どうやら向こうも同じだったようだ。そんな姿を見ているうちに、桃花の頭の中に一つの案が浮かんだ。
(あれならうまくいくかも……!)
そう思うと、迷わずそれを実行に移すために行動に移した。
「あの、ちょっと提案があるんですけど」
そういうとアルが不思議そうに首をかしげる。
「なんですか?」
「あそこの柵に一緒につかまってくれますか?」
桃花は広場の隅に設置されている木製の柵を指さした。高さは桃花より少し低いくらいだ。その高さにアルを立たせる。
「この方が、縦に長く写真が撮れるので。それに至近距離からの撮影がしたくて」
「なるほど」
アルはうなずき、言われるままに両手を柵の上に置く。その横に桃花も同じように手を置くと、二人の距離がぐっと近づいた。
(うん、いい感じかも)
これなら綺麗に撮影ができるだろう。そう確信して、ファインダーを覗き込む。あとはタイミングを見てシャッターを押せばいいだけだ。
(ほんとに、綺麗な顔をしている)
水平線を映すために上半身だけを撮影しているはずなのに、それだけで息をのむほどアルの顔立ちには魅力があった。それに加えて、髪の隙間から覗く瞳の力強さに魅了される。こんなにも整った容姿をしているのだから、どこかのモデルになればいいのにと思うが、きっと彼には彼の事情があるのだということはわかっているつもりだ。だから余計なことは言わずに、今はただこの風景を切り取ればいいのだ。
(もう少し……あとすこし……)
ピントを合わせて、シャッターを押すだけというところまできた時だった。ふと、アルが横を向いた顔が、桃花のファインダー越しに目があった。
(王子様だ……)
あの時、道の先で見つけた時よりもさらに近い距離で見る顔は、まるで物語に出てくる王子のようだった。そんな彼の視線を独占していることに幸せを感じながらも、視線を逸らすことができないままシャッターを切った。
ほんの一瞬、まばたきをする寸前の顔も、こちらをみて、また海を見つめるその視線も。
すべてが切り取られて、桃花の「作品」になっていく。触れられない王子様が、ほんの指先の距離にいる。そんな錯覚を覚えてしまうほどに、今この瞬間だけは、二人だけの世界が広がっているような気がしていた。
(この王子様が画面の向こう側から見ている感じ……本物みたいだ)
そんな幸せな時間はあっという間に終わってしまった。アルが離れていくと、先ほどまで感じていた体温も同時に離れていってしまったからだ。寂しさを感じつつも、桃花はアルに頭を下げた。
「ありがとうございました」
「いえ、どうですか、写真は」
そう言って笑ったアルの顔は、いつもと同じ笑顔に戻っていた。
「こんな感じです」
桃花はアルにカメラを渡す。
「うん。いいですね……ふむ……逆光もいいですが、サングラスで顔を隠してみましょうか。それか、髪をなびかせるとか?」
「あ、そっちもするんですね?」
「はい。それが僕は好きですから」
顔を隠した撮影もしてほしい、というのはアルは変わらないらしい。普通ならばそんな依頼受けたりはしないのだが、桃花は自然と頷いていた。
(だって、その方がアルに納得してくれるだろうし)
それに何よりもアルの喜ぶ顔を見られることが嬉しいからなのだろう。そう思いながら、レンズを変えた。持ってきていたケースからレンズを取り出して、慎重に変えていく。
「それは?」
「光を取り入れやすくなるレンズです。逆光で顔をわからなくするなら、せっかくなら光をたくさん取り入れた方がいいですからね」
「なるほど……」
「これでいきますね……じゃあまずはさっきと同じポーズで、今度はなので反対側から」
そして今度は先ほどと同じように両手で柵を持ってもらったうえで撮影を続けることにしたのだった。
(これだったらいけるかも)
もう何度目かわからないくらいのシャッター音が鳴り響く中、アルの表情が少しずつ変わってきていることに気づいた。最初はぼんやりとした表情で遠くを見つめていただけだったが、だんだんと口角が上がっていき、自然な表情になってきていた。
(なんだか楽しそう……かな?)
あの時の逆光の写真はどこか寂しそうな顔をしていた。目元が暗くわかりにくいから、すぐにはわからなかったものの、何度か撮影しているうちに表情が柔らかくなっていくのがわかった。そして今では楽しそうな表情に変わっている。
(もしかして、こっちの顔のほうがいいのかも……?)
それならば、もっといろんな表情を引き出せるのではないだろうか。そんなことを思いながら撮影を続けていた。
「……ふう」
気がつけば海だけで百枚以上、写真を撮っていた。
それでも頭の中でわずかに覚えていたせいか、今度はアルに迷惑をかけずに、切りのいいところで撮影を終わらせられた。
「すごいですね、桃花は集中力があります」
ベンチに座って、アルが感心したように言った。
「昔からです。好きなことにはいくらでも集中できるんですよ」
「へえ、羨ましいことです」
そう言われてもあまり実感はないけれど、褒められていることはわかるので素直に受け取っておくことにする。
「アルだって、私に付き合って疲れていませんか?」
写真を撮っているフォトグラファーも体力を使うが、それに付き合うモデルだって疲れるものだ。特に今回のようにずっと同じ姿勢をとり続けなければならないとなるとなおさらである。それなのに彼は疲れた素振りも見せず、それどころか楽しそうにすら見えるほどだった。さすがプロのモデルといったところだろうか。
「いえ、楽しいですよ」
指を組んでうなずいてくれる。
「自分の作ったものが形になる瞬間を見るのはとても嬉しいですから」
その言葉に桃花はどきりとした。
(この人は……どこまで私を虜にしたら気が済むんだろう)
本当にずるい人だと思ってしまう。でもそれと同時に嬉しさもあった。こんなに素敵な人が、自分と一緒にいて楽しんでくれているという事実がどうしようもなく嬉しかったのだ。
(多分、ゲームだったらこの辺で好感度のイベントがあるんだろうな)
王子様の内面を知って、こちらのことも見てくれて。とはいっても、ゲームの世界の王子様がみているのは、ゲームの世界のヒロインなので、こっちはそのアバターを被っている状態だ。それがわかっていながら、こうして楽しく過ごせているのだから不思議なものだった。
(このままでいいのかな……)
自分はそれでいいと思っているし、むしろこんな時間がいつまでも続いてほしいと思っているくらいだが、一方でこのままではいけないという気持ちもある。
(本当はもっと内面とか、知ったほうがいいんじゃないかって、そう思うんだけど)
少なくとも、今までの桃花の撮影だったらそうしていたはずだ。
モデルの要望や願いを聞いて、一緒に組み立てていく。
その中で、モデルの人となりも理解していく。
(それなのに、この人は「王子様」のままだ)
そうしなくてはいけないはずなのに、桃花はアルのことをまだ何も知らない気がした。