鈍感な翼はいつも通りの調子でちょっかいをかけてくる。
そんな翼の足を何度か踏みつけて相手をしながら、夕飯の準備を続けた。
「そういや何でひなは旅行行かなかったんだよ。あと2日で冬休みだろ?受験だって終わってんのにもったいね」
「……別に。ハワイなんて興味無かったし」
「ああごめん水着着るの嫌だからか。貧乳だもんな」
「翼、尻出しな」
「はい…」
素直にこっちへ尻を向ける翼に今日2度目の蹴りをお見舞いする。
かなり強めに蹴った所為で翼が悲鳴すら出せずに膝から崩れ落ちた。
マジで3つに割りやがった…と小さく呟いている翼へ目を向ける。
イライラさせるようなことを言われたはずなのに、不思議とこの時は笑うことが出来た。
いつも通り…笑うことが出来た。
自分が何にイラついて何に喜んでいるのか…全然わからない。
「それで…何で旅行行かなかったんだよ」
「興味ないからって言ったじゃん」
「ふーん…変わってんな」
「……。」
私が旅行なんか行ったら、誰が翼のご飯作るんだよ…
本当の理由を心の中で呟きながら少しだけため息をつく。
マヌケ面で首を傾げながら見つめてくる翼に、リビングへ戻るよう促した。
けど一向に戻ろうとしない。
いつもならもう少し素直に言うことを聞くのに、それも無視して側にいようとするってことは…たぶん、甘えてるんだろうな。
昔から変わらない。
両親が忙しくてかまってもらえない時は決まって私の側から離れようとしない。
その癖が思春期の今になっても残っているのは、ちょっと問題な気もするけど…
「…翼、暇なら手伝って」
「いいよ。味見係やる」
「毒盛ってやるから楽しんで味見しな」
「やっぱり洗い物係にする」
側にいることを許可する意味も込めて手伝ってほしいと伝えたけど、正直2人分の料理は手伝いなんて必要ない。
私の親切心なんて、一生気付かないんだろうな…
この鈍感で甘えたで子どもと同じような幼馴染には、一生…伝わらないんだろうな。
「ひな…」
「ん…?」
「まだ何か怒ってんの?元気ない」
また私の顔を覗き込んでくる翼に思わず目を見開く。
鈍感は鈍感でも、いつもと様子が違うことくらいはわかるようになったらしい。
昔の翼と比べれば著しい進歩だ。
「もう怒ってないよ」
そう少しだけ頬を緩ませながら答える。
私の表情を見た翼が嬉しそうに笑いながら呟いた。
「ひな、貧乳とか言ってごめんな」
「悪意しか感じねェわその謝罪」
苦笑いしながら翼の腹にボディブローをきめる。
ぐっと苦しそうな唸り声を上げてからは、翼ももくもくと夕飯の準備を手伝ってくれた。
一緒に夕飯を食べて、テレビを見ながら他愛も無い話をして、それぞれ別の場所で眠る。
一週間完全に同棲することは決まっても、普段とは大して変わらない状況。
イケメンの幼馴染と一つ屋根の下で同棲…なんてワードが並べば誰しもが甘い環境を思い浮かべる。
けど現実はこういうもんだ。
何一つ変わり映えのない関係。
歳だけが毎年増えていって内面は家族と同じ兄弟関係のまま。
これからもずっと変わらない。
変わらずずっと、翼の側には私がいて私の側には翼がいる。
そう…思いこんでいたのは、この日の夜までだった。
次の日の朝、目を覚ましてからかなり驚いた。
お客様用の布団で寝ていたはずの翼がいない。
布団を畳んでいない所は翼らしいけど、朝早くから起きていること自体がただ事じゃない。
リビングで寝ていたはずの翼の姿を探しても、もう家の中にはどこにもいなかった。
制服も鞄も無いってことは…あいつ、もう登校したってこと?!
「あり得ない!翼がこんなに早起きして登校?!遅刻はあり得てもこんなのあり得ない!」
大声で叫びながらも学校へ行く準備を始める。翼よりも私の方が完全に遅刻しそうだった。
歯を磨きながら器用に制服へと着替える途中、視界に翼の体操服が目に入る。
ソファに置きっぱなしになってるってことは今日はいらないってこと?
それとも鞄に入れようとして忘れたってこと?
たぶん翼のことだから…
「忘れたんだろうな」
歯磨きと着替えを終えた後、仕方なく翼の体操着を自分の鞄へ入れる。
学校で渡すタイミングをどうするか考えながら、はあっとため息をついた。
渡すタイミングを間違えればまた自分の学校生活が地獄へと変わりかねない。
何とかしなければ…
その時ピンと思い浮かんだ方法。
一度きりしか使えないけどこれが一番良い方法だ。
急いで登校し終えた後、翼のクラスへ堂々と歩く。
一限目が始まる前に教室の扉を開けて、少し大きめな声で翼を呼んだ。
「大宮くん、先生が職員室で呼んでるよ」
「げ……」
私の顔を見た途端、翼が思い切り表情を歪ませる。
こっちがやりたいわその表情。
「今すぐ来てほしいらしいよ」
「…わかった」
渋々って感じで教室から外へ出てくる。
そのままお互い何も話さず人目のつかない所まで移動した。
「翼、今日体育あんの?」
「あるけど」
「忘れてんじゃんこれ」
「…ありがとう」
お礼は言うもののどこか普段とは違う反応に首を傾げる。
今までなら学校で私から距離をとることはあっても、翼から距離をとろうとすることは無かった。
前までの翼なら私が話しかけても普通に返事をしていたし、クラスに行って呼び出そうがあんな表情はしない。
むしろ翼から声をかけようとして来て私が無視したことは何度もあった。
翼と親しくしていたら、いじめられるから…
「…ひな」
「何?」
いつもとは違う翼を疑問に思いながら返事をする。
またどうせ夕飯は何がいいとか、買い物について行くだとか、そんなことを言い出すんだろうなと思っていた。
けど、それは私の大きな間違いだった。
「…学校で話しかけんのとか、やめてほしい」
「…!」
ドクンと、大きく心臓が脈打った。
途端に胸が苦しくなってズシッと体が重くなる。
「え…?」
「俺がひなと登校被らないように早起きするから」
「ちょ、ちょっと待って。何でいきなりそうなんの?」
あまりの唐突な申し出に困惑する。
私から言うのならわかるけど、どうして翼から…?
翼が、何で私と距離を置こうとするの…?
「わ、私は別に良いけどさ。理由がわかんないじゃん」
「……高橋に、勘違いされたくない」
ひなと俺が親しい関係だって…思われたくない。
そう真剣な表情で言われた瞬間、思考回路がおかしくなった。
胸が痛い。苦しい。体がだるくて力が抜けていく。
これ…ショック受けてるってことだよね。
私が、翼に距離を置かれて…悲しくなってるってことだよね。
「ひなも、今まで学校では俺と距離置きたがってたし」
「ッ…」
「問題ないだろ?」
そうだよ。問題ないよ。
翼が高橋さんに勘違いされたくないと思うのだって当然だし、私は翼関係でいじめられなくなるし、何も問題ないんだよ。
ないのに、どうしてこんなにも…
「これ持って来てくれて助かった、ありがとう。でも次からは必要ないから」
どうしてこんなにも、傷ついてるんだろう。
「わか、った…」
傷ついていることがバレないようにした返事は、少しだけ震えてしまっていた。