ハラリと落ちた氷が、手の平の上に落ちる。
地上に落ちるまでにほとんど水分となってしまったその氷は、やがて私の体温にも溶かされて、完全な水となる。
空を見上げると、同じような氷の雫がいくつも舞い降りて、その一つが私の睫毛に触れた。
本格的な天気の移り変わりを告げている。
そして山からの吹き下ろすような風が吹くと、身体の芯まで透き通ってしまいそうなほど、身体が凍える。
そういえば、昔家族でスキーに行った時のことを思い出した。温泉旅行の時だ。
あの日ゲレンデに雪が降った時、スキーウェアの袖に付いた氷の結晶が、教科書やテレビで見たモノそのままで、夢中になったのを覚えている。
兄や姉がリフトで上がっていく中で、私だけ落ちる雪をずっと見ていたら、両親にのんびり屋さんだねと、笑われた記憶がある。
その形の結晶のことを────六花、というんだったのだろうか。
今はもう、自分で水も氷もお湯も作り出せるし、あそこまで何かを見て感動することもなくなってしまった気がする。
でも、この寒い時期にこんな凍えるような雪が降ると、いつも思い出すんだ。
家族と過ごしたあの時間は、私にとって忘れ難いものだから。
不思議だ、寒いのは苦手なのに────
※ ※ ※ ※ ※
「えぇ……」
大会当日、隊で決めた集合場所に集まったクレアは、ひと味違った。
「うおおおおっ! ついにきたぁぁっ!」
「うわぁ……」
寒いのに、1人だけ周りとの温度差が半端ないのが、大会大好きクレアさんだ。
去年観戦するために、街に前乗りして引っ越してきた人間の迫力は違う。
「ついに大会と、う、じ、つ、だぁぁっ! ついにきたぞおおおっ!」
「あの、恥ずかしいんで静かにしてもらえますか」
「そんなことねぇよっ! 周りみてみろよ!」
言われて見てみると、おやおや、私たちが集まったアリーナの周りには、クレアと同じように叫んだり気合いをいれたりしている参加者たちがいた。
どうやら燃えるように興奮している人はクレアだけではなかったようだ。
もちろん私も全力は出すつもりだけれど、そこまで気合いを入れるのは体力の無駄と言うか、何と言うか────
「エリーちゃんエリーちゃん、不思議よここ暖かいの!
クレアちゃんの周りだけ暖房がかかってるみたいよ!」
「ほっ、寒かった……」
いつもよりかなり厚着をしているスピカちゃんとセルマが、クレアを暖房代わりにしている。
可愛そうだからやめてやりなさい。
「私は──きーさんがいるからいいです」
「あ、そうなの? もっと暖かいわよ?」
セルマの戯れ言は無視して、私は目の前のアリーナに向かう。
大会の開会式までもう少しある、早めに屋内に入って暖まっておきたい。
「早く中入っちゃいましょう……」
「あれ、アデク隊長待たなくていいの?
たしかここで待ち合わせになってたわよね」
一応アデク隊長も最初は面倒くさがりながらも来てくれる事にはなっていた。
セルマが修行が始まる前、当日にアリーナの前で集まると約束をとりつけてくれたのだ。
「いやぁ、それが緊急の任務が入ったらしいです。
それで大会の間は、観戦に来ることができないだろう、と」
「ちぇっ、部下の活躍にはキョーミねーのかよ」
つまらなそうにクレアは足元の小石を蹴った。
自信満々のクレアのことだ、よっぽど隊長に修行の成果を見て欲しかったんだろう。
「あぁぁ、さ、寒いじゃないクレアちゃん。テンション下げないで?」
「もっと、アツくなって、アツくなってよ……」
「は? なんのこと?」
そんな仲間たちの茶番を横目で見ていたら、そのすぐ隣を通った、軍服の巨漢とクレアがぶつかった。
「あっと、すまねぇ!」
「んー? あぁ、こちらこそすまない。お互いに周りを見て歩こう」
「わ、分かった……」
その鬼のような強面と思いの外優しい口調のギャップに驚いたのか、クレアの声がどんどん尻すぼみになってゆく。
良く見ると、その巨漢の後ろにも同じような軍服の人たちが何人も付いてきていた。
知ってる、あの軍服のきっちりとした着こなしに、それぞれが軍人然とした佇まい。
お堅いことで知られるデルス隊だ。パンもちぎって食べるあの。
しかもクレアがぶつかったのは隊長のデルスさんその人だったと思う。
「う、うわぁ、デルス隊だよ。アタシ最初はあそこに入隊したかったんだ……」
「まぁ出世が早い隊の一つではありますもんね。
でもクレアには向いてないと思いますよ」
「うゎ、分かってらいっ!」
まぁ、良くも悪くもお堅いところだ。
性格的に合わないと言うタイプの人も多いだろう。
そう言えば、デルス隊には私の知るところでも、合ってなさそうな人がいたような────
「おい久しぶりだな! そこの死んだ眼っ!」
「きーさん今日の夕飯はビーフシチューでいいですか?」
「こら、露骨に無視すんなやそこの死んだ眼っ!!」
デルス隊の中から聞き覚えのある声が響いてきた。
私は無視しようとしたが、その場の全員──と言うより声が届く範囲の、関係のない人たちまで彼に注目する。
「ちっ! ねぇちゃんまだオレの固有能力に耐性があるのかよ! でも軍ではオレっちの方が先輩だからな!? ちゃんとその辺わきまえた上で──ぎっ!?」
「────やめろ、ナルス」
全員の注目を集め続ける彼を、仲間の男が無理やり口に蓋をして黙らせた。
「なにするんだデジレ! オレっちはあのねぇちゃんに用が────」
「今日はそれが目的じゃないだろナルスぅ?
流石にそれは不味いよぅ?」
「サラン!! 不味いってなにが────げ!」
そこで彼はようやく、隊長のデルスさんが、鬼のような顔を鬼のように真っ赤にして、自分をにらんでいることに気付いた。
彼は汗を滴しながら必死に何かモゴモゴ言っているけれど、たぶんもう遅い────
「このバカ者っ! 公共の場で能力を使った挙げ句人様に突然喧嘩売るとはどういう神経しとる!
よりにもよってこの人に────バカっ!」
「あぎゃっ!」
強烈なゲンコツ一発、大会前に彼はノックアウトされていった。
「きゅー……」
「全く、すまなかったね。えっと……エリアル・テイラー小隊長かな?」
「え? えぇ、そうです初めまして……ですよね?」
思わず聞き返してしまう。確かこの3年間、こうしてデルスさんと話をするのは初めてだと思うのだけれど。
「初めてだ、貴女の認識は正しい」
「私の名前をご存知だったのは────」
「貴女が、ナルスを助けてくれたからだ」
あぁ、聖槍を街まで運ぶ任務のとき、確か彼の声に私が気付いたんだったっけ。
結果的にそれが聖槍と彼の命を救うことになったけれど、それは彼の能力があってこそだった。
「私はたまたま通りがかっただけです。聖槍を守ったのはララさんと、この子の力が大きいと思います」
そう言って私はクレアを前に出そうとしたけれど、クレアは一歩引いてしまった。
憧れの隊の隊長さんの前で緊張してるんだろうか?
「あぁ、それでも、うちの隊でも8名は殉職、3人は未だ行方不明。
君たちがアイツを見つけてくれなければ、今ごろ任務も失敗して、我々は殉職してしまった仲間たちの思いも継ぐことができなかっただろう」
「あぁ……」
この事に関しては何もできない私は、せめて情報を、事の顛末を知っておこうと噂だけはなんとなく聞いていた。
私がおじさんたちに連れてかれている間にも、戦士が一人、冷たくなって街に帰ったらしい。
「軍一丸になる任務とは言え、個人的に礼を言いたかったんだ、遅れてしまってすまない」
「あぁ、いえ。頭をあげてください」
深々と頭を下げるデルスさんに私は言った。
失われた命は戻らない──けれど、彼らの犠牲を無駄にしなかった。
そう考えるなら私たちは、まだデルス隊やその家族にとって、意味のあることをしたんだろうか。
「いいたかったのはそれだけだ。お互い、いい試合を」
それだけ言い残すと、デルス隊のメンバーは(ナルス以外)みんな頭を下げて会場に向かった。