「アレ? 知らない締め切りが入ってる」
オレはパソコンの画面に見入る。表示されたカレンダーには締め切り日が記されていたが心当たりがない。
「おかしいな? どの仕事だっけ?」
メーラーを開くと担当者からのメールが入っていた。
『早く原稿を下さい、先生』
この担当者をオレは知らない。
『この前もらったプロット、よかったですよ先生。アレで行きましょう、アレで』
ファイルの中身を見ても全く心当たりがない。
「オレはライトノベル作家なんだけど」
プロットの内容は、才能ある友人に嫉妬した小説家が相手の全てを奪う、というものだ。
「まぁ、書けと言われれば書くけど。稼がなきゃ」
主人公の私は才能豊かな友人を妬ましく思っていた。彼がサラサラと苦も無く書く文は美しく、味わい深く意味深い。私は嫉妬しながらも期待していた。彼は途方もない爪痕を文学界に残すであろうと。しかし彼はあっさりと言った。「オレは稼ぎたいからライトノベル作家に転向するよ」と。未練ひとつ残さずジャンルを乗り換えた彼の潔さ。私は羨望に凍り付く。彼はアッという間に売れっ子に。羨ましい妬ましい。売れっ子なった彼が羨ましいんじゃない。あの才能が妬ましい。あの才能が私にあったなら。私にあったなら。私は沼地にはまり込んだように彼の才能を、ねたみ、そねみ、やっかんで。恨んで憎み、ついには友人に成り代わることを夢見る。
「ああ、書ける」
潜る、潜る。主人公に潜る。ああ、気持ちが手に取るように分かる。
コイツはオレか? オレがコイツか?
澱みなき清水のように言葉が湧いて流れ出る。
「これでヨシ、と」
やっぱりオレは天才だな。
出来上がった原稿をメールで送り、大きく伸びをする。
書き始めれば早いとはいえ、一晩集中して体がカチコチだ。
喉も乾いたし腹も減った。眠くて仕方ないけれど、まずは腹ごしらえだな。
その前に顔でも洗ってサッパリするか。このままだと食いながら寝てしまいそうだ。
オレは洗面所で顔を洗うと何気なく鏡に映る自分を見た。
「えっ?」
そこには、自分のものではない顔が映っていた。
「川島?」
オレは旧友の名を口にする。
なぜオレが川島の顔になってるんだ?
動揺が全身に広がっていき、今まで眠っていた嗅覚が目覚める。
血生臭い臭い。生臭さと腐臭と芳醇たる甘さが入り混じる人の終わりの臭いに、オレはハッとして浴室を覗く。
そこにはオレの顔をした生気の欠片もない体が、浴槽に身を預けてだらしなく転がっていた。