第28話 紅日

 ヤトがひと暴れした後、紅牙組こうがぐみの男たちは少し冷静さを取り戻していた。男たちの中心にいる若頭、財前も、仕切り直しだと言わんばかりに、挑戦的な眼差しを私たちに向けていた。


「さっきはちょっとばかし驚かされたが、次はこうはいかねえぞ!SPT!」


「…なにか勘違いしてないか。君たちとやり合うつもりは毛頭ない」

 

 すると、この言葉に紅牙組の他の男たちが反論する。


「馬鹿言ってんじゃねえ!」


「てめぇのとこのカラスが先に手ぇ出したんだろうが!」


 一方、ヤトは私が抱きかかえていた。必死で止めたけど、ヤトは今も怒ったままだ。


「そこの男が変態だからだ!凪に触るな、バカ!」


「ヤト!!」


 私は声をかけてヤトをいさめる。だが、悲しいかな。この場にいる私と焔以外は、もう完全に頭に血が上っている。まさしく一触即発の雰囲気だ。


「うちの組のモットーは『喧嘩上等』。強いヤツが正義だ。お前が本当にSPTなら、俺と拳を交わして勝って証明してみせろ。さあ、男の喧嘩だ!」


 この発言に焔はあからさまにため息をつく。


「てめえ!今面倒くせえって顔しやがったな!」


 財前の話を聞きながら、私は玄関先の掛け軸に書かれた文字を見上げていた。



 喧嘩上等―。



 この場を収める方法は、もう喧嘩をするしかないのか…?

 そう思った次の瞬間、唐突に甲高い声が響いた。


「すみませーーん!僕、やらかしちゃいましたぁ!!」


 全員が一斉に声の方を向く。すると、男たちをかき分けてひとりの青年が顔を出した。


 この人は―。


 青年はペコリと頭を下げながら、焦った様子でこう告げた。


「すみません!ぼ、僕はなんてことを…!」


「なんだ?何事だぁ?」


 財前が面倒くさそうに尋ねる。


「僕、言われた通り皆さんのお昼ご飯に煮物を作ってたんです。確かに、絶対お砂糖を入れた!と思ったんですけど、さっき味見してみたら、全部、全部、なんと塩だったんです!!!」


 瞬間、サーっと全員の血の気が一斉に引くのを感じた。場が凍るっていうのはこういうことなのかと、私は肌で感じた。だが、青年はいたって本気なのだろう。何度もすみませんと言いながら頭を下げ続けている。財前は舌打ちをして、頭をかきながらこう告げた。


「作り直しゃあいいだろ。おい!誰か手伝ってやれ!」


 財前の指示に数名が答え、私たちを取り囲んでいた男たちはため息をつきながら続々と刀を下ろし始めた。


「焔さん!今の人って…!?」


「ああ。例の花丸だな。やはりここにいたか」


 すると、私たちの話し声が聞こえていたのか、財前が悪態をつく。


「ちっ。バレちまったら仕方ねえ。すっかり興ざめだ。せっかく楽しい楽しい喧嘩をするために、場を盛り上げたってぇのによぉ」


 喧嘩?って、この人ただ喧嘩がしたくて絡んできただけなのか?


「どうだ、そこの銀髪?気を取り直して、俺とひとつ喧嘩でも…」


「断る」


 焔は間髪入れずに冷たく返す。どうやら、面倒なことはしない主義らしい。財前は舌打ちをし、続けざまに口を開いた。


「それはそうと、お前マジでSPTなんだな?」


「何度同じことを言わせる」


「そうなら、うちの組長に会わせないとならねえ」


「どういうことだ?」


「色々聞きてえことがあんだよ!ただ、組長は不在で戻るのは2日後だ。それまでここにいろ」


「そう言われて、いいと言うとでも思っているのか?こちらは花丸耕太を探しに来ただけだ」


 すると、財前が焔に詰め寄り、今まで以上に鋭い眼光を焔に向ける。


「ここにいろっつってんだ。もし黙って帰ったら…SPTの本部を、組をあげて襲撃する」


 私は再び顔を強張らせる。やっぱり怖い、この人…!


「まあ、悪いようにはしねえ。食事とか寝る場所とか、そういうのは用意してやる。客人は丁寧に扱わねえとな」


 財前は笑みを浮かべながら懐から日本酒の瓶を出し、栓を開けて豪快に飲む。


「花丸耕太と話をしても?」


 財前は頷く。


「台所だ。この廊下の先にある」


 財前は廊下を指でさしたかと思うと、よろめきながら立ち去っていった。


「いいんでしょうか?勝手に入っても」


「いいんじゃないか。よくわからんが。それに、ヤトももう隠れる必要はないだろう」


 私はヤトの頭を撫でる。まだ少しブスッとしている。怒り足りないのだろう。


「例の花丸さん、お昼ご飯作ってたんですね。もしかして、紅牙組に入ったってことでしょうか?」


「なんかさ、ちょっと面倒くさいことになってない?」


 ブスッとしながらヤトが尋ねる。


「ああ。それに、あの花丸耕太、只者じゃないかもしれん」


「どういうことだよ?」


「殺気立った紅牙組の連中を、一瞬で興ざめさせるとはな。なかなかできることじゃない」


 そう言った後、焔はスタスタと歩き出した。私とヤトは顔を見合わせる。


「冗談…だよね?」


「多分」


 ヤトを抱き抱えたまま、私は呆然と焔の背中を見つめていた。


-----


 紅牙組の台所は、学校のひとつの教室分くらい、かなり広々としていた。窯やかまどが並び、鉄鍋がかけられている。昔ながらの雰囲気で、木製の調理台や古びた棚の中に収められている陶器の茶わんや鍋が年季を物語っていた。


 だが、それ以上に私たちの目を奪った光景があった。台所では、先ほど私たちに刀を向けていた屈強な男たちが、全員白い割烹着を着てせっせと作業をしていたのだ。包丁を握り、野菜を切り、鍋をかき混ぜる姿はまさに真剣そのものだった。


 次第に立ち込める良い香り。お昼ご飯は煮物って言っていたっけ。私も食べられるのかな…。ついそんな期待をしてしまう。


 すると、私たちの後ろから聞き覚えのある豪快な声が聞こえてきた。


「てめえら、遅えぞ!パッパとしろ!もう昼時だ!」


 この声の主はあの財前―。

 そう思って振り向いた瞬間、私と焔、ヤトは目を丸くした。なんとあの財前までもが白い割烹着に身を包んでいる。


「邪魔だ!どけ!」

 

 私はサッと一歩後ずさりをして入口を開ける。すると、財前が大声で調理方法や野菜の切り方、味付けを指揮し始めた。


 紅牙組って…。なんか、想像していたのと違う。


 焔を見ると、手を顎に当てて、真剣な眼差しで台所を見つめていた。


「焔さん?どうしました?」


「いや、見事な連携プレイだと思ってな」


 話を聞いて、ヤトがズッコケる。


「感心してどうするんだよ!」


「そうだった。まずは花丸だ」


 私たちの視線に気づいたのか、財前が花丸に声をかける。


「おい、耕太!お前に客だ!」

「え?僕ですか?」


 花丸がこちらを見る。私が軽く会釈をすると、花丸は財前から促される形で私たちの方に向かってきた。