きーさんに変身してもらった船は、私の予想をはるかに越えるスピードで進んだ。
「はやあぁぁぁい!」
「海の漁船ですからね、川下りならよりいいんでしょう」
なにせ、以前は海から沸いて出る骸骨達から逃げ切った実績もある船のコピーだ。
海のものを川で使う不安もあったけれど、この国でも大きな部類に入るグロリア・リバーの深い場所なら難なく進むことが出来た。
「あとは座礁しないように、気を付けようか。
動けなくなってしまっては何の意味もないからね」
「そうですね、出来るだけ岸近くに移動しますか?」
岸の近くなら、例え操縦を下手打って動けなくなっても、一度私たちが船から降りてきーさんに猫の姿に戻ってもらえば、また難なく航行は続けられる。
ここは、普通の船ではそうもいかない“キメラ・キャット”の利点だ。
「見てくれよテイラー、向こう岸の方を。呑気に歩いている参加者達が見えるぜ」
「ホントだ」
甲板に出て岸を覗いてみると、どうやら陸路を歩いて進んでるらしい参加者が3人、こちらを羨ましそうに見ていた。
なんだか申し訳ない気もするけれど、こればっかりはきーさんにしか出来ないことなので、我慢してもらうしかない。
「いやぁ、君と同じチームでよかったよ。アイツらに手を振ってやろう。おーい」
「ちょ、ヒルベルトさん止めましょうよ。
買わなくていい恨みを買うだけじゃ──おわっ」
言わんこっちゃない、敵からこちらに矢が飛んできた。
幸いそれは伏せた私の上を掠めていっただけだけれど、今のは少し危なかった。
船がこのスピードでなければ、さらなる追撃も来ていただろう。
「ヒルベルトさん……?」
「ハハ、ごめんごめん。今のは悪かったよ」
さすがに、少しだけ彼は申し訳なさそうだった。少しだけ。
やっぱり、岸に寄って移動するのは、狙撃されるかもしれないので止めた方がいいだろう。
「ちょっと!!? 私と猫ちゃんが働いてる間に、2人とも余計なことしないでくれる!?」
「あー、悪かったって」
船に魔力を供給しながら操縦してくれているレベッカさんが、少し怒ったように叫ぶ。
「何で私まで」
「連帯責任てやつだろうよ。それより、さ……」
ふと少しだけ、彼は私に身を寄せてそっと言う。
「気付いてる?」
「えぇ、まぁ。いつからかは分かりませんが、少し前から……」
呟くヒルベルトさんに、私はそっと頷いた。
先程から、近くに潜む気配がいくつかある。
おそらく私たちを狙う参加者だろう。
「へぇ。この気配に気付くなんて、すごいじゃあ、ないか?
でも場所は分からんな、相手もバカじゃあ、ないから多少気配は隠してるみたいだ」
私も気配だけでは、相手の場所を特定することはできない。
敵は相当な手練れらしい。
でも、私には気配以外にも感じるものがあった。
「この船に2人、誰かがくっついてます。しかも水中に」
「それは、この“キメラ・キャット”がパートナーだから分かる?」
「そうです」
普通の船ならば船底に誰かが潜伏していても、私たちは最後まで特定はできなかっただろう。
しかし、私のパートナーのきーさんは、腹の部分に張り付く2つの影を、敏感に感じ取っていた。
「おかしいな、その理論だと盾に変身して剣とぶつかったら、君の相棒は相当痛くない?」
「別にそんなことは──それに今も、触覚で感じてるわけではないですし」
痛覚触覚の話ではなく、触られていることやその強さを数値として直感する、と言った方が正しいかもしれない。
そもそも、変身したきーさんが刃物とぶつかる度に痛みでのたうち回ってしまっていては、いくら私でも武器として使うのを躊躇う。
「ほぉん、まぁオレには関係ないしいいや。ほんで、どうするのよ?」
「どうする、ですか?」
「そりゃあそうだよ」
ヒルベルトさんは、相手に聞こえないようさらに体をぐいと近づけて言う。
「船底に2人張り付いているのなら、相手は道具か魔術かで水中でも呼吸できる方法があるって見た方がいいだろ。
それでオレらの大事な『猫ちゃん丸』に張り付いて、船を降りるタイミングまで動力をタダ乗りしようとしてるんじゃないかな?」
「まぁ、そうでしょうね」
そう考えると少しだけ腹立たしい気もするが、裏を返せば今のところ敵対する気はない、ともとれる。
「この船を降りるところでどうせ戦うことになるなら、今無理して振り払わなくても、無視することはできるだろ。
さすがのオレもこの川に飛び込んで、水中で呼吸できる2人を相手にするのは嫌だな」
「まぁ不利ですよねぇ、どう考えても……」
むしろ、このまま行けば船を降りる地点では彼らと戦う必要はないかもしれない。
避けられるた戦いは避けたいのだけれど────
「ん? この船を降りる場所って、ミューズですよね?
あとはUターンして、街に戻るだけじゃないですか……」
「そのとーり、終盤戦も終盤戦さ。そこまでこの相手を、ご親切に運んでやるってのが、オレはなんだか無性に嫌なのさ」
このレースを勝ち残れるのは16人、たった2人を見逃すだけでも代償は大きくつくだろう。
それに張り付いている2人が同じチームだとしたら、ゴールしたときにはルールによりチームの3人目も同じ順位でゴールしたことになるはずだ。
どこで3人目とはぐれたのかは知らないけれど、戦いを避けてそこまでのリスクを負う必要があるだろうか────
「ヒルベルトさんは、どう思います?」
「オレは今のところはこのまま無視するのが一番て思うかな、少なくともここじゃ勝ち目がない。
どうせ相手も岸に上がるのだから、そこで戦う方がいくらかマシな結果だろ」
「そうですね、賛成です」
さっきから思っていたけれど、春先のこの川はとても冷たくって、船の甲板にいるだけでも凍えてしまいそうだった。
こんな場所に飛び込むのは、いくら何でも勘弁してほしい。
「じゃあ、レベッカさんには伝えます?」
「オレがそっと伝えてくるよ。パニックになられても困るし、変な動きをして敵に感づかれても嫌だしね」
しかし一連のことを伝えるためヒルベルトさんが船室へ入ろうとすると、彼女の方から話しかけてきたらしい。
「ねぇ、これ何だと思う?」
「魔力波のレーダーだね。周りに魚群や物体の反応がないか見るための」
「それは分かるんだけど、これ……」
「あ、起動してる」
すでにレベッカさんは、レーダーを起動させて周りの様子をうかがっていたらしい。
「これを見れば分かるかもしれないけれど、実は────あれ?」
説明しようとした時、彼が眉を潜める。
「どうしました、ヒルベルトさん?」
「テイラー、オレたちはもしかしたら大きな間違いを────うわっ!」
彼が言い出した瞬間、船が大きく揺れた。
何かが船底に衝突したような揺れだ。
「座礁? いや、これは……」
「テイラー敵襲だ! レーダーに移っていた影は──危ない!」
「へ……?」
声に驚いて横を見ると、大きな人影が水面から飛び出し、私の首筋へ手を伸ばしていた。
「うわっ……」
「あっ、テイラー!! くそっ!!」
慌てて手を伸ばそうとしたヒルベルトさんだったが、間に合わない。
そのまま川に連れ去られる私を、見送ることしかできなかったらしい。
「すぐに船を停める!」
「待て、助けに行くから死ぬなよっ!」
2人の声を遠くに聞きながら、私はその一瞬を永遠のように感じていた。
「がぼっ────」
もうすぐ春、といってもまだ新鮮な雪解け水が流れているような川。
私は全身に打たれるような冷たさを感じながら、沈んでいく。