「俺だ、霊斬だ」
名乗ると不機嫌そうな声とともに、戸が開いた。
「こっちは眠いんだ」
姿を見せたのは、中肉中背のごく普通の顔立ちをした男――四柳院だった。歳五十くらいか。五尺ほどの背丈で、茶系の着物の上に、黒の羽織を着ている。少ししわが目立つ顔で、不機嫌そうに顔をしかめている。霊斬は四柳と呼んでいる。
「悪いな」
「女連れて、こんなとこくんな」
じっと千砂を見つつ、四柳は溜息混じりに言う。
「ただの付き添いさ」
「ついてきな」
不機嫌な四柳の後に、二人は続いた。
部屋に入るや千砂は待つことに。
霊斬は奥の部屋へ。綺麗に敷かれた布団が目に入った。
「……
霊斬は、布団の手前に座り、黙って上着を脱いだ。
「相変わらずだな。新しい傷、作ってんじゃねぇよ」
治療をしながら、四柳が毒づく。
霊斬の引き締まった身体は古傷だらけ。死ななくて不思議なくらい、心臓に近い傷もある。今回は右肩に刀傷が刻まれている。
「そう言われてもな。そういう稼業をしている」
「おれには、お前みたいなことはできんよ」
「はは」
その一言に霊斬は苦笑する。
「死ぬんじゃねぇぞ。怪我したら治してやるから、こいよ」
右肩の傷を手早く縫った。薬草を塗り晒し木綿を巻き終えると、四柳がぼそっと言った。
「ああ」
霊斬はお代を置こうとするが、四柳が断る。
「要らん。お前はおれの知らないところで、命を削って戦う
「そういう奴だったな、お前は」
霊斬はふっと笑った。
霊斬は苦笑し、千砂の許へ戻る。
「あんたもこいつのこと、知ってるのか?」
「まあね」
「あんたも怪我したらここへこい。手当てなら、してやる」
「ありがとう」
「礼なんていい。おれは仕事をするだけだ」
四柳は手で
「じゃあな」
それが四柳なりの別れの挨拶だと、霊斬は分かっていた。
千砂とともに診療所を後にした。
「まったく、変わった人だったねぇ」
「俺も最初はそう思った」
霊斬の物言いはあまりにも、そっけなかった。
「そう」
この男はいったいどんな秘密を、抱えているのか知りたい。そう思ってしまう千砂だった。
数月後、怪我もすっかりよくなり、作業を再開する。
刀の修理依頼を受けた霊斬は、違和感を覚える。
刀の先端がなにか固いものに当たったのか、僅かに歪んでいる。
少々雑につくられたのだろう。それこそ同じ刀でない限り、このような歪み方はしないはずだ。
――いったい、なぜ……?
霊斬の疑念は晴れることがなかった。
霊斬は気分を切り替えようと、そば屋に立ち寄った。
「今日はやけに難しい顔をしてるじゃねぇか」
「そうか?」
常連客の言葉を返す。
「ああ、眉間にこう、しわを寄せて、ちょっと怖いくらいだ」
常連客は霊斬の真似をして、本心を述べた。
「似てない」
それを見ていた他の客らが、声を大にして言う。
「うるせぇ! ……ったく」
常連客は席についた。
そんな光景を見ている霊斬の横顔は、僅かに先ほどまでの険しさが緩む。
「面白い人達ですよね」
千砂がいつものそばを持って、近づいてきた。
「ああ」
いただきますと手を合わせ、そばを啜った。
三日後、修理を依頼した武士が姿を見せるなり、小判五両を出した。
「我が家の悪事を暴くため、力を貸してほしい」
「どういうことでしょうか」
「我が
答えになっていないという突っ込みは入れず、霊斬は先を促す。
「噂、ですか?」
「賄賂の疑惑だ。私はそれを訴えたい」
――訴えたい? 自分の家をわざわざ潰すようなものだ。いったいこの男、なにを考えている?
霊斬は眉をひそめた。依頼人はたいてい、誰かに対する憎しみや怒りを抱いている。それを理由にしている場合が多い。だがこの男、そうではない。
「自ら声を出したところで
「そうだ」
「……依頼の件はひとまず、保留とさせていただきます。それよりも、これを」
霊斬は修理した刀を差し出した。
「感謝する」
「もしや、この刀で誰かと斬り合いになりましたか?」
「ああ。賄賂の中心人物とされるお方とな。本気でかかってこいとの
「刀に弾かれましたか?」
「なぜ、それを」
武士がはっとして、霊斬の顔を凝視する。
「刀の状態を見ただけです。……依頼の件ですが、明日まで、時をいただけませんか? 少し、考えたいのです」
「分かった。出直すとしよう」
武士は小判五両を懐へ仕舞うと、店を後にした。
武士が帰ってから、霊斬は残りの仕事を終え、刀部屋を出て床に寝転ぶ。
――自分に火の粉がかかってもいい、と言っているようなものだった。そこまでの覚悟は買うべきか……?
それが本心なのか、自棄なのかはさておき。
難しい顔をして、考え込んだ。