第19話 刺客、登場!

 摩天楼ヤオヨロズは5階。探索者ギルドの本部があるここは、通称『電京駅』とも呼ばれている。その理由は至極単純で――各節目の階層に繋がる連絡路となっているからだ。大抵の場合、5階刻みで節目となる階層がヤオヨロズには用意されている。

 自力でそこまでたどり着いた探索者は、電京駅を利用することでその階層まで戻ることができる。俺とサナカも当然ながら、節目となる20階まで到達しており、21階から広がる惑いの森へ向かうため電京駅を利用していた。


「ここに来るのは昨日振りですね」


 21階に到着して、開口一番の言葉がそれだった。俺自身、まさか二日連続で21階に来るとは考えてもいなかったのは事実。探索者ギルドの支部を横目に、惑いの森へと足を踏み入れる。


 生い茂った木々と、領域に入った瞬間から漂い始める霧。

 惑いの森と呼ばれる所以だった。


「サナカ、もう分かってると思うが不必要に離れないこと。少しでも霧に飲まれるとはぐれるからな」

「はい、分かりました!」


 素直で元気のいい返事だが、ちょっと心配だ。目標の素材たちは惑いの森であればどこでも入手できるものだ。目的地である25階を目指す傍らで見つけることができるだろう。だから、俺たちが優先するべきなのは――はぐれず、迷わず、25階を目指すこと。

 このエリアのギミック『惑いの霧』に飲まれないように、必ず一定の距離間で移動し続けなければならない。


 そうして、警戒しながら進むこと三十分。既に23階まで差し掛かったが、素材は一つも見つかっていない。本来ならもっと簡単に見つかっているはずなのだが――なんて疑問を抱き始めた頃合いで「あ、師匠! あそこに金属樹木が見えます! 取ってきますね!」と、サナカがダッシュ。


「あ、おいま――」


 サナカのスペックはSランク。そんな彼女の全力ダッシュに俺が追いつけるわけもない。そして、彼女がそんな速度で離脱してしまえば――「あいつ……マジか!」惑いの霧に飲み込まれて、姿が消えるに決まっている。

 消失したサナカを追いかけても、もう遅い。この深い霧は軽微の知覚汚染すら含んでいるのだ。幻覚作用によって、惑いの森へ足を踏み入れる者たちの正しい認識を奪う。こうなってしまえば、合流するためには偶然出会うか……それとも、惑いの森を抜けるか、くらいしか道はなかった。


 まさか、サナカがここまで直情的だとは考えていなかった。


 初めてでもないのに、惑いの森ではぐれるとか……想定できなかった俺のミスか。ちゃんと対策アイテム持って来るんだったな。


「おーほっほっほ! お困りのようですわねっ!」

「ん?」


 甲高い女の声が響いた。霧で隠れて姿が見えないものの、確かに俺向かって放たれた言葉のように思えた。「何の用だ?」周囲を伺って、構える。同じ探索者であることは確かだが――必ずしも、その相手が俺にとって好ましいものかは分からない。「誰と聞かれたら、こう答えるしかないですわね」

 堂々とした、通りの良い声で女は続けた。


「どんな問題もパパっと解決。義侠に生きる、名探偵。このアスミが率いる魔労社とは私たちのことですの!」

「……は?」


 霧の中から姿を見せるのは、鹿撃ち帽に茶色いトレンチコートを着込んだいかにも、というような風貌の女性が姿を見せた。その衣服と似合わない金髪ツインテが目につくが……。「あなたがアサヒでお間違いがないですわね?」

 ぷかぷかと、咥えたパイプから白煙を吐き出して女は俺に問いただした。「ああ、そうだけど?」「素直にどうも」パイプを口に戻した彼女は、人差し指と中指を真っ直ぐ、俺に向けた。

 きらりと、光る指輪に目がいった。


「じゃ、さよなら。レヒト・ツヴァイ、ドライ!」


 電流が彼女の指から迸った。

 刹那――俺に向けて放たれるのは二つの雷。多少、気を張っていて良かった。紙一重、身を屈めたのが間に合った。毛先を放たれた雷が焦がしていく。髪の焦げる嫌な臭いが、鼻をついた。


「今のを避けるんですの? Dランクの動きじゃないですわね」


 魔法使い――本当なら杖やら何やらの分かりやすい触媒を持っているはず。だから気がつくのが遅れてしまった。恐らく、指に嵌めた指輪が触媒なのだろう。

 ほぼ一言の詠唱で、十分な威力の魔法を放った。彼女の実力故か、触媒が特別なのか――あるいは、その両方か。何が目的かは分からないが、武器なしの今戦うには荷が重い相手なのは違いない。


「レヒト・フィア!」


 その言葉で身構えたが、何かが起こる気配はない。とにかく、今は逃げるしかない。幸い、惑いの霧を使えば逃げるのに苦労はしないはずだ。女性から背を向けて、走り抜ける俺。「逃亡阻止――逃げられない」霧を切り裂くように、巨大な電動ノコギリが出現。

 地響きのような駆動音を響かせて、ギュルギュルと回転する円形の刃。それを上下に振って裂かれた霧から出現するのはスーツを着込んだ狼の獣人。


「私一人だと思ったんですの? 残念、魔労社には優秀な社員が沢山いますのよ! さぁ、大人しく捕まりなさい! リンク・アインス!」


 その言葉と共に出現するのは巨大な火球。たった一言で、この威力――!

 俺に向かって放たれたそれ、この窮地を乗り越えるには……俺は女性に向かって疾駆。スライディングと共に、迫る火球の下をくぐり抜ける。さっきの電撃で追尾性能がないことに賭けたが、正解。


「ふうん。いい胆力。なら」


 俺に向けて、右の人差し指と中指が向けられた。「レヒト・ツヴァイ、ドライ――」「そこだ」飛び上がって、俺は彼女の右腕を掴む。そして、先にいるであろう狼に向かって雷撃が放たれるように腕の位置を調整。


 彼女の詠唱と共に、鋭い電撃が狼に向かって放たれた。「……」己の得物を振るって、雷撃を防ぐ狼。そんなに上手くは行かないか。

 でも、分かったことがある。


「アンタの詠唱、声を張り上げて言うもんじゃないな」

「へぇ、ご高説ですの? この私に?」

「レヒトは右手。リンクは左手を指す言葉。アインスは親指から数えて、フュンスの小指まで割り振られた詠唱文だ。最初に使ったツヴァイ、ドライが人差し指と中指だろ。だから分かった」

「……っ!」


 この反応、俺の推測は多分ビンゴ。なら、対策も分かりやすい「その指輪、嵌められた手の位置に合わせて予め決められた魔法を発動するものだろう」ここまで説明して、彼女は顔を顰めた。


「それが分かったから、何ですの? 仕組みが分かっても勝てるわけじゃないでしょう」

「少なくとも、この間合いなら俺の方が強い。だろう?」

「うっ、それは――なんて、引っかかりましたわね! ナルカ!」

「なっ――まだ!」


 ニコっと笑みを浮かべた彼女は俺の身体を“むしろ”掴んで、その名を叫んだ。瞬間、濃霧の中から銃声が響いたかと思えば、銃弾が飛ぶ。身体を撃ち抜く「ッ!」鋭い痛みが俺を襲った。


「しっかりと生け捕りですわね」

「これだからダンジョンは面倒なんだよな」


 ツバを吐きながら姿を見せるのは、恐らくナルカという名前の女だ。派手な革ジャンを羽織った小柄な女性で、目つきも態度も悪い。クソ、素手じゃキツいな。「俺に何の用だ?」「それは、知る必要がないことですわ」命を狙われる覚えは――まぁ、多少はあるけど!


 取りあえず、ここは観念するしかないか。


 なんて、諦めた所で。


 霧が切り裂かれた。

 この場にいる俺を含めた四人が――全員、裂かれた霧へ視線を向けざるを得なかった。その先にいる、圧倒的強者のオーラに触れてしまったから。


「師匠に、何してるの?」


 一歩、踏み込んで姿を見せるのは鎌を携えた弟子――サナカだった。その圧は、確かにSランクの物。この場において彼女こそが支配者であると知らしめるには、十分すぎるほどだった。