第13話その2 求婚者に対するあて宮の感想、そして弾正宮の様子

「まだ来るの?」

「ええ」

 あて宮はあっさりと言うと、文が山と積まれた箱を妹の方へと押しやった。

 側で孫王の君と兵衛の君がやや不安げに二人を眺めている。

「あなたや一宮の気晴らしになるなら、その方が役に立つと思うわ」

「私もそれでずっと楽しんできたから言える立場じゃないけど……」

 今宮は声を低める。

「やっぱりこの扱い方はあんまりじゃあないの?」

「どうして?」

 あて宮は首を傾げる。

「どうしてって……」

「私の所へ送るってことは、つまりはもう色んな女房に見られるのと同じじゃない」

「女房達と私達とは違うじゃない。あの方々にとって」

「今宮は、女房と私達が違う人間だと思うの?」

 今宮は詰まった。孫王の君ははっと息を呑んだ。

 姉がそう切り返してくるとはさすがに今宮も思わなかった。

「私は」

 静かな表情であて宮は言う。

「出してくる人達は、さらしものになって笑われることも充分覚悟の上だと思っているわ」

「そういう気持ちでも無視するの?」

「無視するのが、私の気持ちよ」

 だから、とあて宮は今宮に文を押しつける。そして婉然と笑う。

「皆とても素晴らしい御手跡よ」

   *

「最初はだあれ?」

 一宮も以前ほどには気乗りはしない様だった。それでもまだ好奇心はある。

 うん、とうなづきながら今宮がまず開いたのは、兵部卿宮からのものだった。

「―――あなたのためには大事な魂を塵の様に扱いますが、軽蔑は出来ませんよ。積もれば恋の山となるでしょうから」

「微妙ねえ」

「微妙だわ」

 二人は顔を見合わせる。

「ちょっと脅されている様な気になるなあ」

 一宮は軽く眉を寄せる。

「自分に言われているとしたらどう?」

「あ、それいい。そういう風にこれから見ましょ。私達の時の参考になるし」

「参考」

「……と、でも私の場合」

 一宮は複雑な表情になる。慌てて今宮は彼女の肩を抱く。

「その時は結婚してからそうゆうやり取りをすればいいじゃない!」

「そう?」

「そうよ!」

「今宮も?」

「……っと、私の場合はそもそもお話が無いし!」

「涼さまかも」

「だからその話は!」

 あ、と一宮は袖の下から小さく指をさす。

「今宮、顔赤いわ」

「次行きましょ、次」

 はいはい、と一宮はうなづいた。周囲の女房達もくすくす、と笑った。

「平中納言さまからね。

 ―――折り返し袖の上に落ちる涙は、潮が満ち引きする海の様になることでしょう」

「何となく固いわ」

 一宮はうーん、と考え込む。

「それじゃあ、四月にあなたの兄宮が送ってきたものね」

 弾正宮の文を取り出す。

「―――煙の立つ様に白い毛が生えて、私の頭は雪のようです。まだ夏に入って間もないので、どうして降ったのか誰も知りません―――

 他の誰にも判らなくても、せめてあなただけは、ご自分のために白くなった位のことはお認め下さらなくては辛いことです」

 むむ、と今宮はそこまで目を通すと、女房達に問いかけた。

「ねえ、最近弾正宮さまを見かけた?」

 はい、と一人が少し前にいざりよる。

「これって、もしかして……」

「はい、あの、まことに失礼だとは思うのですが、最近宮さまの御髪に、白いものが幾らかお入りになっている様にお見受け致しました……」

「お兄様ったら…… やだ、そんなに思い詰めてらしたの?」

 一宮は口に手を当てる。

「一宮から見て、弾正宮さまはどういう方なの?」

「お兄様は…… そうね……」

 一宮は考える。

 弾正宮は現在の帝の三宮である。東宮、入道宮といった后腹の皇子に続く三番目であり、親王としての地位は高い方である。

 仁寿殿女御にとっては最初の皇子であり、それから次々と生まれてくる四、六、八、十の宮や女宮三人のきょうだいの頭でもある。彼女の地位を確固たるものにするための先鋒だったと言ってもいい。

 ただ当人は、どちらかというとふわふわとした気性に思われている節があった。

 女性にしても、ちょっとした浮き名はあちこちに流すが、それが実を結んだという話は何処にも聞かない。

 その女性達も、ただ単に話をしているだけではないか、という噂もある。

 女性から迫られて拒めないのだ、とも言われている。

 だがあくまで噂は噂に過ぎない。 

「あて宮には本気なのかしら」

「本気なのだと思いますよ。他の方々の歌より真っ直ぐで、私だったら宮さまの方に惹かれます」

 ねえ、と女房達は顔を見合わせる。   

「仲忠さまからのは

『近き社には詣でないところも無くなったので、加賀の白山まで足を伸ばそうと思いましたが、道も知らない山に迷いました。その途中にて』

 ってあるけど」

「でも仲忠さまはここのところ、きっちり出仕なさってますけど」

 女房は苦笑する。

「言葉遊びよね」

 今宮は一宮の方を向いて言う。

「そうよね。次の涼さまのもね」

 二人は何とも言えない笑みを交わし合う。

「で、仲忠さまは何と?」

 女房達が慌てて催促する。

「―――私の悩ましい心を慰めてくれる神もあろうかと北陸の路にさしかかりましたが、山へ行く道を知らないので迷っています」

「つまりは行っていないのね」

 一宮はほっとして胸を撫で下ろす。

「言葉遊びだって言ったでしょ」

「そうね。じゃあ涼さまのは?」

 ふふ、と笑って一宮は涼からの文を取り出す。

「お便り申し上げないで久しくなりましたので、不安な気持ちが募って参り、それがひどく侘びしいものです。ああ、私はいつかどういう者になってしまうのでしょう。あなたはどういう者になって行くのでしょう。あなたは本当にひどく私を惑わせなさいます。

 ―――自分をどうしてこうも浅はかな者にしてしまったのでしょう。現世を頼まず後世に希望を持つべきだとわかっていながら」

 くす、と今宮は笑った。そうよこの感じよ、と彼女は内心つぶやく。

「嬉しそうね、今宮」

「え? そう見えるかしら」

「見えるわ。だってやっぱり、何処かあて宮に対して皮肉気じゃない。涼さまもあて宮のことは本当に懸想している訳じゃあないのよ」

「やっぱりここは姫さまに」

 女房達もそうだそうだ、とうなづきあう。今宮は大きく手を振る。

「その話は今は無し! 少将仲頼さまのお文に行きましょう」

「仲頼さまと言えば、先の宮あこ様の舞をお教えになったのはあの方とか」

「何でも宮あこ様のお出来が悪うございましたら、この屋敷に出入りが出来なくなるとばかりに、必死だったそうですよ」

「行正さまも家あこ様にはずいぶんとお教えなさったそうですが、あの方は前から向こうの方々とは懇意になさってますから、仲頼さまが宮あこ様にお教えするよりは簡単だったのではないでしょうか?」

 そうねえ、と今宮はうなづく。

「あの子も最近は何かと懸想人達に使われてばかりだって、ふてくされていたものね。仲頼さまが懸想人の一人だと知ってはいたし」

「そうですよ。それでもあの素晴らしい舞まで御指南下さったのですから」

「一度お決めになったことは、やっぱり貫き通す御気性なのですね」

「あて宮さまとまでは行かなくとも、いずれかの姫さまと縁付いて欲しいものですわね」

「私は嫌ぁよ」

 女房達の口さの無い言葉に、一宮がつぶやく。

「私、仲頼さまには元の北の方の所へ戻っていただきたいわ」

「一宮さま」

「一宮」

「仲頼さまはあて宮には浮かれているだけなんでしょう? 北の方も素敵な方だと噂していたじゃないの、あなた達」

「それは」

 女房達は顔を見合わせる。

 確かにそうだった。

 元々評判の美人だと。嗜みも優れていて、もう少し裕福だったら懸想人もたいそう沢山現れただろう、と有名だったのだ。

「それにほら、吹上からの帰りだって、あて宮目当てでお祖父様の所に来る前に、ちゃんと舅の宮内卿どののところへ行ってきたって」

「確かに……」

「そういう律儀なひとが、あて宮に惑わされているのは良くないと思うわ」

「一宮」

「北の方はきっと寂しがっているわ。実忠さまだってそうよ。何をやっているのかしら。子供が何人もいて、仲も良かったというのに、何が恋よ。一人勝手じゃない。私はそんなの、嫌ぁよ」

「一宮さま、そうは言いましても、今の世の中、やはり殿方は決まった方の他に通う女君の一人や二人世話できる程の甲斐性が欲しいもの。それが今の道理で」

 女房の一人が口を挟む。

「お黙りなさい」

 ぴしゃりと一宮ははねつける。

「道理などどうでもいいわ。他のどの殿方がどうでも、私は嫌なの。私には私だけの人で居て欲しいわ」

「一宮……」

「そうでなきゃ、それが好きなひとであっても嫌よ」

 今宮は再び一宮の肩を抱くと、ぽんぽん、と優しく叩く。

「一宮は大丈夫よ。さあ、仲頼さまよ。ええと、宇佐の使の勅命を受けられたでしょ。その時のね」

「ええ」

「―――宇佐の宮まで行かないうちに、石清水八幡があなたに会うことを叶えて下さらなければ、私はいっそう神を恨むでしょう」

「やっぱり一本気ね。あら、これは誰かしら」

 ひょい、と一宮は走り書きの様な歌を見つける。

「……何処かで見た様な手蹟ね―――

 ―――苦しい恋のために涙が堰を切って落ちた、その川に身を投じて浮舟の様にあても無く焦がれることよ」

 今宮はそれを受け取ると、眉を軽くひそめた。

 だがそれは一瞬だった。すぐににこやかな顔になる。

「きっと誰かの文から歌だけ落ちたのよ。次は行正さま」

 見覚えはある。ありすぎる。

 だから一宮の目から遠ざけようと今宮は思ったのだ。

「―――山も野もやはり憂き世だとわかったけれど、私にはもはや行くべき所を知りません」

「行正さまらしいと言えばらしいわね」

「そう言えば」

 女房の一人がひょい、と口をはさむ。

「行正さまは大殿の上さまの側の姫君にはお文をお送りにはならないのでしょうか」

「まだ早いと思っているのじゃないかしら、お歳とか…」

 別の女房が答える。

「それでも、今宮さまより少し下なだけですから、そろそろ申し込む方が居てもおかしくはないでしょう」

 それもそうね、と一宮はうなづく。

「あて宮の件を済ませてから、と父上は思ってらっしゃるんでしょ。まずあて宮。そうすれば良い公達もあぶれるから」

 今宮さまぁ、と女房達は嘆息する。

 しかし、と今宮は言いながら考える。

 あて宮の件が終わった時、父は自分達でまた同じ騒ぎを起こさせるのだろうか。それとも―――