15:侍女の闇は底なし

「失礼します、お嬢様」 

 四人でアップルパイを楽しんでいる食堂の奥から、その時サルドが顔をのぞかせた。

 彼は今まで夕食の準備のため、一人で奥の厨房にこもっていたのだ。

「どうしました、サルド?」

「これから少し、外出してもよろしいでしょうか? 夕食の時間までには、もちろん戻って参りますので」


 仕事がある時以外、基本的に使用人は自由だ。本来ならばエシュニーの許可もいらないのだが、それを求める辺りが実にサルドらしい。


「もちろん構いませんよ。買い出しですか?」

 荷物持ちとしてトーリスを同行させるべきか、と考えてそう問うと。

 糸目の穏やかな顔が、二度ほど振られる。

「いえ。新しいレシピを考案するため、少し外を歩いてみようかと考えておりまして」

「あら、楽しそうですね」


 どこか浮足立っているサルドにつられ、エシュニーも明るい弾んだ声を出す。

 彼はしばしば、日々の食事に新しい料理を盛り込むべく、食べ歩きを行っている。一度同行したモリーによると、

「サルドさんの審美眼がすごいから、選ぶお店がどこも美味しくて楽しかったですぅ」

とのことだった。

 その話を聞いて以来、エシュニーも一度ついて行ってみたいと考えていた。


「私も一緒に行っても、よろしいでしょうか?」

 そして考えたことは行動に移すのが、エシュニーである。

 サルドはギョッと、身をのけぞらせた。

「お嬢様がですか? あいにく、市場の屋台程度しか立ち寄りませんし……そういった場所は、あまり衛生的で安全とは言い難いのですが……」


「だったらトーリスも、一緒に連れて行ってくれよ」

 そこでギャランが、助け船を出した。

「いい経験になるだろうし、こいつがいればサルドも安心だろ?」

 そう言いながら彼は、力いっぱいトーリスの背を叩く。痛がるそぶりも見せず、トーリスはいつもの無表情。

「社会勉強として、同行する」

 無表情ではあるが、心なしか乗り気である。体勢も、少々前のめりになっている。さすがは大食漢。


 護衛も乗り気ということで、エシュニーは満面の笑みで手を一つ打った。

「それでは、決まりですね。いいでしょう、サルド?」

 最もエシュニーとの付き合いが長いサルドのことだ、おそらくこうなることは予想していたのだろう。観念するように笑った。


「かしこまりました。お忍びのため、徒歩で向かいますが、よろしいですか?」

「もちろんです!」

 快諾するとすぐ、エシュニーはモリーと共に自室へ戻り、そこで着替えをする。

 滅多に着ることのない、私服へ袖を通した。以前に着たのは一年前になるので、サイズが合わなかったらどうしようという不安があったのだが、幸いぴったりなままだった。

 むしろ胸に関してはパツパツになっていても嬉しかったのだが、残念ながらこちらも現状維持であった。

(太陽神のご加護が、働いてもいいと思うんだけどなぁ……駄目なのか。胸は加護の対象外か)


 密かに落胆しつつも、着替えを済ませて、目立つ銀髪をまとめて帽子の中へ隠す頃には、お忍び買い歩きへの楽しさが勝っていた。

「サルドさんが一緒だから、大丈夫だとは思いますけど。くれぐれも、目立つ行動は慎んでくださいね?」

 モリーの小言にも、浮かれた調子で「はーい」と受け流す。


「分かっていますよ。お忍びですもの」

「あ、あとそれから、落ちたものは食べないでくださいね」

「食べるわけないでしょうっ」

 が、未だ悪ガキ扱いされると、さすがに顔をしかめる。最後に拾い食いをしたのは十歳の頃なので、かれこれ十年も信じてもらえていない計算になる。不本意だ。


 腹立ちついでに、エシュニーは大事なことを思い出した。

「大変です。トーリスの私服がありません」

「え? あ、そういえば……」

 モリーも顔を引きつらせる。彼は軍服と、神官用の祭服しか持ち合わせていないのだ。一応寝巻もあるが、論外の更に外だ。


 ライムグリーンを基調とした格子柄のドレスに着替えたエシュニーは、階下へ向かい食堂を見た。

 するとそこには、少しサイズの大きな白いシャツと、これまただぼつき気味のコーデュロイパンツをサスペンダーで吊った、トーリスの姿があった。

 平時と違う出で立ちに、しばし目が奪われる。

(イケメンは、何を着ても似合う)


「ギャランに借りた」

 視線の意味を捉え間違えたトーリスが、余った袖をまくり上げながら静かに言った。その声で我に返り、こくこく、とエシュニーはうなずく。

「に、似合って……いますね」

「それはよかった。エシュニーも」


 彼がしげしげと、ドレス姿のエシュニーを眺める。

「……エシュニーではないようだ」

「どういう意味だ、おい」


 眉間に深いしわを刻むエシュニーを、モリーがなだめた。

「お嬢様、どうどう。トーリス君は、聖女姿のお嬢様しか知りませんから」

 こくり、とトーリスも同意。

「そうだ。今は令嬢にしか見えない。エシュニーはやはりすごい」

 エシュニーは眉をよせたままであるが、顔が赤い。照れ隠しの渋面だった。


「……それは、褒めているのですか?」

 しばし、トーリスが首をひねる。

「よく分からないが、いいとは思う」

「そうですか……」


 もじもじする主と、そんな彼女を眺めるトーリスを交互に凝視し、モリーが鼻を両手で覆いながらのけぞる。そして、トーリスが驚く声量で吠えた。

「なんて甘酸っぱいのぉ! いいわよ、トーリス君! すっごくいい! お姉さんを……もっともっと悶えさせて!」

「……怖いですよ、モリー」

 侍女のやや歪んだ愛情表現に、エシュニーは頬を引きつらせた。


 モリーによると、

「トーリス君単体でもいいのですが、お嬢様もセットだとなお可愛いんですぅ」

とのことらしい。実に闇が深い。