だが何故、デュランを撃ち殺そうとしたあの男がルイスの部下となっているのか?
彼は元々金で雇われる元軍人の傭兵であり、そもそも最初からルイスの汚い裏の仕事を一手に任される『汚れ役』であったのだ。
デュランと従兄弟のケインとを仲違いさせるため、ルイスが彼に命じてケインの元へと送り込み、何も知らないケインはデュランのことを亡き者にするようにと、その男へと依頼した。
けれども本当にデュランのことを殺めてしまえばケインは堕落することもなく、それと同時に父親であり権力を持つハイルが障壁となってしまい、ルイスが当初描いていた思惑通りに事が運ばなくなってしまう。
だがそれも殺害を依頼したはずなのにデュランが生きて戻れば話は別である。
デュランとケイン親子との対立が深まることで、彼らに付け入る隙ができるのだとルイスは踏んでいた。
だからルイスは部下の男に対して「多少負傷させてもよいから、デュランのことを生かすように……」と命令を下した。
その命令を遂行するため、その男はデュランが左胸ポケットにライターを仕舞い込んだのを好機と見て取り、狙い済ましたかのように彼の胸元を銃で撃った。
その狙いは見事に当たったのだが、デュランが東側の捕虜になってしまったのだけは誤算でしかない。彼の計画に一年ほどの誤差は生じてしまうが、それでもルイスの計画に抜かりはなかった。
ルイスはその資金力と権力によって、本来敵方であるはずの東側とも通じていたのだ。
デュランが生きていることも、また捕虜になっていることも事前に情報として掴んでいた。
その間にもルイスはケインのことを懐柔し堕落させようと画策していたが父親であるハイルが邪魔をしていたため、仕方なしに戦争が停戦になるのに乗じてデュランの身を解放させ現在に至る。
デュランもケイン親子も、ルイスという男に弄ばれていたのだった。
だがルイスの誤算はまだ続く。本来の予定ではケインはとっくに破産しており、家や屋敷はもちろんのこと、彼の妻であるマーガレットも財産のある貴族に売り飛ばしているはずだった。
その誤算と邪魔をしたのはデュラン本人に他ならない。
彼が居なければ、今頃はケインからもっと金をせしめている予定だったはず。
「ふふっ。まぁいいさ……相手にも多少の手ごたえがないと、全然面白みがなくて飽きてしまうからな。それに最後の最後に勝てればそれでいい。今のところは勝ちを譲るが、いずれは取り返すよ……デュラン君」
ルイスは普段飲みようのワイングラス片手に、誰に言うでもなくそう独り言を呟いた。
目の前にはあの男……ディアブル・ファシネー、フランスの言葉で『悪魔をも魅了する男』という忌み名を持つ男が立っていたが、ルイスにとってはそんなことはお構いなしだった。
ディアブル自身もただ金で雇われているだけなので、雇い主が何を言うがどう思おうが関係のないことだと考えていた。
「それで俺はこれからどうするんですかい?」
「ん? ああ……今のところはこれまでと同じく情報を集めるだけでいい。何かあれば、その都度指示を出す。それまでは待っていろ」
「ふん。まぁいいでさぁ。俺としたら、何もせずに金を貰える……そんなに楽なことはないですからね!」
若干癖の強い訛りの交じったディアブルの言葉ではあったが、それでもルイスにとっては意味が通用すればどうでもよかった。
そしてもう用済みだとばかりにルイスが手で払いのけると、ディアブルは音もなく部屋を出て行った。
コンコン♪
それから間を置かずして軽快なドアノックが二度鳴らされると、誰かが部屋へと入ってきた。
「失礼いたします」
「なんだリアンか。どうかしたのか?」
断りを入れてからディアブルと入れ違いに部屋に入ってきたのは、ティーポットが乗せられたトレーを片手に持った執事のリアンだった。
「いえ。そろそろ喉がお渇きになられているのではないかと思いまして、冷たい紅茶をお持ちいたしました」
「ふふん。相変わらず聡いやつだな、お前は。いつも私が欲しいと思ったときに必ず紅茶を持ってくるな。何か秘訣でもあるのか? まぁいい……んっ」
「かしこまりました」
特に断る理由もなかったのでルイスはリアンに紅茶を入れるようにと、机の上で右から左へと払うように右手を滑らせ、指示を出した。
それは言葉を用いずに「机の上を片付けろ……」という意味合いであった。
「先程、例のあの男が訪ねて来たようですが……大丈夫でしたか?」
「ああ、そうだ。特に何のことは無い。いつものように定期連絡をしにやって来ただけだ」
リアンはトレーを机脇に置くと、机の上に置かれた書類をそのままのとおりに重ね合わせた。
こうすることで、先程ルイスが見ていた元の形にいつでも戻すことが出来る。
執事とは主人の仕事のときはもちろんのこと、家で過ごす普段の生活の邪魔をしてはいけない。
それは書類が置かれている並べ方一つ取っても言えることであった。
書類を見やすいようにと順番どおり整理することも大切だが、主人が先程まで見ていた元の形へと戻せることが何よりも大切なことである。
「なんだ奴のことが気になるのか?」
「……いえ」
「ふふっ。なぁ~に、あんな男はただの
リアンの少し置かれた間に何か思うところがあったのか、ルイスは愉快そうに口元を緩めながらもそう口にした。
結局、ルイスもディアブルのことを金で利用できるだけの存在だと思っていた。
そこには信頼や主従の関係など存在しない。
互いの利益……ここでは金だけで繋がっている関係ではあったが、むしろそのほうが都合が良かったのかもしれない。なぜなら何か不都合が生じればすぐにでも切れる、また切り捨てることができる関係でもあるのだから……。
(所詮、金だけで繋がった関係はただそれだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。金が無くなるか、それ以上に金を出すヤツが現れれば、奴のような輩はすぐさまそちらへと乗り換え私を裏切るだろう。それがカ金だけで繋がった関係の本質であり、そこには情なんて安っぽいものは存在し得ない。もしそこに心や感情なんてものがあるとすれば、それは金を欲するという欲望のみだろう。ただそれだけ……か)
ルイスはリアンが入れる紅茶を眺めながら、心のどこかで虚しいとも感じていた。
ルイス自身も結局はディアブルと同じ人種なのだ。
自分以外の人間が自分にどんな利益をもたらすか、ただそれだけしか考えていなかった。
(俺もヤツも似たような者か。人を人とも思わず、ただ自分の利益のためだけに利用する。ははっ。俺もまた金という悪魔に魅了されてしまった、人でありながら人ではない存在。|悪魔に魅入られし者《ディアブル・ファシネー》なのかもしれないな)
ルイスは椅子の背もたれに体を預けると、そのままそっと目を閉じてしまう。
リアンが入れる紅茶の音だけがやけに耳の中に残り、まるでこの世のすべてを洗い流してしまうかのようにさえ思えてしまった。
(水は必ず低きへと流れゆき、絶えず流れ行く。もしもその流れが一度でも滞ってしまえば立ち所に|澱《よど》みが生じてしまい、最後には全体へと広がりすべてが腐りゆく……)
それは人だけでなく世の中や政治、そして経済でさえも等しく平等にして、決して抗うことのできない……それが浄化作用というものであるとルイスは考えていた。
ルイスはそんなことを考えていると、いつの間にか眠りについてしまうのだった……。