そして大学に入り、これまたひたすら勉強した。
それまでの寄宿学校と違い、今度は男子も交じっていた。
私はできるだけ地味な格好で授業を受け、実験に参加した。
そう、私が進んだのは科学の道だった。
医者の道を進んでも良かったのだが、寄宿学校の教師にこう言われた。
「貴女はとても素晴らしい頭の持ち主だけど、残念ながら決して対人仕事には向いていない」
教師は言葉を濁したが、要するに、患者を驚かせる様な顔では困ると言いたかったのだろう。
正直、私の顔で心臓麻痺を起こされても困る。
納得したので、臨床医師はあきらめ、基礎医学の方に進んだ。
*
この分野に進んだ学生は、男女問わず実に現実的だった。
彼等彼女等は、私の顔を見て、どの様な色素構成になっているのか、と純粋に疑問に思ったらしい。
私は自分の皮膚を採取させてやったことが何度もある。
どうせなら、と私はそれを卒業論文にした。
結果、そうなった原因が何処にあるのか、という問題と、出身地方の言い伝えから、故郷に皮膚を害するものがあるのではないか、という話にまで発展した。
その時に出会ったのが、後に夫となったリヒャルトだった。
彼は地質科学を専攻しており、私と合同研究にあたる機会があった。
彼と私は恐ろしく気が合った。
そして彼はそもそも、私の顔に関して、何とも思っていなかった。
そもそも彼は瓶底眼鏡の近眼だったのだ。
「皮一枚の造作なんてどうでもいいよ。それよりキスした時に口が臭いほうがよっぼど嫌だ」
なるほど、と私は何かもの凄く納得した。
「君はもの凄く歯を大事にしているよな」
何かポイントはそこだったらしい。
確かに私は歯はちゃんと磨くし、甘いものも昔からそう与えられなかったので虫歯も無い。
「ということで付き合おう」
「なるほど」
ということで私も納得して付き合うことにした。
そしてとんとんとん拍子に結婚の話まで進んだ。
興味深い話をいつまでもしていたいのに、時間が足りない。だったらもう結婚してしまおう、というのが彼の弁だった。
「それだけでいいの? 私のこれ、遺伝するかもよ」
「君、子供欲しい?」
「正直、そういう意味で怖いから欲しくない」
「だったらそれでいいさ。僕は所謂家庭には向いていないってもう学生の時から自覚しててさ。たぶん子供が居ると駄目だと思う。ずっと二人で居ればいい」
思わず私は彼に抱きついた。
伯母に紹介したら、もう涙を流して喜んでくれた。
彼女は私が結婚できるとは思ってなかったらしい。
だからこそ、勉学をあれほど応援したのだ。
「でも子供は作らないつもりですよ」
「私にだって居ないわよ、でも貴女を育てていたから貴女が子供のつもりだったわ」
伯母には本当に感謝してもしきれない。
「でもやはり、実家には一度行っておかなくてはね」
「駄目ですか?」
「……あまり気が進まないけど、でもけじめというか。そこでまた困ったことが起きたら、すぐに伝えなさいね」
伯母のその言い方に、私はやや奇妙な感を覚えた。
「そう言えば、アマーリエもいい歳だと思うんですが……」
「それがね、縁談のあった人に次々と逃げられてしまって」
「えっ」
私は目の玉が飛び出すのではないかと思うくらい大きく見開いた。
あの綺麗な妹が。
「だから、そういうこともあって娘の一人が結婚できるって言うのは一応伝えておいた方がいい…… かも…… しれない…… かなって」
「伯母様、何かもの凄く心配になるんですが」
「いえね、最近全然行けていないのよ。貴女を引き取って以来、別にこれといって用事も無いから。でも話は飛び込んでくるのよ。ほら、地方だから、何かと話題が一つあると何処からともなく飛び込んでくるでしょう」
それでなかなか縁談がまとまらない妹の件も耳に入ったのだという。
*
そんな訳で、私は本当に久々に実家に行った。
と言うか、正門から入って、まっすぐ玄関から出入りするなんて、これでまだ二度目だった。
私が行く、ということは既に伝えてあった。
入った途端「お帰りなさい」と中年の婦人が私に飛びついてきた。
「ああ何って久しぶり!」
ああそうか。
写真で見たことがある。母だ。
「よく来たな」
「はい。紹介します。夫のリヒャルト・ゾーンです」
「もう籍を入れたの?」
「はい。既に私達は国の名において成人しておりますので」
既に私達は二十代半ばだった。
「ところでアマーリエは?」
そう言うと、両親らしき人達の顔が曇った。
「実はしばらく病気でね。ずっと部屋で療養中なの」
母はそう言って、二階をちらりと見た。
「貴女方は客間にお部屋を用意したわ」
荷物を運び込み、お茶、そして食事。
私は初めて両親と食事をしたのだった。
「ところでリヒャルト君、一体この娘の何処が気に入ったのかね。君は有望な地質学者と聞くが」
「あ、はい。話していて尽きないので」
「話していて尽きない」
「あ、はい。僕はどうしても専門馬鹿ですので、好きなことになると、止めど無く話す癖があるのですが、彼女との話はお互いそれですので、それぞれ言いたいことを言い合ってそれで面白いところを同じテンポで受け取ることができるものですから」
彼はそうノンブレスで言った。
そう、私達の会話は、まず大概の人が入り込めない。
無論他の人々とはそれなりにできるが、二人で話し出したら話題があっちへ行きこっちへ行き、その枝葉まで行ってしまったらまた戻り、と第三者が入れない様になってしまうらしい。
「そんなことができるのは彼女だけでしたので」
「そ、そうかね」
何となく歯切れが悪い。
母もまた、やや困った様に父を見た。
*
「つ、疲れた」
「大丈夫かい?」
彼は私の事情を知っている。
私が彼同様「私の両親」と初対面であるということを。
他人の彼と違い、一応肉親であるということで私が気を遣ってしまうことを理解してくれる。
全体的に雑なのだけど、そういうところが優しい。
「まあ、早く寝てしまおう。そして明日とっとと僕等の街に戻ろう」
「ええ」
そう言って内側から鍵をかけて眠ったはず、だった。***
私達は扉を開けて周囲を見渡した。
既に誰も居ない。
ただ、部屋から漏れる灯りで、絨毯に裸足の足跡が残っているのが判る。
私達はランプを持ち出して、絨毯の足跡を追った。
するとそれは一つの部屋に入って行く。
「鍵がかかっているわ」
「どういうことだろう」
これは両親を起こして聞いてみた方がいいか、と思った時だった。
「あなた達! 何をしているのそこで!」
「お母様」
悲鳴の様な声が廊下の向こう側から聞こえた。
「リヒャルトが誰かに襲われそうになったんです。その誰かの足跡が絨毯に残っていますから追いかけたらここに着いたんです! 鍵はありませんか!」
「駄目よ、そこを開けては」
「どうしてですか!」
たたた、と母は駆け出してくる。
その後を父もやってくる。
眠っていなかったのか。
リヒャルトはポケットからドライバーを取り出した。
そして鍵穴にぐい、と突っ込む。
かち、と中の鍵が開く音がした。
「慣れてるわねえ」
「よく研究室を閉めて帰ってしまう奴が居たからね」
「駄目よ、開けちゃ駄目」
悠長な私達の声と対照的に、母の声はどんどんヒステリックになっていった。
ぱたん、と音を立てて、扉を開ける。
すると、中からは奇妙にもわっとした臭いが漂ってきた。
私はランプを掲げる。
すると、ベッドの上では、裸の女が何やらシーツの上に股を擦り付けている様に――私には見えた。
やけに白い肌。
「あ! この女だ!」
リヒャルトは私に小さく叫んだ。
「あの金髪だ」
「嗚呼!」
その場で母が膝をついた。
その声に気付いたのか、女は私の方を向いてにたあ、と笑った。
その顔。
「……アマーリエ?」
母は慌てて私の前に出ると、扉を閉めた。
そして鍵束から一つ選ぶと、再び鍵をかけた。
「鍵を――お母様、全部持っているんですか」
私は問いかけた。
「もしかして、私達の部屋を開けておいたのも」
「……もういい、下で本当のことを話そう」
父は母の肩を抱き、皆夜着にガウンを羽織って応接へと下りていった。
*
「お前が出ていってから何年かして、アマーリエに縁談が来る様になった」
父は話し始めた。
「そこで一度、付き合った男と、関係を持ってしまった。何度も、何度も。ところが男はアマーリエを捨てた。条件が良くないから、と」
「それでああなったと?」
「いやまだその時はましだった。だが、一度身体の関係に味をしめてしまったアマーリエは、相手が誰であろうとそうしようとした。何処かネジが外れかけていたのだろう。何でああなったのか……」
「で、何で僕のベッドにのしかかってきたのですか」
両親は口をつぐんだ。
「お父様、お母様、本当のことを言って下さい」
「……お前でも平気な男であるなら、あれでも大丈夫かと思った」
「はあああああ?」
私は思いきり大声を立てた。
「だってそうだろう。お前の姿でも平気な、将来有望な男なら、中身は多少アレでも、きちんとさせれば美しいアマーリエの方が良いだろう。うちの婿として幾らでも支援もできる」
「……何言ってるんですか」
私はすうっと血の気が引いて行くのを覚えた。
「まさか、それで何処が良かったのか、って」
「聞いてみてこれは困った、と思ったが、だが、やってみれば」
「それで、私達の部屋の鍵を開けておいたんですね!」
「今では、若い男がいれば、誰でも襲おうとする。アマーリエがそれで孕めばそれでいい。そうすれば、その子を跡取りにできる。いや、リヒャルト君、君が婿に入ってくれれば君を――」
リヒャルトは黙って私の手を取って立ち上がった。
「行くよ」
「何処へだね」
「帰ります。もう今からでも。こんなところに一秒だって居たくない。ビルギットを居させたくない」
そして私の手を引っ張って部屋へ戻り、大急ぎで二人して着替えた。
階段を駆け下り、まだその場に居た二人に向かい、私達はこう告げた。
「さようなら。何であの子がああなったか、最初っから考えてみればいい!」
私は声を張り上げた。
きっとそれは寝ていた使用人達にも気付かれただろう。
*
外はまだ朝には遠かった。
荷物が少ない私達は、ともかく広い道へ出ようと歩き出した。
そして夜が明ける頃、農作業に出かける馬車を見掛けて、しばらく乗せてもらった。
「おや、もしかして、そのあざ…… 昔ここから出ていったというお嬢さんかね」
「ええそうよ。でもまた出て行くわ」
「ああ、それがいいねえ。下のお嬢様もあんなことになって。駄目だね、可愛い可愛いでひたすら甘やかしておくってのは」
「どういうこと?」
「いやあね、何ってことない。あのお嬢さんは、最初の男に振られたあと、子供を孕んだんだよ。だけどそんな男の、と旦那様は認めなくてね」
ぞっとした。
そうか、あの子には私の様に「伯母」は居なかったのか。
「その場を見て、何か切れちまったんだね」
哀れだね、とリヒャルトも言った。
「上のお嬢さん、せっかくだから乗合馬車の停車場まで送って行くよ」
「そんな、悪いわ」
「下のお嬢さんはそんなこと、わし等に言ったことは一度も無かったさ」
へっ、と彼は笑った。
*
それ以来私達は実家からの手紙も電報も、全て絶っている。
伯母とは連絡を取っているが、それ以上のことはない。
妹のことはは哀れだとは思うが、それだけだ。
あの白い肌はまるで変わらないけれど、中身は――
いや、元から中身なんて、無かったのかもしれない。