもの。何も怖いものなんてないよ」

「お姉ちゃんにはわからないよ。あたし、たくさん罪を犯してきた。施設に居る時からスリやってたし、魔女になったらなったで仲間を裏切るし、そんなあたしが行くところなんて、地獄しかないじゃない」

「フィオラ、あなた……。後悔してるの?」

「まあね。死後の世界なんて信じてなかったのに、いざ死んでみたらあるんだもん。あたし、間違いなく地獄行きじゃない」

 そこへ今まで黙っていた月の子が話に参加する。

「じゃあ、僕から提案」

「え?」

「君達があの世に無事行けるって思うまで、ここに居たらどう?」

「そんな、私十分待ってもらったのに」

 アリスはそう月の子に言った。

「そんなの気にしなくていいよ。言ったでしょ。いろんな旅人さんがいるって。僕も退屈しないし、二人が良いなら、しばらくここに居なよ」

 フィオラはアリスの答えを待たずに「それじゃあ、お願い」と言ってしばらく月の子と共に過ごすことに決めた。

「……フィオラが行かないなら、私も行かない。もうしばらく、厄介になるね。月の子君」

「うん。よろしくね、旅人さん達。いや、アリス、フィオラ」

 こうして二人はもうしばらくだけ、月の子と時を同じに過ごすこととなった。


 ある日のことである。

 相変わらず朝なのか夜なのかわからない真っ白な空間で、三人はお茶会を開いていた。

「そういえば月の子君って何歳なの?」

 アリスがそう問いかけると、月の子は「さあ、いくつかな」と紅茶を飲みながら答えにならない答えを言った。

「あたしより小っちゃいから、もしかして十二歳とか?」

 フィオラも紅茶を飲みながらそう聞いた。

「ううん。僕は月そのものだって言ったでしょ。でも月ってだけでもなくて、ちょっと複雑なんだよね。十二歳ではないよ。もっともっと年上。こんな姿してるけどね」

 こんな姿と言いながら、首元のリボンを結び直す。

 神は金色、目は漆黒。ぷにっとした頬に、短いズボンに太ももが見える。そして、踵の高いブーツを履いている。

「月の子君って、絵に描いたような美少年だよね」

 アリスがそう言うと、月の子は顔を赤くして首を横に振った。

「そんなことないよ。美少年じゃない。もう、アリスってたまに意地悪!」

「なんでー。良いことじゃない。ね、フィオラ」

 フィオラは呼びかけられていることに気がつかなかった。

 生前、リディアとアリスと、こんな穏やかな時間がどれだけあっただろうと考えていたのだ。

「……え、ああ、あたし? ごめん。何も聞いてなかった」

「もう。フィオラったら」

 アリスはフィオラをぎゅっと抱き締める。

「いろいろ考えるのもいいけど、考えすぎちゃダメだよ」

「……うん」

 フィオラはゆっくり瞳を閉じる。

 もう聞こえない心臓の音。

 こうしたのは自分なのだと、再び後悔と自責の念に駆られた。

「アリス。フィオラ、今自分が悪いって思ってるよ」

 月の子は心が読めるのだろうか。フィオラの気持ちが丸わかりなのか、そう言って紅茶を注いだ。

「もう。死んじゃってまでそんなこと考えなくていいよ。フィオラ」

「……アリスお姉ちゃんにはわからないよ。あたしの気持ちなんて」

 月の子は座っていたソファーから立って、ティーカップを片手にもう片方の手を腰に当ててこんなことを言った。

「僕、今から留守にするから。その間、二人だけで本心を言い合えばいいよ。じゃあ、終わった頃に戻って来るから」

 そうして、月の子は姿を消した。

 残された二人は、ソファーに並んで座り、話し合おうと思った。

 こうして、話し合いは始まった。