第57話 師弟爆誕

 マシューが工房にやってきたのは、前回石けんを作ってから1週間後のことだった。

 型出しと切り分けのためにやってきたのだが、またもや荷車で何かを持ってきている。

 息子夫婦に道具を捨てられたと言っていたが、カモミールはもはや捨てられたのは本当はごく一部なのではないかと疑問になっていた。


「キャリーさん、石けんの師匠のマシュー・キートンさんよ……って、知ってるよね」

「知ってますよ。キートンさん、ギルドの常連でしたから。座ってるだけでしたけど」

「お互い見慣れた顔じゃな、場所は違うがの。――さて、今日は型から出して切り分けるわけじゃが、その後は一個一個の間に隙間を少し空けて乾燥させる分、今までよりも場所を食うんじゃよ。

 と言うわけで、ここの屋根裏部屋に合わせて棚を作ってきたのじゃ。ほれ、テオ、どんどん上に運んで組み立ててくれ」

「あー、マシューはじじいになって人使いが荒くなったなあ……」


 愚痴をこぼしながらもテオははしごを登って、高い身長を活かして下から組み立て前の棚のパーツを受け取り、どんどん屋根裏に置いていく。

 彼は手先が器用なので、棚の組み立てなどは朝飯前だろう。


 棚と言われてカモミールはハッとした。完全に頭から抜け落ちていたのだ。

 マシューは石けん作りに必要な物をほとんど全て持ってきてくれている。


「マシュー先生、その棚を作るのにかかった費用を教えてください。キャリーさんが経費から出してくれますから」

「それはありがたい。しかし、いくらだったかのう……」


 ものの見事に、錬金術師にありがちな「素材原価のどんぶり勘定」が出ている。キャリーが怒るかと思ったが、彼女は父親の件で慣れきっているのか、なんでもない顔をしていた。


「材料はどこで買いましたか? 後でちょっと出向いて、仕入れ値を調べて計算します。――カモミールさん、そんな心配そうな顔を向けなくても大丈夫ですよ。ここのお仕事、そんなに量があるわけじゃないので今はかなり余裕がありますから」

「頼もしすぎて涙出そう……」

「ただ、お披露目会が終わって販売が始まったらどうなるかわからないので、正直怖いとは思ってます」


 それにはカモミールも同意出来る。ただ、現状支出ばかりでお披露目会が終わらないと収入がないので、早く収入が欲しい気持ちも大きかった。


 減り続ける経費が心配になって、一度キャリーにテオのポーションを売るかと相談してみたことがあるのだが、テオのポーションを見たキャリーは真顔でカモミールの肩を掴んで止めてきた。


「これは市場に出回らせてはいけないものです。今ポーションを作っている錬金術師の生活が成り立たなくなります」


 聞けば、やはりキャリーの父であるギルド長はポーションも作っているらしい。新規の研究をするのではなくでなく既存のレシピが知れ渡っているポーションを作るだけなら、ギルド長としての休日にできるからだろう。



 テオが棚を組み立てる間、石けんを切り分ける作業に入ることになった。

 木箱をひっくり返して底を叩くと、ぬるりぬるりといった鈍い動きで石けんが出てくる。まだかなり湿っているから、型出しを全て終えるには時間がかかりそうだ。


 そしてマシューは、自作らしい見たことのない形の木箱をテーブルの上に設置した。全くの四角ではなく、底の部分だけが長い。その部分は側面の壁もない。


「これはどうやって使うんですか?」

「見てみた方が早いのう。ここに石けんの塊を入れるじゃろう? この伸びている底の部分に目盛りがついているから、端っこをそこまで押し出す。そして、こうじゃ」


 糸鋸の鋸部分を外してワイヤーを張ったような器具を、マシューは石けんの上部に当てるとそれで石けんをすぱりと切り取った。厚みはきっちりと2センチあって、切り口も滑らかで美しい。


「えー、凄い! 今までは包丁で切って量り売りでした!」

「冷製法で作ると、型出しをした時点ではまだかなり柔らかいからのう。包丁で切るよりもこっちの方が圧倒的に早くて切り口は綺麗だし、大きさは均一じゃ。これからはこれを使いなさい」


 マシューが得意げにしていると、キャリーがいつの間にか彼の隣に立って器具を凝視していた。


「素晴らしく合理的……しかもギルドにいても見たことがない独自の発明ですね。キートンさんにこんな技術があったなんて」

「こっちはあくまで『石けんを作った後にどれだけ楽をするか』という観点で儂がひとりで作った物じゃ。本領はあくまで石けん作りじゃぞ」

「キートン先生、弟子にしてくださいっ!!」

「うわっ、驚いた!」


 キャリーが突然マシューの手を取って叫んだので、カモミールはティンクシャーが入ったガラス瓶を落としそうになった。

 確かにキャリーがマシューの弟子になってくれないかと思ったこともあるのだが、まさか現実になるとは思ってもみなかったのだ。


「ノートも拝見したんですけど、あれ何代にもわたって書いてるのに、新しい方は半分以上筆跡同じでした。熱量が凄いなーとは思ってましたけど、石けんも実際に使って違いに驚きましたし、今日の手際の良さも素晴らしいです!

 私を! 先生の石けん作りの弟子にしてください!!」


 突然のキャリーの熱い言葉にカモミールは立ち上がり、マシューは腰を抜かしそうになっている。


「おおおおおお!! 引け腰ではない弟子入り希望が儂に来ようとは! もちろん、もちろん大歓迎じゃ! これで次の世代に技を残すことができる!」


 感動のあまりか孫くらいの歳であるキャリーの手を握りしめ、マシューは涙を流さんばかりに喜んでいる。

 引け腰の弟子入り希望ことカモミールは、その光景に思わず拍手した。


 マシューは高齢のため、この先長いこと石けん作りのために雇い続けることができないことが懸念事項だった。

 キャリーはキャリーで経理の仕事があるのだが、服を買いに行ったときの行動力を見ると、その仕事をこなしながら石けん作りの専門知識すら習得しそうだ。マシューが現役でいるうちにキャリーが更に弟子を取れば、人手に関しては解決する話でもある。


 おそらく、彼女の本来の仕事である経理が忙しくなるお披露目会の前に、石けん作りに関するあらかたの知識は習得してしまうだろう。彼女の頭の回転の速さは折り紙付きだ。


「まず、この石けんを切ってみてもいいですか?」

「やってみなさい、やってみなさい」


 新しい技術にわくわくする弟子と、それを嬉しそうに見守る師が目の前にいる。

 キャリーは石けんをワイヤーで切ると「不思議な切り心地! なんだかはまりそうです!」と叫んでいて、マシューがうむうむと頷いている。


「私と先生もああだったなあ……」


 微笑ましい気持ちでカモミールはふたりを見守っている。

 カールセンにやってきてロクサーヌの工房で初めてビーカーやフラスコに触ったときのわくわくとした気持ちは今でも鮮やかに思い出せる。


「よしっ、私も頑張ろう! まずはこのティンクシャーとポーションで化粧水を作って、そこから新製品の試作よ」


 カモミールとキャリーで決めた「アトリエ・カモミール」の休日は週2日だ。忙しいときはその限りではないが、そういった場合に出金したときの給与計算についてもキャリーが明文化してくれた。


 次の休みの日までに化粧水はできそうなので、カモミールは未だ誰も作ったことがない新製品についての制作を始めようと決めていた。