18:聖女と護衛たちのスラム道中

 聖女と神官長によるスラム街の慰問は、警察機構も同行しての大掛かりなものになった。

 それではかえってスラムの住人を刺激するのでは、とエシュニーたちはやんわり同行を拒んだのだが。

「恐れながら、聖女様も神官長様も、あそこの恐ろしさをご存知ではないでしょう。我々はスラムを熟知しておりますので」

 つまりは素人がくちばしを突っ込むな、ということらしい。

「いや、うちには頼もしい魔剣がいますので」

と頑固に主張しても良かったのだが、それでは神殿と警察の仲がこじれかねない。

 げんなりと彼女たちが折れた結果がこの、重犯罪者を護送するような物々しさであった。


 エシュニーたちの乗った自動馬車を、警察機構の自動馬車と、自動二輪に乗った武装警察官が取り囲んでいる。

 エーテル機関から流れ出る紫煙の塊のようになったまま、馬車は進んだ。

「なんだか物々しくて……戦場にでも行くみたいですね」

「ならず者どもの根城だ。似たようなもんじゃねぇかな……まあ、ちと大袈裟な気もするけどよ」

 紫の煙で様子が窺えない窓の外を眺めながら、エシュニーがぽつりとつぶやいた。そしてそれに、向かいのギャランが応える。

 エシュニーの身を案じている彼にも、この厳戒ぶりは奇異に映っているらしい。


「それに気になってるんだけどよ」

「何ですか?」

「スラムの連中にとっちゃ、ポリ公どもが一番厄介者だろ? こいつら連れて回るなんて、猟犬連れで野鳥観察に行くようなもんじゃねぇか?」

「つまり、余計に警戒させてしまう……と?」

 苦々しい顔で、うなずかれる。


(だよねー。私もそんな気はしてた、うん! でも断れなかった! お巡りさんって圧がすごいんだよ!)

 そんな万感の思いを込めて、えへらと笑うと。

 ギャランもニヤリ、と笑った。よからぬことを考えている顔だ。

「お嬢はポリ公に弱いからな、昔っから。なんたって暴れ牛の時に──」

「その話はいいから! いや、二度とするな!」

 タブーの暴れ牛を持ち出され、慌てて彼の口をふさぐ。


 一方、エシュニーの隣に座るトーリスは、煙の合間から見える武装警察官に釘付けであった。こちらの小競り合いなど、知ったこっちゃない様子である。

「新しい兵装だ。とてもいい」

 目をキラキラさせて、武装警察官の横顔に見入っている。

 ショーウィンドウのトランペットに憧れて、食い入るように見つめる少年のようである。


「もう。軍事マニアみたいなこと言っちゃって」

 座席の背もたれに身を預け、呆れ顔のエシュニーがトーリスを見つめる。

(くっ……楽しそうな顔も絵になっている……おのれ!)

 誰に怒っているのかも定かでないが、そんな風に緊張感をごまかしつつ、スラム街へと向かっていた。


 それでも、手のひらはじわりと湿っており、つい呼吸も浅くなる。

 ここライズ町の表側は、戦後の復興も著しく、聖地として栄えたかつての栄華を取り戻しつつあった。

 しかしそこから、少しでも路地に入って行けば、町の裏側──スラム街がすぐに顔を出した。そこは崩れかかった家々が立ち並ぶ、貧しい者たちの砦でもあった。


 エシュニーたちはスラムの中でも、最も人口過密となっている集合住宅への慰問を控えていた。

 道路の補修も全く進んでいないため、自動馬車も平素になく揺れる。

 常ならスラムを迂回する神殿の馬車が、その中を進むことに興味を持った住民が、あちこちから集まって来る。

 彼らの姿が、エーテル機関の排気煙の切れ目から、とぎれとぎれに見えた。

 ボロボロの身なりをした子供もいれば、どう見てもカタギではない面々も混じっている。


 と、その中の誰かが石を投げた。石が窓にぶつかるより早く、トーリスがエシュニーの体を抱き寄せる。そして自分の背を窓に向け、彼女を庇った。

 がつん、と窓にぶつかった硬質の音に、エシュニーは身をすくめた。息が束の間止まる。

 幸いガラスに傷が入っただけで、窓は割れていない。

 大変なところに来てしまった、とエシュニーは改めて現状を思い知った。しかし、後に引くわけにはいかない。


「手りゅう弾でなくてよかった」

 が、トーリスのこのつぶやきには背筋が凍る。

 腕の中から恐々と、彼の端正な顔を見上げた。

「……手りゅう弾の可能性も、あるのでしょうか」

「武器の横流しは、闇市で横行している」


 淡々としたトーリスの答えに、ギャランも重苦しい顔と声で同意。

「軍が抱えてる問題だな。戦後閉鎖された武器工場なんかから、バンバン売り払われてるって話だ」

 初耳である。そして事前情報として、知っておくべき類でもあった。

「うえぇぇ……その話は、もっと早くしてよぉぉ……」

 エシュニーは泣き出す一歩手前であった。


 しかし残念ながら、投石ごときで進軍が止まることはなく。

 その後も順調に進んだ末にようやく、ガタン、と一つ大きく揺れて馬車は停止。

 目的地へ、幸か不幸かほぼ無傷で到着したのであった。

 涙目のエシュニーを、トーリスが覗き込む。


「心配ない、エシュニー。手りゅう弾なら、僕の影で対処する」

「頼みましたよ……死んだら恨むからね……」

 無表情のサムズアップをじっとりと見つめつつ、エシュニーはギャランとトーリスに挟まれる形で外へ降りた。