episode_0100

「すまない。そんな事情があったなんて知らなかった」

「いや。俺も話していなかったからな」


 嫌な空気が二人の間に流れる。そんな中、「俺は」とオルキデアは口を開く。


「お前の結婚を否定するつもりは無い。セシリアもお前と一緒なら幸せになれるだろう。

 だが自分が結婚するとなると話しは別だ。俺は両親を見ていたからか、どうしても、結婚して幸せになる自分と、俺の隣で共に幸せになる相手が想像出来ないんだ」


 空になったどちらかのグラスの氷が音を立てる。


「結婚すれば、相手を第一に考えなければならない。自分にとって、一番大切な存在となるだろう。

 だが、俺たちが不在の間に、相手に何かあったらどうする? 戦争に巻き込まれたら? 軍部の思惑やクーデターに巻き込まれたらどうする?」

「おい、声が大きい……!」


 この国では過去に何度かクーデターが起こっている。いずれも失敗しているが、国や軍の上層部は、今もクーデターと反国家組織の存在に過敏になっている。

 こんな安酒場にはいないだろうが、万が一がある。

 オルキデアを諫めると「すまない」と返される。


「大切な存在が増えるということは、自分が守らなければならないもの、攻撃されると自分が弱くなる場所ーー弱点が増えることだと、俺は思うよ」


 大切な存在が増えれば、その分だけ自分の弱点が増えてしまう。

 それが壊されてしまえば、自分は弱くなると。

 クシャースラは「そうかもしれんが。お前なあ……」と苦笑する。


「大切な存在が増えた分だけ、自分が弱くなると言いたいのか」

「俺の父上がそうだったからな」


 オルキデアの父親であるエラフは、妻のティシュトリアと息子のオルキデアという弱点を抱えていた。

 ティシュトリアを離縁しなかったエラフは、妻によって内側から攻撃されて、財産を失った。

 更には、妻ごと息子のオルキデアを守ろうとするあまり、身体に無理をして亡くなった。

 二人がいなければ、エラフは財産を失わず、早逝しなかっただろう。


「父上が死んだ原因は、俺にあるのも同然だ」

「それは違う! お前のお父上は過労で……」

「父上は子供が生まれれば、母上が他の男の元に通わなくなると考えたに違いない。

 だが、生まれたのが俺だった。

 俺じゃなければ、母上を屋敷に留めておけただろう。そうすれば、我が家には今も財産があった。父上も身体を壊すまで働かずに済んだ。……今も生きていただろうさ。生まれたのが俺じゃなければ!」


 そう言って、握った拳でカウンターを強く叩いたオルキデアだったが、その後に呟いた言葉を、クシャースラは今でもはっきりと覚えている。


「俺が生まれなければ、良かった……」

「オルキデア!」


 クシャースラが振り向くと、オルキデアはカウンターに突っ伏して寝息を立てていた。

 クシャースラは大きく息を吐き出すと、親友の身体に自分のコートを掛けてやる。

 親友が寝落ちする姿を初めて見た。

 いつもはクシャースラが先に酔い潰れて、それをオルキデアが介抱してくれた。


「……生まれてこなければ良かったとか言うな。バカ」


 ーーお前がいなかったら、おれは妻だけじゃなくて、かけがえのない親友も手に入れられなかったんだぞ。


 クシャースラはそっと呟くと、二人分の支払いをして席を立ったのだった。