明かされる過去《三》

 霊斬はその日の夕方。

 一度そば屋へ寄り、千砂に伝言をすると店を出た。

 よくいく飯屋へ足を伸ばした。

「いらっしゃい!」

「よぉ、大将」

「いつもの席でいいかい?」

 元気な大将の声に、霊斬はほっとする。

「ああ」

「ご注文は?」

「酒」

「あいよ」

 霊斬は大将との話を終えると、奥の襖を開けた。

 中は四角い大きめの机がひとつと、座布団がふたつの個室。

 霊斬は壁の方に座ると、酒がくるのを待った。


 そのころ千砂は、伝言のとおり飯屋を訪れた。

「ごめんください。幻鷲さん、きていますか?」

「ああ」

 と笑みを見せた大将は、奥の襖を指さした。


「失礼します」

 応じる声を聞いて、千砂が中へ入ると、徳利をかたむけている霊斬がいる。

「急に呼び出して、悪かったな」

 襖を閉めてから、千砂が口を開く。

「気にしないでおくれ。なんだい? 話って?」

「ちょっとした昔話をな」

 霊斬は酒の追加を注文する。

「まあ、聞いてくれよ」

 出された徳利を手に取ると、盃に注ぐ。

「はいよ」

「俺の家のこと、話したよな?」

「聞いたよ」

「その続きだ」

 霊斬は酒を呑みながら、語り始めた。



 家を出てから、彼と乳母は、乳母の実家に向かった。

 小ぢんまりとした家だったが、今まで住んでいた納屋より遥かによかった。

 わけを大雑把に話し納得してもらったので、二人はしばらくそこで世話になることに。

 彼は礼儀正しいが、ほとんど言葉を発さなかった。誰かに心を開こうともしなかった。

 その様子を乳母と、乳母の両親も心配していた。

 そのころ、彼は乳母の父親の手伝いで田んぼに出ていた。

 あぜ道を近くの子どもらが、楽しそうに駆けていく。

 彼はその様子を見送った。

 その様子を乳母の父親は悲しそうに眺めた。


 それから二年後、乳母の実家で生活していくうちに、彼は美しい少年へと成長していた。

 そんな彼が、乳母に言った。

「旅に出たい」

 会話そのものが久し振りで嬉しかった乳母とは異なり、彼は静かな声だった。

「どうして? ここは安全なのに」

「自分になにができるのか、知りたい。それが仕事になればなおさら。そうしたら、あなたに恩返しができる」

 乳母は思わず泣いてしまう。

 辛い思いをしてきたのは、他でもない彼だ。そんな優しい子に育っているとは夢にも思わなかった。

 乳母はそれを了承し、旅支度を整えてくれた。雑刀まであることに、彼は驚いた。

「身を守るものくらい、ないといけないからね。これをあげよう」

 なんの装飾もない黒一色の短刀を、乳母の父が渡してくれた。

「ありがとうございます」

「実は、私も武家の出身なんだ。君のために磨いておいて正解だったようだ」

 彼が受け取ると、乳母の父は破顔して言った。

 彼は再度礼を言い、乳母の家を旅立った。



 彼の中に恐怖はなく、ひとまず旅をしてみようという気分でいた。油断しているわけでもなく、ただ自然とそう思えた。

 歩いてしばらくすると日が暮れてくる。

 彼は火をおこそうと荷物と雑刀を木の近くに置いた。

 登って枝を折っているところを、五人の野盗に絡まれた。

「こんなところでなにしてんだ?」

 彼は無言で木から飛び降り、その場を去ろうとする。

 しかし、く手を阻まれる。

「いい顔してんな。捕まえて金にするか」

 ――冗談じゃない!

 警戒心をあらわにしていると、一人の男の手が伸びる。

 彼はとっさにその手を払う。懐から短刀を取り出して、鞘を投げ捨て構えた。鋼色の刀身が夕焼けに反射して、ぎらりと光る。

餓鬼がきのくせに、いい根性してるじゃねぇか。死んでも知らねぇぞ?」

 その一言で男が襲いかかってくる。彼はそれを躱し、懐に入り込むと心臓を刺し貫いた。

「人は見た目だけで判断するもんじゃないよ? 死ぬのはそっちなんだから」

 まだ脈打つ心臓の鼓動を、得物越しに感じながら彼は短刀を抜いた。

 頬に返り血を浴び、鮮血で真っ赤に染め上げられた短刀を手にしている。そんな少年が、男達に暗い双眸を向けた。

 男達は情けない悲鳴を上げて、逃げ出した。

 彼は今日で十三になったばかり。しかし、初めて人を斬った日になった。

 彼は地面に転がっている鞘を拾い、刃を仕舞うと、骸はそのままにその場から去った。


 それからの彼は酷かった。

 乳母が作ってくれた握り飯も血の味しかせず、飲み水も同じ。せめて水だけは飲むように心がけ、旅を始めて数月。彼は敵にのみ、その刃を振るった。その腕を買われ用心棒となり、僅かな金を稼ぎながら、飯にありついていた。といっても、水しか飲まなかったが。


 旅をして一年が経ったある日、彼が道を歩いていると三十歳くらいの男に声をかけられた。このころ、少しの飯くらいは食べられるようになっていた。

 江戸に近いのか、旅装束の人らがいきかう。その中でも、多くの刀を背負って歩いている男に自然と目がいった。

「お前さん、ちょっとこれ、見ていきなよ」

 その男が声をかけてきた。

「金がない」

「なくてもいいからさ」

 仕方なく彼は鍛冶屋の商品を、眺めるもよさが分からず困惑。

「刀のよさなんて、使い手にはよく分からんか。……お前さん、血の匂いがする」

 鍛冶屋は突然、核心をついた台詞せりふを言う。

「血の匂い?」

 彼が警戒心をあらわにする。