第34話 魔法使い

「えーと……僕の気のせいでなかったら、出かける前に『帰ったら話したいことがある』って凄い真顔で言ってたけど。僕はミリーに叱られる覚悟をしてここで待ってたよ」

「あ、ああああー。そういえば言ったわ!」


 あの時はカモミールが気にしている童顔を更に幼く可愛く仕上げたヴァージルにガツンと文句を言ってやろうと思ったのだが、イヴォンヌの手前やめたのだ。


「可愛くしてくれようっていうのはわかるのよ。でも今日のはちょっとやり過ぎじゃない? 私、侯爵家のジョナス様に求婚されちゃったわよ! 妖精のように美しいなんて言われちゃって!」


 あの温室で起こった出来事を話すと、ヴァージルは見るからに狼狽した。


「……侯爵家の? そ、それでミリーはどうしたの?」

「え? もちろん断ったよ。好きな人がいますので、って言って」

「良かったー。……って、ミリー、好きな人がいるの!?」


 一言話す度にヴァージルが顔色を変えていた。求婚を断ったことに安堵して見せたかと思えば、別のことで青くなっている。


「いないよ! 断るためにそういうのが一番いいかなと思ったの! でも、結婚して欲しいなんて言われたのは初めてで、相手が7歳でもちょっと嬉しくなっちゃった」

「……そうか。ジョナス様は7歳だったね……今一瞬忘れてたよ」


 はぁぁぁー、と盛大にため息をつくと、ヴァージルはテーブルに突っ伏した。


「……私、もし将来結婚するなら、ヴァージルみたいな人がいいな」


 ジョナスに求婚されたとき、ヴァージルのことを思い浮かべたのを思い出した。この優しい幼馴染みが隣にいる今が一番気楽だから、きっとそう思ったのだろう。だから、結婚するなら、肩肘張らずにその先も生きていける相手がいい。

 そんなことを考えていると、隣の幼馴染みがはっと息を飲んだのが伝わってきた。


「み、ミリー、それって……」

「何固まってるの? ヴァージル『みたいな』人がいい、って言ったでしょ。いつでも私のことを一番に考えてくれてー、いろんな事に気がついてー、優しくてー。そんな旦那さんが理想よね」

「な、なるほど。僕『みたいな』であって僕じゃないんだね」


 何故かヴァージルはほっとしたような、それでいて寂しそうな顔をしていた。

 つきり、と胸が軽く痛む。それが何故かわからないままでカモミールは言葉を続けた。


「うん、だって、ヴァージルとはそういうのじゃないし。ただの幼馴染みだし。――そう、私たちはそういうのじゃ……痛っ」


 頭にきりを刺されたような激しい頭痛がカモミールを襲った。思わず痛んだ場所を手で押さえてうずくまる。


「あ、頭が……痛い」

「ミリー!」


 ヴァージルが顔色を無くしてカモミールを抱き留める。彼に寄りかかったまま、カモミールはうなされるようにしゃべり続けた。


「わたし……ヴァージルとずっと一緒がいい……あなたが私を幼馴染みとしか見てくれなくても、隣にいてくれれば……」

「ミリー、それ以上考えちゃダメだ! 僕の目を見て」


 有無を言わせぬ口調でヴァージルが命令すると、カモミールは視点が定まらぬままふらふらと顔を上げた。

 その彼女にキスが出来そうなくらい顔を近づけて、ヴァージルはこつりと額を合わせる。ヴァージルの目の中にはカモミールの目が、カモミールの目の中にはヴァージルの目だけが映っていた。


「ミリーは僕に恋愛感情なんて持ってない。僕たちは付き合いの長いただの幼馴染み。――いいね?」

「わたしは、ヴァージルに恋愛感情なんて持ってない……私たちは、ただの幼馴染み……くぅっ!」


 操り人形のようにヴァージルの言葉を復唱したカモミールが頭を押さえて苦悶する。ヴァージルは歯を食いしばりながらカモミールをぎゅっと抱きしめていた。


「ごめん、ごめんミリー」

「痛い……頭が」

「眠るんだ。そうしたら頭が痛いのも治ってるから。……僕への気持ちもなかったことになって」

「なんで……なんで忘れないといけないの」


 ヴァージルはそれには応えず、カモミールに送る魔力を増やした。陽炎のようにヴァージルの周りが揺らめき、それがカモミールに吸い込まれきると、ことりと彼女の頭が落ちて、寝息が聞こえ始めた。


「……ミリー」


 誰が聞いても、彼が呼んだ名前には愛情がこもっていた。自分の気持ちも押し殺して、うっかり噛んでしまった口の端からヴァージルは血を流している。


「――おい」

「見てた? よね。当然」


 部屋の隅で姿を消していたらしいテオが、壁に寄りかかったままでヴァージルに声をかける。


「ヴァージル、おまえもうやめろ、カモミールに魔法をかけるのは。初めてじゃないんだろ? これは拒否反応だ。どんどんこれから酷くなる。心を操る魔法は抵抗がでかいし、確か禁呪のはずだろう」

「魔法使いなんていなくなったって言われてる現代で、禁呪なんてもう有名無実だよ。……それにしても、『なんで』って聞かないんだね」


 カモミールを愛おしげに抱きしめて背中を撫でながら、ヴァージルがテオに尋ねる。その顔は今にも泣き出しそうで、声は苦しげだった。


「興味ねえから」

「興味あること以外は関係ないのかあ。いかにも精霊だなあ」


 テオの答えにヴァージルは苦笑した。


「そのまま、ミリーに何も言わないでくれると嬉しいんだけど」

「……カモミールは俺の主人だ。これ以上害するなら止める。まあ、おまえもこいつに苦痛を与えたくてやってるわけじゃねえってのはわかるけどよ」

「幼馴染みが一番いいんだ。近くにいられて、男女関係なく気楽に頼り合えて。――だから、僕もミリーも恋愛感情なんて持たない方がいいんだよ……」

「魔法使いが今の時代に生きにくいってのは、それか」

「うん、そうだね。しがらみばかり多くて、僕の力では自由になれない……さてと、ミリーを寝かせてあげないと。エノラおばさんの家に連れて行くよ。屋根裏部屋に運ぶのはさすがに無理だ」


 カモミールを横抱きに抱え直して、ヴァージルは工房を出て行った。慌てたエノラに「疲れて眠っちゃったみたいで」と説明して、ヴァージルは苦労して3階の部屋へカモミールを運んだ。

 カモミールの顔色は真っ白で、痛みに相当苦しんだことが見て取れる。そして、彼女に負けないくらいヴァージルの顔色も悪かった。


「今だけ、今だけだったら――」


 カモミールを寝かせたベッドに自分も腰掛けると、血の気の引いたカモミールの手を取り、ヴァージルはゆっくりと彼女の額に唇を落とした。


「愛してるよ、ミリー。君が一番大事なのは嘘じゃない。でも、僕は……」


 ヴァージルはそのまま無言で俯く。窓の外は鮮やかな夕焼けが広がっていた。