「ひたすら山の中を歩き回って、空腹を満たすために食べる物を探した」
川を見つけてはたくさん水を飲んで、生きるために何でも良いから口にした。
葉っぱも草も、カエルも虫も、木の枝だって食べた。
そうやって何とか生き延びていたある日、雨が降ったの。
「雨は嫌いだった。寒くて、前が見えなくて、地面も歩きにくくなる」
じっとしていたくても、お腹が減って食べ物を探すしかなかった。
だから私はその日もいつも通り歩き回って…でもそれが間違いだった。
泥濘で滑って、急斜面な崖に滑り落ちる。
その時死ねていたら、もしかしたらその方が楽だったのかもしれない。
私の左足は、普通ではあり得ない方向に折れ曲がっていた。
「ぐ、ぅ…いだ、い…うう゛」
激痛でぴくりとも動かない足を引きずり、上半身だけでもがき苦しむ。
止むことのない痛みに涙が止まらなくて、泥と涙で顔はぐちゃぐちゃだった。
雨が激しさを増し、地面に跳ね返って私に泥をかけてくる。
残酷に体温を奪い、早く死になさいと言われているように感じた。
「たず…げ、で…」
必死に助けを求めても、誰も助けてはくれなかった。
例え見つけられたとしても私を助けようと思う人なんていないのは十分にわかっている。
それでもひたすら叫び続けた。
反対に折れ曲がった左足が痛くて、まともな物を食べていないお腹が痛くて、誰も助けてくれない現実に心が痛くて、ずっとずっと泣き叫んだ。
崖から落ちて一日が経ち、雨も上がった頃。
足の痛みは少しずつ麻痺して叫ばなくても耐えられるようになる。
本当は、もう大声を出す力も残っていなかった。
「おなが…ずい、だ…」
もうはっきりとした言葉が発せられない。
でも何かを話していないと、死んでしまう気がした。
腕だけでじりじりと前に進んで食べ物を探し、目の前の土にかぶり付く。
こんな状態で探しても、土以外に口に出来る物なんて見つけられない。
「ぐ、うぇ…う゛うぅ…ッ」
ジャリジャリと音の鳴る土をひたすら食べ続け、そのまま力尽きるように顔を地面へ横たわらせた。
「わた、じ…は、だれ…?」
体が限界になった直後、すぐに脳にも限界が訪れた。
自分は誰なのかを自分自身に認識させることで必死に生きようと精神を保つ。
けれど、それさえも出来なくなった。
自分の名前さえも、今自分は何をしているのかさえも、何もかもわからなくなる。
「だ…れ…?」
そう言ったのが、私の最後の言葉だった。
崖から落ちて何日生きていたのか、腕だけでどれくらいさ迷っていたのか、はっきりとはわからない。
意識を手放したその瞬間、私は自分の死体の前で立ち尽くしていた。
自分が死んだことを自覚するまで、少し時間がかかる。
目の前の死体があまりにも悲惨で、グチャグチャだったから、一瞬誰だかわからなかった。
ドロドロで細くて小さい。
足は変な方向に曲がっているし、口からは得体の知れない虫が蠢いている。
幽霊の自分よりも、ずっとずっと死体の方が人には見えなかった。
悲しくて悲しくて、自分の死体に触れようとしたその時…
「…ッ!」
突然、大量の黒い大きな虫達が空から現れて、私の方へと突進してくる。
怖くなって、必死で走って逃げ出した。
走っても走っても地面を伝って追いかけてくる虫に、泣きながら逃げ続ける。
もう駄目だと思った瞬間、突然後ろにいたはずの虫達が方向転換をし始めた。
方向を変えた先には、人のような形をした何かが倒れていて、その隣に虫達が群がり始める。
あまりの恐怖に、私はその場から急いで逃げてなおと出会った崖まで辿りついた。
今思えば、あれは死んだ人を迎えに来る役目のものだったのかもしれない。
けれど、その時は冷静に判断することなんか出来なくて恐怖しか感じなかった。
「これが私の覚えてる、生前の記憶の全部…」
そう言い終えた後、なおの顔を見ようと視線を上にあげる。
そしたら突然、ぎゅっと体を抱きしめられた。
思いもよらないなおの行動に目を見開く。
「ごめん…今、顔見ないで」
なおの声はすごく震えていて、泣いているのだとわかった。
私のために泣いてくれることが嬉しくて、生前のことなんかよりも、なおの優しい行動に目頭が熱くなる。
「話してくれて…ありがとう」
「…うん」
「辛かった、だろ」
苦しかったよな…そう声を震わせながら、強く抱きしめてくれるなおの肩に、私の涙が落ちた。
この温かさや、優しい言葉が、涙を止まらなくさせる。
もう耐えることなんか出来なかった。
「う゛ぅ…」
もっと生きたかった。
もっともっと、愛されたかった。
「う゛あああぁッッ」
初めて自分の辛かった気持ちを、全て吐き出しながら泣いた。
嗚咽するほど泣き叫んで、なおの迷惑なんて考えずにひたすらしがみ付く。
なおの服が、もう私の涙で大きな染みを作っていた。
「なお!なお!うわあぁッ」
「……。」
何も言わずに頭を撫でてくれる大きな手が、私の苦しみを吸い取ってくれているみたいだった。
一時間程泣き続けてようやく治まる涙。
目が腫れてヒクヒクと体は痙攣しているままだけど、涙はやっと止まってくれた。
そんな私を見て、抱きしめてくれていたなおがゆっくりと手を離す。
「なお…?」
何も言わずに立ち上がって、私から離れていくなおの姿に不安になり声をかける。
私の心配を余所に、なおは扉付近に置いていたビニール袋を持って、私の前へと戻ってきてくれた。
「これ、食べよ。全部」
「え…?」
ビニール袋をひっくり返されて驚いた。
カップ麺やお菓子が大量に床へ落ちてくる。
目を見開いてびっくりしていたら、なおが笑いながら声をかけてくれた。
「なんだよ、その顔。足りなくなったらまた買えばいいし、どれから食べる?やっぱカップ麺か?」
私が何て返事をしようか迷っていると、なおが察したのか無理やりカップ麺を手に持って立ち上がる。
ポットでお湯を注いで、また私の元へ戻ってきてくれた。
「三分待つ間はこれな」
スナック菓子の袋を開けてお菓子を手に持つと、私の口の前に近づけてくる。
美味しそうな匂いに口を開けそうになり、すぐに口を閉じて俯いた。
なおはきっと、私が遠慮しているんだと思ってる。
成仏してしまうかもしれないと思って拒否しているということは言えなかった。なのに…
「食べて消えるなら、僕が前に食べさせた時に消えてるはずだろ?」
「え…?」
「ほら、口開けろ」
なおに優しく促されて口を小さく開けた。
控えめに開ける私の口へ少し無理やり詰め込むようにお菓子を入れられる。
ゆっくりとその味を噛みしめた後、ゴクンと勢い良く呑み込んだ。
「なお…」
「ん?」
「何で、わかったの…?」
「あのな、今更なつが飯のことについて遠慮すると思うか?」
これでも三ヶ月、なつと一緒にいたんだ。
なつの性格くらい、とっくの昔にわかってるよ。
そう俯きながら呟いた後、また私の口にお菓子を差し出してくれる。
三分経ったカップ麺も、お箸で一口ずつ食べさせてくれた。
「ふ…うぅッ」
「泣いてたら食べれないだろ」
ご飯が食べれているから泣いてるんじゃない。
ここにある食べ物を一つ一つ食べさせてくれているなおの優しさが嬉しくて、優しいなおが大好きで泣いてるんだよ。
そう伝えたかった言葉は、食べ物を口にいっぱい入れていた所為で言えなかった。
「美味い?」
「ぅん…ッ、ぅん…」
優しく微笑むあなたが私の全てなんだって、心の底から伝えたかったのに…
全然、言葉が出てこなかった。