その時だった。
派手な音がして、本部の扉が開け放たれた。
思わず時生はそちらに顔を向ける。そしてぎょっとして目を見開いた。
左目にお札のようなものが貼り付けられ、垂れ下がっている、帽子に
「失礼するアルヨ!」
「また来たの?
「人面犬が出たアルヨ!」
「ああ、また例の吸血鬼の?
「そうアルよ! 我もう、うんざりアルヨ!」
「悪いんだけど、今日は午後から大切な会議があるから、大規模捜索は明日にならないと無理だよ。これまでの結果で、少なくとも満月の時以外は、ただの迷子犬だと分かっているし、我慢して。ね?」
異様な風貌の青年に向かい、結櫻が微笑している。時生が唖然としていると、それに気づいて結櫻が顔を向けた。
「ああ、こちらは
結櫻の説明に、本物のあやかしを初めて目視し、目を丸くした時生は、冷や汗をかく。異様な風貌である点を除けば、人間と変わらないように見える。
「誰アルカ?」
「ああ、偲の家の人。時生くんだよ」
「偲の! 我、偲にも用事アルヨ!」
「今出かけてるよ。どんな用事? 僕が代わりに聞こうか?」
「結櫻じゃ役立たずアルヨ!」
「酷い言い草だね。帰っていいよ」
笑顔できっぱりと言い、結櫻が右手首をひょいひょいと動かして出て行けという仕草をした。
「じゃあ伝言するアルヨ。この国には、『灯台下暗し』という諺がアルヨ」
時生は、昨日やった犬棒カルタにも、その諺が出てきたなと漠然と考えた。
「それがどうかしたの?」
「それだけアルヨ! 我は帰るアルヨ!」
そう言うと不意に、まるで宙に溶けるように、凛絽雨の姿が消失した。
驚愕して時生はその場を凝視してから、ゆっくりと二度瞬きをする。もう、何処にもいない。
「随分と驚いてるけど、あやかしには慣れていないの?」
「は、はい。初めて見ました……」
「そうなんだ? 勇気あるね、それなのにここまで来るなんて。みんな怖がって、この部屋まで来ないんだよね」
そう言うとクスクスと結櫻が笑った。
それからすぐ、再び扉が開いた。するとぞろぞろと軍服姿の人々が入ってくる。
その一番後ろから、偲が入ってきた。
偲は何気ない様子で時生の方を見る。その結果、目が合ったので、時生は思わず書類を持ち上げた。
「時生、何故ここに……あ! その書類は……!」
「お忘れになられていて……」
「助かった。本当に助かった。ありがとう、持ってきてくれたのだな」
偲は時生に歩みより、封筒を受け取る。そして中身を確認するように、書類の束を取り出した。異国語で書かれている部分があって、時生は何気なくそれを見る。
「あ」
そして思わず、声を零した。
「どうかしたか?」
「そ、その……最初のページの、上から三番目の段落の、二行目……『過去を見る』と、四段目に翻訳してありますが、『Iwill be going to see』は、予定を表す『be going to』とは違うから、『見に行くことにしている』の方が……」
「ん? ――あ、本当だ。危ないところだった。気づかなかった」
偲が慌てたように書類の該当部分を確認している。
すると青年が一人歩みよってきて、書類を覗きこんだ。
「悪ぃ。そこ、俺が訳してミスったんだわ」
「
「いやぁ、よかったよ本当。今日は陸軍のお偉いさんも来るからな。差し替えよう、まだ五分ある」
「ああ。すぐに俺が直す」
「任せた」
青波と呼ばれた青年に頷き返してから、偲が時生を見る。
「本当に助かった。送っていきたいのだが――」
「あ、一人で帰れます」
「そうか、悪いな……本当にありがとう」
偲が深々と頭を下げる。その隣で青波が腕を組む。
「随分と英語に堪能なんだな。こちらは?」
「俺の家で今、澪の世話をしてくれている時生だ」
「ああ、噂の時生くんか。偲が珍しくプライベートの話をしたと思ったら、名前が出たあの時生くんだな?」
「青波……余計なことを言うな」
「はいはい」
二人の言葉に、曖昧に時生は笑った。
その後、忙しなく皆が働き始めたので、時生は一礼してから、本部の部屋を後にした。