第百十八話 極限の勝負

 @mizuhara_16_As

 黄龍戦を優勝した西地区の大将と副将によるエキシビションマッチがまもなく始まります!

 その二人の正体はどちらも将棋戦争のトップランカー!

 自滅帝vs将棋Youtuberライカによる神聖な戦いをご覧あれ!

 タグは【#ライ帝聖戦】を使用しましょう!



 そうSNSに書き込まれた一人の呟きは、小さな界隈を大きくざわつかせた。


 それは、まがりなりにも著名人同士の戦いである。


 多くのプレイヤーがこぞって遊ぶ将棋戦争というアプリのトップランカーと、同じく将棋戦争でトップランカーの地位に位置する女性配信者。


 アマチュアではトップクラスに名が知られている二人を知る者からすれば、まさにドリームマッチである。


 注目を集めるのは当然だった。



 >ライカと自滅帝がリアルで決着付けるのか…… #ライ帝聖戦

 >自滅帝とライカが同じ学校にいるの未だに納得できないんだけど #ライ帝聖戦

 >ライカちゃんの配信でたまに自滅帝現れるといっつも盛り上がってたからすげー楽しみだわ #ライ帝聖戦



 その投稿に真っ先に反応したのは来崎のファンの者達だった。


 しかし、徐々に自滅帝に注目するコメントも増えてくる。



 >自滅帝黄龍戦勝ったのか! #ライ帝聖戦

 >昨日と今日でトレンド沸かせすぎだろ自滅帝 #ライ帝聖戦

 >大会終わったばかりでまた戦うのかw #ライ帝聖戦

 >二人ともどんな体力してんねん #ライ帝聖戦



 渡辺真才の不正事件が嘘だったことが明らかとなり、それまで疑っていた者達は手のひらを返すように一転する。


 トレンドには未だ『自滅帝』のタグが残っている。


 そんな中で唐突に呟かれた『黄龍戦優勝』と『#ライ帝聖戦』のタグ。


 トレンドを席巻するには絶好のタイミングと言わんばかりの消化具合に、多くの者、それこそ将棋を指さない一般人にまで注目が行き届いていた。



 >将棋全然知らないんだけど、自滅帝って何者なの?プロ?アマ?

 >自滅帝は知ってるけどライカって子は知らないな

 >なんかうちの学校が注目されてるんだけど……



 こがらしを吹き飛ばすような熱い風は留まることを知らず、凝り固まった古い価値観をその一風で変えていく。


 たかがアマチュアに対し何を躍起になっているのか。そんな意見は、二人の棋譜を見ると同時に吹き飛ぶ。


 黄龍戦の"過程"を見てきた。そして"結果"を知った。


 ──ならば、この二人の試合に注目しない理由などひとつもないのである。


 ※


「「お願いします」」


 広々とした3階の別室で聞こえてきた声は、シンクロすることなく部屋中に響く。


 真才は対局の挨拶をほとんどしたことがない。常にネット将棋で画面越しの対戦、無言のプレイが多かった。


 対する来崎は配信者として画面に向かって喋ることが多い。対局の挨拶は慣れたものである。


 二人の挨拶は重ならず、絶妙な対立を生み出してついにその聖戦を迎える。


(さて、先手を引いたものの、どうしたものか……)


 真才は初手から長考を選択。


 5秒か? 10秒か? ──いいや、30秒を超えても真才は次の手を指さない。


「……」


 その手は止まったまま、来崎が盤上から視線を外して真才を一瞥しても、真才は未だに動こうとはしない。


「……? 始まってないのか?」

「おい、黙ってろ……!」

「あっ、わり……」


 来崎が対局時計を押してから40秒もの間、真才は一向に初手を指す気配が無かった。



『【ヤバい】自滅帝とかいう正体不明のアマ強豪www【十段おめでとう】Part42』


 名無しの603

 :始まったな……


 名無しの604

 :ライカと自滅帝、どっちが勝つんやろ


 名無しの605

 :>>604 自滅帝やろ


 名無しの606

 :>>604 自滅帝は疲労の蓄積が相当だと思うし、順当にいけばライカが勝つ


 名無しの607

 :てか自滅帝、初手から長考してんな。どういう意図?


 名無しの608

 :自滅帝のすることにいちいち突っ込んでたらキリないぞ


 名無しの609

 :どうせ宇宙の神秘についてとか考えてる


 名無しの610

 :初手で悩むのガチで分からんのだけど、これ意味ある行為なの?


 名無しの611

 :知らん


 名無しの612

 :俺達の想像の遥か上の戦いだぞ、理解できるわけない



 実際のところ、真才は初手で悩んでいるわけではなかった。


 来崎と戦うための戦術は用意してある。そのための覚悟も事前に済ませた。


 では、今の真才にその手を滞らせている要因とは何か?


 ──それは、ただの"雰囲気"である。


 来崎が対局時計を押した手付き、その強さ、そしてこの張り詰めた空気感。


 それらを読み解くために必要なカギを、この場の流れを掴むための必然的な一手を、より確実なものとするための時間。


 ただそれだけが、今の真才を長考たらしめている理由だった。


「……」


 雰囲気──などという抽象的で非科学的な概念が勝負に影響をもたらすのは、その場で対峙する者同士にしか分からない。ましてやこれが本当に意味のある行為なのかなど、神でもない人間に分かるはずもない


 ただ真才は、それが"必要"だと思った。


 真才が初手に時間を掛けることで生まれる疑念、それによって来崎の思考が変わり、後の数十手先で起こり得るズレ。それが最終的な勝因に繋がるのであれば、これは必要な長考だったということになる。


 そんな不確定要素を、真才は本気で読み解こうとしていた。


 ──そう、この男、最初から全力である。


「──!」


 そして真才が初手を指したのは、対局開始から1分18秒後のことだった。


 どれだけの緊張を自分の手中に収めたのだろう。どれだけの意識を自身の一手に集めたのだろう。


 多くの者が釘付けとなって、真才の初手に注目した。


 そうして指した真才の初手は、定跡となる角道を開ける手か、それとも現代流の飛車先を突く手か。


「……!?」

「おいおい、マジかよ……」


 ──真才が指した初手は、端歩はしふだった。



『【ヤバい】自滅帝とかいう正体不明のアマ強豪www【十段おめでとう】Part42』


 名無しの620

 :はい、お手上げ


 名無しの621

 :ふざけてる?


 名無しの622

 :端歩www


 名無しの623

 :はぁ?w


 名無しの624

 :何狙ってるんだw


 名無しの625

 :あれ?自滅流って端歩突くと間に合わないんじゃなかった?


 名無しの626

 :狙いが分からん。何?振り飛車でも指すの?w



(……知ってますよ、その端歩の意図)


 見ている者が困惑する中、来崎だけはその手を見切っていた。


(自滅流はその独特な囲いの性質上、なるべく最短手数で形を組まなければならない。だけど真才先輩、部活のとき私達に隠れてコソコソと自滅流の新しい戦法を研究していましたよね。──私それ、ほんの少しだけですが見てしまったんです)


 自滅流が誰にも真似のできない最たる理由は、その圧倒的な危険度の高さ、ハイリスクハイリターンの将棋となるからである。


 それは形を組むまでの完璧な手順を把握し、完璧な研究を済ませている真才だからこそなせるわざ。ほんの僅かでも綻びが出たら一気に崩壊してしまう陣形である。


 ──そんな未開拓の戦術を使いこなす真才だからこそ、自身の戦法の新手を自在に生み出せる。


(だから左の端歩は手損じゃない。この一手が事前に入っていることで、私が自滅流を阻止するために無理やり攻勢をとったら、真才先輩は上部を圧迫する自滅流から純粋な防御力で殴り合う端玉銀冠はしぎょくぎんかんに組み直して戦うつもりだ──)


 来崎は深く思考し、手を指しながら真才の真意を読み解く。


(──そう、思わせることが狙い)

(──そう、思わせることが狙いなんですよね?)


 二人の思考が重なる。


 しかし、一歩リードしていたのは来崎だった。


(真才先輩の武器は何も自滅流だけじゃない。自滅流を活かした戦い方は居飛車に固定化されていない。──そう、振り飛車でもできる。私はそれを知っている……!)


 序盤の構想勝負、まだ完全な陣形を決めていない真才に対し、来崎は飛車先を突いて真才の使う戦法を強制的に選ばせる。


(──さぁ、飛車を掴んでください、真才先輩。私はその手の対策も"さっき"済ませました)


 真才の読みを上回った来崎。そんな彼女の思惑を知らない真才は、大きな駒を掴んで左に移動させた。


「えっ……?」


 だが、真才が掴んでいたのは、飛車ではなく……王様である。


 ──真才の戦法が、居飛車に固定された。


(うそ、読まれた……!?)


「──そう、思わせたんだよ」

「……!!」


 真才の口から放たれた言葉により、来崎は自身の思考の全てが読まれていることを悟る。


 最初から二人の思考は重なっていない。合ってすらいない。ただ真っ当に、真才の思考だけその先を行っていた。


 ──先の先、そんな"程度"の読み合いに興じるほど、目の前の男は甘くなかった。


 真才の新手対策として事前に応対していた来崎の手が裏目に出てしまい、結果的に来崎が2手ほど手損した形になる。


 そしてその2手さえあれば、自滅流は容易に完成する。そう、端歩を突いても完成してしまうのだ。より完璧になって、より精度が高くなって。


 ──来崎が無駄な読みを入れなければ、この結果にはたどり着かなかった。


(まだ、始まったばかりなのに……っ)


 全てに布石を打っていた真才の異常なまでの警戒心と先読みが、来崎を置き去りにするほどの勢いで序盤から大暴れする。


(これが、自滅帝……真才先輩の全力ですか……っ!)



『【ヤバい】自滅帝とかいう正体不明のアマ強豪www【十段おめでとう】Part42』


 名無しの648

 :あれ、この手数だと自滅流完成するんじゃね?


 名無しの649

 :ライカちゃんまさかの舐めプ???


 名無しの650

 :なんでライカは△6四歩突いて右四間飛車を見せたんだ?


 名無しの651

 :あえて自滅流を組ませたのか?


 名無しの652

 :自滅帝が振り飛車を指すと思ったとか?


 名無しの653

 :自滅帝は耀龍楼閣使うようになってからほとんど振り飛車指してないやろ


 名無しの654

 :全然分かんねぇ!


 名無しの655

 :多分俺らには見えないところで凄い読み合いしてるんだろうな……



 来崎を含む大衆を置き去りにして未知の思考を繰り出す真才。それでもなんとか追いつこうと残された限界の思考力で必死に考え抜く来崎。


 ──ミスしたら死ぬ。そんな切り返しが二人の間で延々に行われる。


 自滅流を阻止するためになんとか囲いの発展を防ごうとする来崎に対し、真才は華麗な身のこなしで着々と自滅流を目指していく。


 来崎の仕掛ける猛攻を受けながらも、真才の王様は1段目へ、2段目へ、そして3段目へと上り詰める。


 これで自滅流の完成、ひとまずは作戦勝ち。


 ──そう思っていた大衆とは裏腹に、ほんの一瞬、透き通っていた空気が淀んだ。


 誰よりも先にその真実へとたどり着いたのは、対峙している真才だった。


「……!」


 ──来崎の様子が一変する。いや、なだらかに変貌を遂げる。


 思考は際限なく伸び、やがて極限へ至り、有象無象の策を打ち破る。


 未来から飛んできたのか、神に会ってその手を教えてもらったのか。


 目の前の盤面に着目したまえと、聞こえもしない神々しい言葉が脳内をつんざく。


「……っ」


 次いでその異変に気が付いたのは、決勝戦で来崎と一戦交えたメアリー・シャロンだった。


「ほう、これが……」


 そんなメアリーの様子を見て、赤利が興味深そうに目を細める。


「は……?」

「何が起こってるんだ……?」


 一般層は、それから数手後にようやく気づく。


 ──手数計算が合っていたはずの、自滅流が完成しない。


「……まぁ、当然そうなるよな」


 浮かび上がるは絶対強者の気迫。紡がれる指し手は神の如き一手。


 敗北を突きつけるイメージすら湧かないその圧倒的な指し手に、多くの者が気圧される。


 そう、それは人の思考が行き着く最後の世界である。


「……──」


 序盤から下手に追い詰めたことで、来崎の覚醒のトリガーが引かれた。