第6話『薬師、充実の新生活? 前編』


 ……翌日。私の作った薬が効いたようで、マイラさんの熱は無事に下がった。


「ミラさんから聞いたけど、新しい薬師やくしさんなんでしょ? 昨日はお薬ありがとう!」


 朝食の席で一緒になると、マイラさんは底抜けに明るい笑顔を見せながら言い、握手を求めてきた。それに応じると、表情を崩さずにますます距離を詰めてくる。


 ち、近い。笑顔が眩しい……!


「あたし、ここで用心棒の仕事してるんだけど、時々熱出ちゃうんだよねー。いやー、ご迷惑おかけしました」


 一瞬しおらしくなったと思ったら、すぐに頭を掻き、からからと笑う。表情豊かな人だった。


「まったくだ。今回は珍しく高熱が出たから、さすがに焦ったぞ」


 そんなマイラさんを見ながら、ミラベルさんが大きなため息をつく。


「もう大丈夫だから、今夜はあたしの快気祝いとエリンさんの歓迎会をしようよ!」


 席から立ちあがってそう口にし、皆の顔を見渡す。


 ……え、歓迎会? 人見知りだから目立つのは嫌だし、できたらやめてほしいんだけど。


「快気祝いってマイラ、自分で言っちゃうんですか? ミラベルさん、どうします?」


「いいだろう。どのみち、エリンの歓迎会はしなければいけないと思っていたからな。クロエ、買い物を頼めるか?」


「いいですよー」


 わたしが内心困惑しているうちに話が進んでいく。これはもう止められそうにない。


「もっとも、午前中は大掃除の予定が入っていますので、買い出しはお昼からになりますが!」


 クロエさんはそう言いながら、部屋の隅に置かれた掃除道具に視線を送る。重ねられたバケツの中に、雑巾やモップ、ほうきといった道具が詰め込まれていた。


「掃除か……頑張れよ。私は工房の開業申請のため、これから王宮に行ってくる」


「頑張れよ……じゃないですよ。戻ってからでいいので、ミラベルさんも手伝ってくださいね」


 その言葉を聞いたクロエさんがジト目でミラベルさんを見る。クロエさん、あんな表情もするんだ……。


「まぁ、気が向いたらな……さて、動くとするか」


 そうお茶を濁したミラベルさんが席を立つと、それを合図にしたように皆が動き出した。


 わたしもそれに釣られるように、掃除の準備に取り掛かったのだった。


「それでは、マイラさんは床の掃き掃除をお願いします。それが終わったら、雑巾で水拭きをしておいてください。私たちも自分の担当が終わり次第、手伝いに来ますので」


「りょーかい! キリキリ働くよ!」


 マイラさんはクロエさんからほうきを受け取ると、勢いよく窓を開けて掃除を始めた。


 すでに生活の場である二階と台所、食堂は先に掃除を終えていたそうで、広さの割に掃除が必要な場所は少なそうだ。


 そしてわたしはクロエさんと水回りの掃除をすることになった。具体的には、お手洗いとお風呂だ。


「おお……お風呂」


 昨日は気づかなかったけど、このお店にはお風呂があった。


 うんうん。古くても薬師工房だし、お風呂はあるよね。調合をする上で、清潔感は大事だし。


 実はわたし、お風呂が大好き。滅多に入れなかったってこともあるけど、家の中で数少ない一人になれる場所だし、色々な意味で落ち着くから。


「あ、エリンさん、お風呂場の掃除は簡単でいいですよー。残念ながらこのお風呂、しばらく使えないらしいので」


 これからは毎日お風呂に入れるなんて夢のよう……なんて考えていると、クロエさんから耳を疑うような言葉が飛んできた。


「え、そうなんですか」


「残念ながら。お湯を送るパイプが壊れているとかで、水しか出ないんですよ」


 そんなぁ。わたしの毎日お風呂計画が……。


 少なからずショックを受けながら、わたしはお風呂のタイルに水を撒き、掃除を始めたのだった。


 ……やがてお昼を過ぎた頃、掃除が終わる。


 最後に三人で徹底的に磨き上げたおかげで、お店の床も棚もピカピカだ。これならいつ開業しても恥ずかしくないと思う。


 満足げにしていると、まるで掃除が終わるタイミングを見計らったかのようにミラベルさんが戻ってきて、彼女がお土産に買ってきてくれたサンドイッチで昼食をとる。


 食後にローズリップティーを楽しんでいると、ミラベルさんがおもむろに立ち上がった。


「工房の開業審査についてだが、問題なく通ったぞ。数日中には許可証が発行されるだろう」


 そう誇らしげに言い、皆の顔を見渡す。マイラさんとクロエさんはこれで一歩前進だと喜び、ハイタッチを交わしていた。


「そこでだ。少し早いが、お前たちに仕事の割り振りをしておきたい」


 ミラベルさんは続けて言い、今一度わたしたちを見る。そして口を開いた。


「まずは調合担当エリン!」


「あっ、はいっ」


「開業後は私たちが仕事を取ってくるから、エリンは調合作業に集中してくれ。この工房の要だ。頼んだぞ」


「わ、わかりました」


 一番に名を呼ばれて、反射的に背筋が伸びる。


 これまで通りの調合をやっていけば大丈夫。頑張れエリン。負けるなエリン。


「次に、用心棒マイラ!」


「はい!」


 胸に手を当てて深呼吸をしていると、続けてマイラさんが呼ばれた。


「この街は治安もいいし、定住する以上は用心棒としての仕事は減る。普段はエリンの指示に従って、薬材の調達を手伝ってくれ」


「わっかりました!」


 マイラさんはびしっと敬礼をしたあと、握りこぶしを作った。


 用心棒をしている……というマイラさんの言葉がずっと気になってはいたけど、この三人は移住者なのだろうか。もし旅をしてきたのなら、道中の魔物対策は必要だと思うし。


「あの、マイラさん……用心棒ということは、ミラベルさんみたいに剣士なんですか?」


「ううん。あたしは拳闘士! 己の拳一つで敵と渡り合うんだよ!」


 思わず尋ねると、彼女はそう言って拳を突き出した。そこには銀色の金具がはめられていた。


 彼女の武器はどうやら拳鍔けんつば……いわゆるナックルダスターのようだった。


「エリン、もし街の外へ薬材採取に行く時は、必ず私かマイラに言え。決して一人で行くな。外は魔物が出て危険だからな」


「は、はい」


 魔物という単語に、おのずと気が引き締まる。


 マイラさんに採取をお願いしてもいいけど、薬材によっては他の植物と見分けがつきにくいものもある。わたしが直接現地に行って採取するほうが確実だろう。


 その際に守ってくれる人は必須だ。薬師は戦えないし、魔物と遭遇なんてしたらひとたまりもない。


「商店で買える薬材がある場合もマイラに頼んでくれて構わない。マイラもそれでいいよな?」


「いいよー。どんどん使って!」


 ミラベルさんに問われ、マイラさんはその赤髪を左右に揺らしながら元気いっぱいに言う。


 ……つまり、お使い頼んじゃっていいと。わたしはお店の人と話すのも苦手だし、それは嬉しいかも。


「最後にクロエ! お前には接客と書類整理、在庫管理を担当してもらう!」


「はい! ……って私、仕事多くないですか!?」


 一旦は返事をしたものの、クロエさんはその黄色い瞳を見開いた。


「お前は将来、商人になりたいのだろう? それならば、この小さな店くらい切り盛りできて当然だ」


「むむむ……理にかなってますけど、その分、掃除や洗濯はミラベルさんがやってくれるんですか?」


「仕事の割り振りは以上だ」


「ちょっと待ってください! ミラベルさんのお仕事を聞いてないですよ!?」


「私は工房長の仕事が忙しい。特に開業前はやることが多くてな」


「それでも書類整理くらいは手伝ってくださいよー!」


 クロエさんは両手を突き上げて憤慨するも、ミラベルさんはどこ吹く風だった。


 そのまま強制的に話を打ち切ると席を離れ、わたしの近くへとやってきた。


 ……あれ? どうしたんだろう。


「エリン、調合室で話がある。ちょっと来てくれるか?」


「あっ、はい。行きます」


 そう言われてすぐ、わたしはカップに残っていたお茶を飲み干して立ち上がった。