第49話『絶望せよ』


 跳ね上がる。

 唐突な浮遊感から、着地の衝撃は故郷のそれより重く早く、青い隣星の超重力は否応なしにポポイの肉体にのしかかった。

 思わず腕を操縦桿からはがしそうになりながらも、メーターに目を走らせる。


『始まってしまったのか!!? 宇宙が、宇宙が裂ける!!? こんな地表で!!?』


 巨人たちの巨大な乗り物がチカチカと光を放ち、悲鳴を上げ急停止する横をすっ飛び、弾む車体が嫌な音を発てた。

 サスペンションが衝撃に負けて潰れた!?

 途端に、路面の凹凸が直にポポイを揺さぶった。


『くっ……』


 星では力自慢の勇者ポポイであったが、この絶え間ない振動には何度投げ出されそうになった事か。それでも、その瞳は夜空に立ち昇る噴煙の如き奔流を追い続ける。

 それがどうなるかを。


 宇宙とは、ポポイの世界でもビッグバンの後、拡大する世界と信じられている。そして、それがいつの日か拡大しきり、反転し縮小に移る事も。

 次元が裂け、他の世界と繋がる危険性は、それぞれの世界がどの道程にあるかにも因る。拡大する宇宙と縮小する宇宙。そこにおける物質の密度は、当然濃い方から薄い方へと流れを生む。より均等な世界同士だったらば、安定した裂け目になるだろうが、これが極端に違うとどうなるか。宇宙の裂け目が無制限に広がり、周囲の宇宙をも飲み込む危険性があるし、またその逆に向こうの宇宙が流れ込んで来る可能性もある訳だ。

 これがこの蒼き星の地表で起きたならばどうなるだろうか?

 それは想像もつかない惨事となる可能性がある。

 蒼き星は、その噴出孔から吐き出されるエネルギーの為に、この太陽系の軌道を離れ、どこへともなく飛び去るかも知れないし、下手をすれば隣にあるポポイの故郷である紅き星をも巻き込み、衝突、爆散する危険性だってゼロでは無い。太陽の重力を振り切った反動に巻き込まれれば、故郷の紅き星も軌道を離れ、宇宙を漂う遊星と化すかも知れないのだ。まあ、故郷の科学者たちの言葉を信じるならばだが。


『一体、一体どうしてこんな馬鹿げた事が!!?』


 次元振を感知しているメーターは、既に振り切って久しい。

 恐らくは、巨人たちの狂った科学者が何かをしたのだろうと脳裏を過った。

 するとどうだ。その紅く光る三つの瞳に、立ち昇る光の奔流が徐々に変化していくのが、くっきりと見て取れるではないか!?


『ああ!? 虹が!! 虹が!! 虹が来るっ!!?』


 それは、この蒼き隣星へと渡る時に通った、虹の橋に似た輝き。

 すうっと夜空に走る七色の色彩は、放出されたあらゆる物質がスペクトル反応を発し、美しいグラデーションを奏でるかの様であった。


 ポポイは、万感の想いを込め、探索車の発信機を起動する。それは、一方的に指向性のレーザーを送り続けるだけのもの。


『これより特異点の中心へと突入する! 恐らくもう俺は帰る事が出来ないだろう! ただ、最後の最後までこの現象のデータを本星に送る! さようなら! さようなら!』


 それからは無言。ガタガタと唸る機器はただデータを送信し続けるだけだ。だが、ポポイの胸の内は、熱い高揚感に満たされていた。


 誰がこの現象を本国に送れよう。それは俺だけだ。もし破滅的な事になろうとも、きっと誰かがこのデータを元に、破滅を回避する術を考え出してくれる。そう信じて、俺は逝く。さらば父よ! さらば母よ! さらば妹よ! さらば友よ!


 勇者ポポイは蒼き隣星に散る!


 何故なら、勇者とは、勇気ある者の事だからだ!!



 ◇



 それは巨大な水晶の柱だった。

 天井を貫き、店内のカウンター席やら厨房を圧壊させたソレは、内なる輝きにより暗転した店内を青白く浮かび上がらせつつも、ゆっくりとした回転運動を続けていた。


 パラパラと残骸が降り積もる中、その下より這い出る者たち。腕は折れ、ある者はもげ、首もあらぬ方向を向き、死せる人々は息をする事も無くただ立ち上がる。

 その中に無惨にも変わり果てたあまねの姿を見つけたまなみは、言葉も見つからずにただただ張り裂けんばかりの胸の内を漏らすのみだった。


「あ……あああ……」

「何と言う事だ!」


 不意にあの人形の声が。

 異様に近く感じ、まなみは声のした方を見やった。

 青白い光に、舞い上がる埃がちらちらと、その下で残骸が小さく上下している。そこにアレがいるのだと。

 漏れ出そうになる悲鳴に、口を押さえて堪える。

 今なら逃げ出せるんじゃないか。そんな気持ちに、ミャオのぐったりとした身体を抱き起こそうと頑張るが、まなみの細腕では悲しい程に非力だ。


「起きて。ねえ、起きて、ミャオさん」

「ん……?」


 身じろぎするミャオに、ハッと沸き起こる希望。それを打ち消す様に、パンと弾け、あの人形が、魔法少女プリティまんちゃんの色違いプレミアフィギュアが、中空に跳び上がった。

 髪かざりも取れ、左足も失ったそれは、手にしたワンドをぷるぷると震わせ。


「何だコレは!!?」


 それは天からの闖入者を睨みつける。


「ええい、よくもよくも俺の邪魔を!!」


 人形は、可愛らしい顔を憎々し気に歪め、数枚の小さな紙切れを投げ放つや、素早く印を切る。すると、その小さな紙片が、見る間に膨れ上がり、巨大な白い蛇の群になるではないか。


「きゃっ!?」

「かかかか! 小娘、次はうぬだ! 行け!」


 驚くまなみに、人形はさも嬉しそうに高笑い。

 その巨大な蛇たちはたちまち水晶の柱に絡み付き、みしみしと嫌な音を発て無数の亀裂を産み、その横をぞろぞろと死者の群がたどたどしくも動き出す。

 そして悠然とまなみを見下ろす人形は、ぎろり異様な眼光でねめつけて来る。


「この有様では最早これまで通りとは行くまいが、最後に貴様らの悲鳴をもってひと先ずの幕を降ろすと致そうぞ!」

「いや!! 止めてぇーっ!!」

「かかかかか!! 死ねぇ死ね死ね死ねぇっ!!」


 それまでと違い、死人の群はまっすぐにまなみへと掴みかかる。まるで一面の壁の様に。


「来ないで!! 来ないでー!!」


 まなみは手に持てる物を掴んでは振り回し、それを弾こうとするのだが、逆にその腕を掴まれ、ぐいっと引き込まれてしまう。

 ぬとっとした異様な手の冷たさ。

 皮膚が引き裂けそうな力に、思わず上体が泳いだ。


「いやーっ!!」

「かーっかっかっかっかっか!!」


 その時、ずぶりと異様な鈍い音が、高笑いに水を差す。


「かっ!?」


 ずどん。どん。床を打つ蛇の巨体。

 それに少し遅れ、ガラガラと砕けた結晶が床を打ち鳴らした。


「な、何だ?」


 人形の注意がそちらに逸れ、死者たちの動きもぴたりと止まる。それもそうだ。砕けた結晶の中からぬらり、蛇の血に紅く濡れた刀身が突き出ると、次いで結晶に覆われた鎧武者がガチャリと脚を踏み出すではないか!


「ああああああああああああああああああああ!!!!!!」

「何だこいつは!? くっ!」


 武者は雄叫びも高らかに太刀を振り回すや、足元の蛇の残骸をその切っ先に貫いては投げつけ、ダンと死人の群に向かって踏み出した。


「応さ!」


 残骸を人形はワンドの一振り裂けた紙片に戻し、新たな紙片を取り出してお返しに投げつける。たちまち、紙片は黒い蜘蛛と化し、ぶよぶよとした下腹から白い糸を吐き出し、その鎧武者を絡めとろうと。

 キラリ。

 その鎧武者が右腕を振るうと、無数の結晶片が跳び、その蜘蛛を、糸をと切り裂き、その勢いが怯むや一刀の元に絶ち割って見せた。


「な、な……」


 どちゃり。あまりに呆気ない。体液をまき散らす己の式神に、驚くやら呆れるやら。人形は式神での応戦を諦め、勝手に来て勝手に去った地獄龍を呪った。

 アレが居れば、逃げを打つ事も無かったろう。じっくり後始末も出来、次の手を練る事も可能だったのだ。こんな化け物が乱入して来るとは、想定外も良いところ。今は死人たちを贄にわが身の安全を!


 ワンドが唸ると一斉に死人たちは、その化け物に向かって動き出す。


「まなみちゃん!!?」


 すると、その場に打ち捨てられたまなみに、鎧武者が吠えた。その思わぬ反応に、人形は逃げを打つのを踏みとどまり、じっとその様を見つめた。


「ほう? ほほう」


 太刀が唸ると数体の胴が跳ね上がる。

 少女の名を叫びながら、死人の群を滅多切りにしていく様に、余程あのまなみという少女はあの二人に慕われていたらしいと。人形は新たな印を結んだ。


「ふふ……絶望せよ……」

「まなみちゃん!!?」


 全ての死人をばらばらに切り刻んだ鎧武者は、全身を覆う結晶を真っ赤に染め、倒れ伏すまなみの元に駆け寄り、そこではたと立ち止まった。


「そ、そんな……」


 ごろりと転がったまなみの身体は、まるで壊れた人形の様に、ぐにゃり手足や首がおかしな方向に曲がっており、青白い光の中、とても生きている様には見えない。

 どちゃり。膝を着く。

 刀を畳に刺し。


「間に、合わなかった……」


 嘘だ!!


 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!!!


 こんなの現実じゃ無いっ!!!!!!!!!!!!