それから一月後のある日、一人の武士が店を訪れる。
「刀の修理と、話があります」
「どうぞ」
霊斬は言い、武士を奥へ通す。
「まず刀を、見せてくださいますか?」
差し出された刀を恭しく受け取ると、刀身に視線を走らせる。すぐに鞘に仕舞うと、武士に向き合う。
「それで、話とは?」
「〝因縁引受人〟で間違いないですか?」
「いかにも。人を殺めぬこの私に頼んで、二度と後悔なさいませんか?」
霊斬は静かな声で尋ねる。
「はい、兄に罰を与えてほしいのです」
「なぜですか?」
「あいつは僕にないものを、すべて持っているんです」
「たとえば?」
「地位や名誉も手にしている。女房がいて仲がいいのがよく分かる。僕なりに努力しているけれど、なにも報われたためしがない。
あいつからすべてを奪って。亡き者にしてやりたいとすら思う。……でもそれは、できない」
武士は悔しそうに唇を噛む。
――嫉妬か……。
霊斬は思いながら、話を続けさせる。
「昼に頼むそばの値が自分のものより少し高いし、家臣からの信頼も厚い。報酬を多くもらっているのは、普段の営みを見ていれば分かる」
霊斬は話を聞きながら、思案する。
「あるときを境に、少しずつ羽振りがよくなっていると?」
「それがまた苛立つ。誰かに自慢するわけでもない。自分のためだけにやっているというのが伝わってくる」
「そうですか」
霊斬は冷静に、武士の怒りに歪んだ顔を見る。
「あいつは仕事をなんでも成功させて、出世していく。それなのに、僕はこのまま。そんなの、もう耐えられそうにない。頼むからどうか、あいつに罰を」
「私ができることは、あなたの感情の矛先を、相手に向けることだけです。あなたは、罰を望んでいるのではないでしょう?」
霊斬は話を聞きながら、言葉を返す。
「僕は……あいつの絶望した顔が見たい。すべてを失くしたあいつの顔を。恨まれてもいい。僕がしたかったのは、あいつの――
こちらがぞっとするほどの笑みを、浮かべた武士が本心を吐露する。
「承知いたしました。では、七日後に」
「分かりました」
先ほどの表情はどこへやら、冷静な表情を見せた武士は店を去った。
霊斬は受け取った刀を傍に置き、先ほどの武士の様子を振り返った。
――嫉妬にかられる姿というのは男や女に関係なく、心が醜い証拠だな。
それが表情にまであらわれてしまっては、自分の手を穢すしかない。といっても、そうする奴らの方が少ないはず。たいていは自分が可愛いためか、ここを訪ねる者の方が圧倒的に多い。あの武士も自らの手を穢してまで、やろうとしたのかもしれない。
霊斬は再度、刀を見て思う。
刀には誰かを斬ったのか、傷つけたのかは分からない。刃先に血糊がべっとりとついている。
霊斬は血糊を落とすところから、作業を始めた。
霊斬は休憩も兼ねてそば屋へ向かう。
「いらっしゃい!」
千砂の元気な声に微笑し、霊斬は奥の席に腰かける。
常連客達が相変わらず、霊斬の裏稼業のことで大騒ぎしていた。
「〝因縁引受人〟、今度は鍛冶職人を亡き者にした武家を成敗! だってさ」
「凄い! なあ?」
「一度でいいから見てみてぇよ」
「なにを言っているんですか。そんなの無理に決まっているでしょう!」
千砂が怒る。
「はは」
その光景に、霊斬が笑う。
「どうして、笑っているんですか?」
「あいつらのことは放っておけばいい。噂はいつか別のものにとって代わる」
「それもそうですね」
千砂は同意しつつ、騒いでいる連中に視線を向ける。
「かっこいいよなあ。〝因縁引受人〟って」
――なんでそうなる?
霊斬はそばを啜りながらそう思うものの、口には出さない。
お茶を飲みそばを食べ終えると、お代を置いて店を出ていった。
日暮れ、霊斬は千砂の隠れ家を訪れる。
「千砂、いるか?」
「なんの用だい?」
千砂が顔を出す。
招き入れられた霊斬は、どかっと胡座をかく。
「傷はもういいのかい?」
「ああ。依頼が入ったぞ」
霊斬は端的に告げる。
「どんな?」
「兄に嫉妬する武士さ。対象は宗崎従六。そいつに関する情報すべて手に入れてほしい」
「なぜ?」
千砂は問う。
「依頼人が兄の絶望した顔が、見たいと。歪んだ優越感に、浸りたいんだろうよ」
「最低な男だね」
「まったくだ」
「ふふ」
「はっ」
千砂と霊斬は嗤う。
「あまり、深追いするなよ」
「どうしてだい?」
「ここ最近俺の評判が、
「そうだねぇ。じゃ、ほどほどにしておくよ」
千砂はうなずく。
「ああ。二日で済むか?」
「あたしを誰だと思ってんだい?」
「そうだったな。では、任せる」
霊斬はそれだけ言うと、千砂の隠れ家を後にした。
店に戻ると霊斬は、血糊を落とした刀にもう一度目を通す。汚れを丁寧に落としていく。すると刀本来の鋼の輝きが戻ってくる。霊斬はその作業を続けた。
日も暮れ夜の帳が下りたころ、千砂は忍び装束に身を包み、宗崎家へ向かう。
屋根裏から入り込み、目星をつけた部屋で待つ。
すると声が聞こえてきた。