「ルイン、前みたいに後ろに乗っていくか?」
「お兄様からそう言っていただけるのは私としても嬉しいのですが、今日は馬車で来ましたの」
ルインはそう言うと自分の家の持ち物である馬車の方を向いてみせる。
「そうか……迷惑、だったよな。……すまない」
デュランはそれを拒絶だと思い、自分の配慮が足りないことを詫びた。
(もう昔のようには親しくできないのかもしれないな。なんせ俺はルインが好意を向けてくれているのを知りながらも、リサと……)
デュランはリサを好きだという気持ちに何ら恥じることはなかったが、ルインへの気持ちを無下にしてしまったことへの後ろめたさを感じずにはいられない。
そうしてルインの馬車先導の下、ツヴェンクルクの街を後にするとトールの町にあるハイルの屋敷へと向かうことになった。
ハイルの屋敷は元デュランの家から近くであり、その敷地は近隣の貴族の中でも群を抜いている広さである。
またその周辺にある田畑は彼の持ち物であり、そこにはデュランが相続するであった田畑も含まれていた。
もしもハイルが亡くなれば、それらすべてがケインへと相続されることになるのだが、その田畑のすぐ傍を通り過ぎようとしたときのことである。
デュランはその光景を目の当たりにして違和感を覚えずにはいられなかった。
「雑草がこんなに……畑だってのに全然手入れをしていないのか? いや、そもそも何も麦などの作物が植えられていない? でもここって休耕地ってわけじゃないよな……」
もう6月も半ば過ぎだというのに、畑には一面を覆いつくす青々しい麦穂の茎どころか、作物の苗すらもどこにも見当たらず、所々の土が穿り返され雑草だけが目立っていた。
それも耕して土が混ぜられた風にはまったく見えない。だから正しくは何かを探すため、無造作にも掘り返されたと言ったほうが妥当かもしれない。
ハイル所有の麦畑とはいえ、これは変であるとデュランは思わずにはいられなかった。
何故なら伯父であるハイルの性格は悪く、とても強欲なのだ。それは兄であるフォルトが亡くなり、デュランが相続するはずだった遺産を奪い去ってしまったことからも理解できることだろう。
また所有している畑とはいえ、決して彼やその家族が直接耕してたり管理するわけではない。近くに住む庶民達に貸し出し秋になり収穫をしたら、その中から土地代としての麦を収めさせ収益を得るわけなのだ。
それなのにこのように何も植えず、手入れもしていないこの状況では彼自身にも利益としての土地代なんて得られるわけがないのだ。
それを許しているということは……。
「もしかしてケインが……いや、直接話を聞いてみるまではその判断を決め付けてしまうのは時期尚早だな」
デュランは不安を口にするが生憎とその事情を知っているはずのルインは馬車の中のため、声をかけ事情を聞くことも出来ない。
もちろん馬車を止めればルインに話を聞くことも出来るだろうが、どちらにせよハイルの元へと赴くのだから、そこで直接聞けばいいとデュランは声をかけなかった。
(俺が思っている以上に事態は深刻なのかもしれないな。それも既に取り返しのできないほど最悪なくらいに……)
デュランは心の中で自分が今抱いていることが外れて欲しいと思いながらも、ハイルの屋敷を目指すことしかできなかった。
麦に限らず田畑とは作物を植えているときはもちろんのこと、休耕しているときでさえも、その手入れだけは怠ってはいけないものである。
何故なら一旦荒れ荒み雑草が生えたまま長い間放置してしまえば、再び土を整備してそのまま作物を植えたとしても上手く育たなくなってしまう。
これは土壌の酸性度はもちろんのこと、土の栄養素や水捌け具合など様々な要素が変わってしまうためでもある。
そして元の状態に戻すには早くとも数年、作物によっては10年という長い月日が必要になってしまう。
だから田畑の借り手がおらず作物を植えない休耕地であろうとも、その手入れだけは怠らないというのが所有するものの常識であった。
それから暫らく荒れ荒んだ麦畑を尻目に道なりに進むと、ようやくハイルの屋敷へと辿り着いた。
「ここ……か。にしても相変わらずデカイな」
デュランの元家の2倍以上の大きさの立派な屋敷を目の前にして、デュランは思わずそう呟いてしまう。
屋敷の周りにはグルリッと囲う形で石が積み上げられた石垣があり、正面に位置する表門にはレンガを積み上げて作られた立派なアーチ状の門がお目見えする。
それをくぐると真ん中には円状の青芝が顔を覗かせ、屋敷正面に向かって左周りに馬車は進んで行った。
基本的に正面から向かって左回りに屋敷へと入るのがマナーであり、これは行き交う際に馬や馬車とぶつからないようにとの決まりごとのようなものでもある。
「メリス、ドゥドゥ」
「ぶるるる」
デュランが手綱を少しだけ引き、メリスに歩くのを止めるように指示を出す。
それに従うように玄関傍で歩みを止めると、デュランは背中を撫でてここまで運んでくれたメリスの苦労を労う。
「コイツのこと、よろしく頼むな」
「…………」
すると屋敷の中からハイルの使用人らしき男がやって来て、デュランから手綱を受け取った。
一応声をかけたのだが、使用人は頷きも返事もしなかった。たぶんデュランのことを知っており、ここに来たことを歓迎されていないのかもしれない。
「さぁお兄様、参りましょうか」
「わかってる」
ルインも馬車を降りるとすぐに先導する形で、屋敷の中へと入って行ってしまう。
デュランも彼女の背を追う形でその後を追った。
「こうして中に入るのも久しぶりだな。俺が8歳のときのクリスマス以来になるから……10年ぶりになるのか」
「あら、そうなんですの?」
デュランは幼い頃ここへ来たきりなので、それこそ10年近く前の記憶が甦ってきていた。
だがその当時からデュランの父フォルトとハイルとの兄弟仲は完全に冷え切っており、それ以降この屋敷を訪れる機会に恵まれなかった。
それが皮肉にもハイルが生死を彷徨い、死期が近いときに再度訪れることになるとはデュランも夢には思わなかったことだろう。