「エリン工房というのは、こちらでよろしいでしょうか」
……ある日、開店直後の工房に立派な身なりの男性がやってきた。
「はい! いらっしゃいませ!」
スフィアとクロエさんが営業スマイルで迎えるも、彼は特に表情を変えず。「オーナー様を呼んでもらえますかな」とだけ続けた。
反射的に調合室へ飛び込み、カーテンの隙間からその様子を見ていると、男性は二階から下りてきたミラベルさんと少し話をしたあと、店の奥へと案内されていく。
「エリン、ちょっと来てくれ」
「は、はひっ……!」
そのタイミングで、わたしはミラベルさんに呼び出される。妙に緊張してしまって、変な声が出た。
「こちらが我が工房の看板薬師、エリン・ハーランドでございます」
「ど、どうも……はじめまして……」
ミラベルさんとともにテーブルにつくと、彼女はわたしをそう紹介してくれる。
男性の持つ独特の雰囲気にすっかり気圧されたわたしは、ペコペコと頭を下げるだけ。この人はいったい誰だろう。
「わたくし、ノーハット家で執事をしているエドヴィンと申します。このたび、街一番と評判の
ややあって、彼は洗練された動作とともに会釈をした。
「ノーハット家ですか。伯爵家の執事が、うちのような工房に何用でしょう」
少し驚きを含んだミラベルさんの言葉を聞いて、わたしは思い出した。
ノーハット家といえば、貴族街でも一番大きなお屋敷を持っている名家だ。
元々は小さな貿易商だったが、戦争の功績によって取り立てられ、今やこの街の物流を取り仕切るまでの規模になっている……と、どこかで読んだ本に書いてあった気がする。
「ここ最近、伯爵令嬢であるオリヴィア様が謎の病に苦しんでおりまして。医師を兼務するわたくしにも、手に負えないのです」
「謎の病とは、穏やかではありませんね。どのような症状が?」
神妙な顔で言う彼に、ミラベルさんが質問を投げかける。わたしはそのまま耳を傾ける。
「熱などはないのですが、ただただ、咳が出るのです」
「咳……?」
その返答を聞いて、ミラベルさんは首をかしげた。
そういえば少し前にも、貴族街から咳止めの薬の調合依頼が入っていた記憶がある。
……もしかして、貴族たちの間で何か妙な病気でも流行っているのかな。
「当店にも咳止め薬は売っておりますが、そちらをお試しになられては?」
「すでに試しております。一時的に症状は緩和されるのですが、すぐに再発してしまうのです」
ため息まじりに彼は言い、テーブルに視線を落とす。そして続けた。
「貴族にとって、咳というものは厄介でして。その症状があるだけで社交界に出ることができなくなります。体調管理もできぬ者と、陰で笑われるでしょう」
彼の言う通り、多少の傷であれば衣装や化粧で隠して参加することもできるだろうけど、ゴホゴホと出る咳は隠せないと思う。わたしは社交界なんて参加したことがないから、あくまで想像だけど。
「お願いします。エリン様、薬を作ってはいただけないでしょうか」
そこまで話してから、エドヴィンさんは立ち上がり、深々と頭を下げる。
「わ、わわ、頭を上げてください。お仕事はお受けしますので」
「ありがとうございます。わたくしの力が至らぬばかりに」
わたしの言葉に顔を上げた彼は、心の底から安堵している様子だった。
「そ、その代わり、少しだけお時間をいただけますか。医師を兼務しているとのことで、その……オリヴィア様が飲まれている薬について、お伺いしたくて」
「かしこまりました。お嬢様に処方しておりますのは……」
……その後の話によると、オリヴィア様が服用しているのはシロイモを主体とした咳止め薬であることがわかった。ジャールの根やスイートリーフも入っていて、咳止め薬としての効果は十分のはずだ。
症状を抑えるだけなら、そこに白ニンジンを加える手もあるけど……すぐに症状がぶり返すあたり、何か別の原因がある気がする。
「……あの、失礼ですが、お嬢様は最近、何か悩んでいるような様子は見受けられませんでしたか」
「言われてみれば……このところ、弟のイアン様の体調が芳しくなく、それを気にされているようでした」
「お、弟さんがいらっしゃるんですね」
「ええ。ですが、生まれつきお体が弱く……お嬢様はそんなイアン様を放って社交界に出ることを、大変に気に病んでおりました」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
そこまで聞いて、私はオリヴィア様の体調不良の原因に、間違いなく精神的なものがあると理解した。これは、専用の薬を調合する必要がある。
その旨をエドヴィンさんに伝えると、彼は納得顔をし、「また明日、薬を取りに参ります」と言って、工房から去っていった。
……そんな彼を見送ったあと、わたしは工房へ向かい、薬の調合を始める。
今回の薬に使用する
シロイモやスイートリーフは咳止めの代表格で、白ニンジンは全身強壮剤になる。
そこに加えるのが、月の花やサポリンの実といった、精神安定の効能がある薬材。完成品は婦人薬に近いのだけど、エドヴィンさんの話を聞いた限り、心身両面から治療していく必要ありと判断した。
「月の花は柔らかいから
「エリン先生、かっこいいです……!」
「エリンさんってば、時々ああやってスイッチ入るよねぇ」
「お前たち、邪魔するんじゃない」
テキパキと調合作業を進めていると、調合室の入口からそんな声が聞こえ、わたしは固まる。
聞こえてます。全部聞こえてますから。
「あ、あの、スフィア、少し手伝ってもらえませんか」
「はい!」
恥ずかしさをひた隠しにしながらそう声をかけると、割烹着姿のスフィアが調合室へ飛び込んできた。
おそらく、声をかけられるのを待っていたのだろう。
「で、では、グリーンオリーブの粉砕作業をお願いします。その、気合はほどほどでいいので」
先日の出来事を思い出しながらそう告げると、スフィアは黙って頷き、真剣な表情で薬研を握りしめた。
それを横目にわたしも粉砕作業を始めるも、ある考えが浮かび、振り返る。
「あ、あの、ミラベルさん」
「うん? どうした?」
「少し、ご相談したいことがありまして……この薬にもう一つ、隠し味を入れたいのですが」
「まるで料理のように言うな……」
「あっ、すみません。でも、絶対にあったほうがいい薬材なんです。お値段は跳ね上がってしまいますが」
「相手は貴族様だし、そのあたりは気にする必要もないだろう。して、その薬材とは?」
「モグラダケというキノコです。倉庫にないので、採りに行きたいのですが」
「キノコということは、森にあるのか?」
「は、はい。そこまで森の奥ではないのですが、土の中に埋まっているんです」
「……キノコなんだよな?」
「そ、そうです。正確には、切り株の、土に埋まった部分に生えるキノコといいますか」
「そんなものがあるのだな……」
「も、森の中ですし、穴を掘る必要があるので、できたら皆さんに手伝ってもらいたいんですが……」
「わかった。その粉砕作業が終わり次第、出発できるように準備しておこう」
「あ、ありがとうございます。急なお願いで、すみません」
「気にするな。オリヴィアお嬢様は今も苦しんでいるのだろうし、少しでも良い薬を届けてやりたいしな」
そう言うが早いか、ミラベルさんは調合室を出ていき、クロエさんやマイラさんに指示を出してくれていた。
わたしはそんな彼女に感謝しながら、スフィアとともに粉砕作業に精を出したのだった。