「そりゃあね。いちいちクラブとかに行かれちゃ、家計がたまらないわ。だったら話は聞かないからね、という約束して、うちでお酒とつまみ作るわよ。って、そういうこと、ハロルドは無いの? 兄さんに友達多いのは確かにわかるけど」
「その友達に、私、結婚式以来会ったことが無いのよ」
「嘘!」
パトリシアは驚いて手にしていたカップを激しくテーブルに置く。
紅茶が跳ねた。
「……そうなってくると、ちょっと怪しいわねえ」
「何が?」
「浮気」
ぐっ、と私は詰まった。
その可能性を全く考えていなかった訳ではない。
ただ、信じたくはなかったのだ。
「ねえ、ちょっとこっそり調べてもいいんじゃない? そのくらいのお金はあるんでしょう?」
「興信所?」
「そう。貴女自分で以前は稼いでいた訳だし、自由になるお金、少しはあるでしょ?」
確かにそうだった。
そして私はパトリシアの夫から紹介された、ハロルドとの関係が全くない弁護士を紹介され、そこから興信所に依頼した。
すると。
「奥さん、全然隠してない浮気ですよ」
あっさりと結果が出た。
「写真がちゃんと撮れるくらいにゆっくりしっぽりあちこちで。しかも相手は複数」
「……」
「どうします?」
弁護士のこの問いに、この時点の私はまだ保留にしてもらった。
ただ、いつ何処で、ということに関してはしっかり調査資料をもらった。
結果、仕事が長引いて――嘘。
男同士の付き合い――嘘。
休日に疲れて――これだけは嘘ではなかった。
私はさすがに呆れた。
一週間のうち、火曜と木曜と金曜に決まった女が居るというのだ。
しかもその相手のうち一人は既婚者。
一人は未婚のお嬢さん。
そして最後は未亡人だった。
女性のタイプも様々だった。
私のトーンが全体的に重い紺や黒に近いとすれば、相手の女性はオレンジだったり栗色だったり輝く金色なのだという。
こればかりは写真では判らないので、撮った調査員の話だけど。
それがまた、聞き込みによるとずいぶん長く続いているというのだ。
「……信じられない」
パトリシアも報告を聞いて絶句していた。
可能性はある、と思っていてもさすがに実兄が。
そして複数と殆ど公平に定期的に関係を持っているなどと、想像もできなかったのだろう。
無論私もこれは夢だろう、と思いたかった。
「ルビー、さすがにこれは家に言うべきよ。そして貴女の実家にも」
憤慨したパトリシアは今にも彼女の実家に駆け込もうという勢いだった。
「いいえちょっと待ってパティ」
私は彼女を止めた。
「止めても無駄よルビー。証拠はこれだけ揃っているのに、どうして?」
理由はいくつかあった。
「ともかく、本人に理由を聞きたいわ」
*
私はハロルドに証拠を突きつけて理由を聞いた。
そして言ったのがあの言葉だ。
浮気をしているというスリルを味わいたいから、結婚をした。
もの凄く本末転倒な結婚理由だ。
それにもの凄くリスキーだ。
「それで、三人のお相手は、貴方のその趣味を知っているの?」
「そうだな、結婚しているとは言ったが、他に居るか居ないかまでは想像次第かな」
「よくそれで平気よね」
「お前も結構冷静だな」
「冷静?」
今度は私が薄く笑った。
「そんな訳無いでしょう? 結婚した時あれでも処女だったのよ。それを捧げた相手が同時に三人の別の女に突っ込んでいると考えたら!」
「不潔! というのかい?」
「いいえ、何で私に子供ができないのかよく判ったわ」
「何だって?」
「だって貴方、種無しでしょう?」
私はずばりと言った。
「は? 何を言うんだ」
「あのね、貴方が最後に彼女達に会ったあと、私それぞれにお手紙を出したのよ」
「……ほう」
「それでこの間、皆で集まったの。彼と関係がある女、皆でね」
今度は彼が唖然とした。
「さすがに既婚者のアリスさんは避妊をできるだけしていた様だけど? 海綿とか用意して。だけどまだうら若きジェーン嬢も未亡人のエディットさんはむしろ子供を欲しがっていた様よ。そうすればまだ子供が居ない私とその立場が替われるんじゃないかって。だから避妊どころか、割と妊娠しやすい日に貴方と行為をしたって言ってるのよ。でもできないって言ってたわ。皆身体は健康。特にエディットさんには子供が一人居るの。妊娠できるの判っているのよね。でもできない。サックも使っていないらしいのに。さてどうかしら?」
彼の目が泳ぐ。
さすがに女達がそこまで考えていたとは彼は思っていなかったのか。
「……で、お前はどうしたいんだ? 離婚したいのか?」
「さてどうしようかしら」
私はにやりと笑った。
正直どっちでもいい、と思っている。
確かに当初知った時には怒りが湧いた。
それは彼に対しても、相手の女性に対しても。
だが彼の三人の愛人達に会ってちょっと気が変わり。
そして今さっき、彼の理由を聞いて馬鹿馬鹿しい程その気が冷めた。
「離婚するかどうかは私の気分次第ってことになるわね。ところで貴方はどうなの?」
にっこりと笑って私は彼に問うた。
「俺か?」
「だってそうでしょう? 私は離婚しても、また家庭教師をすればいいわ。だってもうあの頃とは違って、結構歳もとってきたし、ふてぶてしくもなったし処女でもない。あの頃より押しも強くなったわ。子供もできなかった身一つだから、何とでもなる。けど貴方はどう?」
「どう、って」
「これで四つ股かけての離婚なんてことになったらそれはもう、さすがに弁護士としてやっていけないんじゃない? ああ、顔合わせした皆さんね、もし私が離婚という手をとったら協力しますって。そうしたら慰謝料要らないって言ったし。さあそういう貴方の評判はどうかしら?」
「ぐぬぬ」
「その辺りを無かったことにしても、貴方はこの先やっぱり子供ができないということでご両親に何かと言われるでしょうねえ。奥さんが変わったとしてもきっとそれは変わらないのだったら」
「お前は何を俺にさせたいんだ……」
ハロルドはうめく様に私に問いかけた。
*
結果、私は未だにハロルドと夫婦のままで居る。
ただし、三人とは手を切ってもらった。
と言うより、彼は彼女達にすっぱりと振られたのだ。
さすがに本妻含めの四つ股には皆退いた。
そして彼が種無しだと判れば、お嬢さんと未亡人はあっさり次の相手を探しにいった。
ちなみに既婚者の彼女はどうも私が怖くなったと。
浮気はしていたが、夫にばれることを実は怖れていたらしい。
「それでいいの?」
とパトリシアは尋ねる。
「構わないわ。だって、これでよく判ったと思うもの。隠したってこうやって私にばれるんだからスリルなんて意味は無いって」
「でも何かそれって負けた気がしない? 浮気した方が何もされずにって。いくら兄でもそう思うわ」
「あらパティ、彼には辛いと思うわよ」
「どうして?」
「わざわざ浮気のスリルを求めて結婚した彼が、浮気そのものができなくなるんですもの。それって下手に離婚して慰謝料取るより、彼には残酷だと思うわ」
そう。
彼のそれは性癖だ。
たとえば人の行為をのぞき見することの方が、実際のそれより興奮するというひとが居る。
麻酔や睡眠薬で動かなくなった女性に#だけ__・__#興奮するというひとも居る。
ルイス・キャロルの少女趣味然り。
なかなか人には言えない、理解されない性癖の人間というのは本当に居るのだ。
まあ考えようによっては、あの家庭教師を後ろから馬の様に犯すのが好きという金持ち達もそうなのかもしれない。
そしてハロルドは「結婚して」いる状態で「他の女に」#しか__・__#欲情できないという性癖なのだ。
裏返せば、結婚した状態で私以外の女に手を出せないということは、結構な苦痛だと思う。
何せそんな欲望のためにわざわざ私を選んで三年かけて結婚した訳だ。
自分に恩を感じて何もしないと思ったのだろう。
残念なことだ!
彼にとっての計算違いは、私には家庭教師ができる程度には考える頭があったことだ。
そして彼自身、種無しと気付けなかったということ。
これは実家に言わない、言えないらしい。
すると子供ができないのは私が石女ということになる。
それは彼の負い目となるだろう。
ということで私はこの先も仕事をばりばりやって生活を豊かにしてくれる彼を縛ることができる。
せっかくの永久就職場所を提供してくれたのだ。
浮気が減ればストレスはたまるだろうが、下手な支出も減る。
そのストレスで自滅したところで、私のせいではない。
彼は見誤ったのだ。
私がいつまでも状況に泣き寝入りしている女ではない、ということを。