なぜ、こんなことになってしまったのか。
私は混乱していた。さっきまで楽しく談笑していたのに。
なぜ、こんなことになってしまったのか。久しぶりの登山。
しかも気軽なひとり旅を楽しんでいた私は、同じくひとり旅の先客と意気投合した。
「山は電波が悪いから、情報が入って来なくて困りますね」
「いやぁ、それがいいんじゃないですか」
などと軽口を叩きながら楽しくやっていたのに。
トイレを済ませるついでにケータイチェックなんぞをしたから、気付いてしまった。
あいつ、逃走中の殺人犯じゃないか。
ダメ元でケータイチェックなんぞをしてしまったからいけないんだ。
山にきたからにはヤッホーニュースをチェ―――ック、なんてやってしまったのがいけないんだ。
事件のニュースの中に見つけてしまったのだ。あいつの顔写真がバッチリ入った記事を。
あいつ、逃走中の殺人犯じゃないか。
だけど、知ったところでどうなる? 私は非力な一般ピープルなのだよ。何が出来るというのだね。
ここは山だよ。しかも天辺近くだよ。回りにいるのは主に年齢高めの層なのだよ。
気付いた私にどうしろというのだ。神様のバカ。装備だって厳選に厳選を重ねた至高の一品揃いだよ。
登山以外の役に立ちそうなものなんてないのだよ。え、えっ、この私にどうしろというのだ。
「お、戻ってきた。長かったね」
「あ、ああ。そうかな。そうかも」
あいつは、ニコニコと笑って私を迎え入れた。とても逃走中の殺人犯には見えない。だが、油断はできない。こいつは、残酷で冷酷な殺人犯なのだ。
様子がおかしく見えたのか、あいつの表情が和やかなものから警戒感を帯びたものに変わった。
まずい。
私はあくびをすると、さりげなく言った。
「そろそろ寝ないと、明日辛いよね」
「そうだね。寝ますか」
「うん、おやすみ」
「おやすみ」
逃走中の殺人犯は、無邪気にゴロンと寝そべった。私はその隣でゴロンと横になった。
頭の中で使えそうなものを考えてみた。
限られた装備のなかに使えそうなものっていったら、登山ナイフくらいだよ。
あ、ロープもあるか。靴のゴム底が外れた時にも使える万能なダクトテープもある。
で、それを使って私にどうしろと?
そんなとき戸惑う私の傍らで囁くのは、いつも決まって神じゃない。
神ではないのは分かっているけれど、囁くのだ。ヤツは。
『だってアイツ、逃走中の殺人犯じゃないか。だから別にイイんじゃない?』
答えは、いつも用意されている。
そして。気付いた時には、私が握った登山ナイフは血にまみれていた。