「……」
薄っすらと靄がかった空間が目の前に広がっている。
どうしてここにいるのか、自分は何をしていたのかがわからない。
こんな場所は見覚えがない。
それに、不思議な感覚に襲われる。
床に足が着いているようで、浮遊感も同じく存在する。
「ここはどこなんだ……? 誰かい……る……?」
返答はなかった。
ただ聞こえるのはキーンという耳鳴りだけ。
手や足、体に傷がないか確認するもそれらしき傷はない。
体を捻って辺りを一瞥するも、広がる景色は暗闇。
どうにか今までの記憶を辿ろうとするも、答えは出なかった。
すると、突如、男の声が耳を叩く。
『――おい』
その声は聞き覚えのあるような、ないような不思議な声。
ハッキリと言葉が聞き取れず、耳に栓がされているような感じを覚える。
『お前さ――』
声の方へ振り向くと、そこには黒い人間サイズの靄がある。
それは、特に襲ってくるわけでもなく、ただ距離を一定に保って佇んでいるだけ。
『なんでまだそんなクラスを続けようと思えるわけ?』
その一言に、思わず目を見開いた。
聞き馴染みのある言葉。
蔑み侮辱する冷たい言葉。
何故思い出したか。
それは、毎日のように浴びせられたからだ。
『あんたさ、戦闘中は役に立たないんだから荷物持ちぐらいはちゃんとやってよね』
次いで女の声ともう一つの黒い靄が増えた。
『うわっ、役立たずのアコライトが今日も懲りずに登校してきてるって? ウケるんだけど』
『さっさとクラスチェンジしちまえばいいのにな』
『何もできないのに、なんでおめおめと毎日学校に来られるわけ?』
侮蔑、嘲笑、誹謗。
言葉を変え、角度を変え、一身に洗礼を受けていた。
誰も助けてくれない地獄。
以前の学校では、そんな環境からまともに話せる人は誰一人としていなかった。
『なあ、パーティに入ってくれよ。人数が揃わなくってさー』
最初は、こんな言葉に少しの淡い期待を抱いていたこともあった。
でも、そんな期待はすぐに儚く散り果てる。
『プリーストがいねえんだから、もっと回復の頻度を上げてくれよ』
「でも、そんなことをしたら……」
『あ? お前、それ以外に何ができんの?』
忠告しようとするも、誰も信じようとしない。
結果、待ち受ける未来に悲惨さが増すだけ。
戦闘中、極めて少ない回復量でも連発するようなことは、まさに愚行。
モンスターたちは他のメンバーをすり抜け、僕を目掛けて一直線で接近してくる。
そんなものを対処できるクラスではない。
何度も集中砲火を受け、殴られ、投げられ、叩きつけられ、地面に臥す結果となった。
防ぐことも避けることも叶わず、ただ一方的に。
だけど、放たれる一言は大体決まっている。
『ああ。ヘイトを集めてくれてありがとな』
『なんだ、ちゃんと仕事できるんじゃーん』
『ははっ、その調子で頼むぜ』
怪我の心配なんてこれっぽっちもされない。
それどころか、こんな苦痛を伴うこと以外にやれることはないと断言されているようにしか感じなかった。
労りなんてあったものじゃない。
日常的に起きていた仕打ち。
僕が一体、何をしたっていうんだ?
内心では反抗を見せるも、他人には愛想笑いをし、ただ「わかった」とだけ返していた。
次第に、何かが擦り減ってしまっていたのかもしれない。
その結果、僕はそれらのことに対して何も感じなくなっていたと思い込むようになっていた。
『おーい、
あの時の感覚が蘇る。
何も感じないなんて、勘違いだった。
そんなことが起きていて、何も感じないはずがない。
心の扉が閉まり始めていたのだ。
防衛本能。
それだけが唯一、自身を守る術だった。
――全身に悪寒が走る。
いやだ。
またあんな思いをするのはいやだ。
お願いだ。
やめてくれやめてくれやめてくれ。
もうあんな思いはしたくないんだ。
お願いだ。
やめてくれ、やめてくれ、やめて――。
心が、体があの時の記憶を呼び戻し悲鳴を上げている。
頭では大丈夫だとわかっていても、それ以外がしっかりと覚えていた。
もはや立っていられない。
崩れるようにその場に座り込み、膝を抱え、体を小さくする。
吐き気を催し、涙が混み上がってくる。
どうしたらいい? どうすればいい?
僕は間違っているのか? 僕が間違っているのか?
なりたい目標があって、なりたい自分を目指すのが間違っていたというのか?
なぜ役割が少ないというただそれだけで、ここまで言われないといけないんだ?
なぜ、どうして、どうしたら、間違っているのは、間違っていたのは――僕、なのか……?
膝を抱える腕が小刻みに震え、肩までをも揺らす。
――誰も助けてくれない、まさに孤独。
こんな痛みから解放されるのは、こんな重りから解放されるのは、夢を目標を諦める他ない。
そうだ。そうじゃないか。
まだまだ人生は長い、始まったばかりじゃないか。
今ここで夢を諦めたって、また新しい夢を見つければいい。新しい目標を立てればいい。
そうだ。簡単なことじゃないか。
諦めたって、死ぬわけじゃない。
いつも答えはどこにでもあった。
いつも答えは頭の中にあった。
いつも答えを自分自身が一番理解していた。
「ああそうさ。それが一番楽じゃないか……――」