第32話 『世界でいちばん熱い夏』

 大粒の雨は激しさを増す。

 ミサキと別れてそんなには経ってないけれど、体はすっかりずぶ濡れだった。


 自分の部屋を目指して歩いていた僕は、ふと足を止めた。


「そうだ……伯父さんに謝らなきゃ……」


 黙っていなくなった僕。

 コウイチさんが連絡をしてくれたけど……。

 きっと、心配しているだろう。

 凄く怒られるかもしれない。

 でも、明日の追試を受けるためには、絶対に避けられない道だ。


 それに……。

 自分の為にと声をかけてくれた伯父さんを、これ以上裏切りたくなかった。



 田舎の夜は深い。

 多分、今は9時ちょっと過ぎくらいだと思うけど……。

 辺りに、外灯以外の明かりは見えなかった。


 雨音だけが敷き詰める深い闇。

 その闇の中にこぼれる、一際大きな明かり。


「あれは教官室だ……」


 宿直室に向かっていた僕だったけど、足はその明かりに引かれるように教官室へと向いた。


「まだ誰かいるんだ」


 教官室に着いた僕は、そっと窓から中をのぞき込む。

 中は事務的に机が並び、その上には山のような書類がある。

 部屋の奥には、2体の教習人形が椅子に座らされているのが見えた。


「あ、あの人形は……」


 肩に“01”と番号が振ってあるアイツは、間違いなく僕のパートナーだった女性型教習人形だ。

 その隣りには、ミサキのパートナーだった男性型教習人形もいる。


 2体とも、うなだれるようにして椅子に座っていた。

 おそらく、メンテナンス中なのだろう。

 その体には、たくさんのコードがさされていた。


「2体とも、調子悪かったもんな……」


 僕はつぶやきながら、部屋の中に視線を巡らせる。


「あ、いた……」


 瞳に、伯父さんの姿が映った。

 椅子に座る伯父さんは、祈るように両手を組み、その上にアゴを乗せている。

 かたわらには、奥さんである伯母さんの姿もあった。


「伯母さん……少し痩せた?」


 心配そうな2人の表情に、胸が激しく痛む。


「行かなきゃ……」


 僕は、ふらふらと教官室の入り口へと向かった。

 空から降る雨は、容赦なく体に打ち付けてくるけど……。

 僕にはもう、何も感じなかった。



 痛む胸に手を当てながら、扉の前に立つ。

 中から、伯父さんたちの話す声が聞こえてきた。


「あなた……まだ学司がくしは帰ってこないの?」


 静かに尋ねる伯母さん。


「ああ……」


 伯父さんは、押し殺すように答えた。


「そんな……だって、追試は明日でしょ!?」

「コウイチの話では、もうとっくに家を出たらしい」

「帰り辛いのかしら……」

「それもあるかもしれないな」

「外は雨が降ってるんだから、早く帰ってくればいいのに……」


 伯母さんが、心配そうにため息をついたとき――


「ただいま……」


 僕は、教官室の扉を開いた。


「学司!!」


 椅子から立ち上がる2人。


「お前は何をやっているんだ!!」

「ごめんなさい……伯父さん」

「まぁまぁ、あなた。こうして無事に帰って来たんだから」

「伯母さんも……ごめんなさい」


 僕は、深々と頭を下げた。

 唸りながら、再び椅子に腰を下ろす伯父さん。


「学司、あなたびっしょりじゃない!」


 髪の先から水滴が落ちている僕を見て、伯母さんが驚きの声を上げる。


「顔もアザだらけで……」

「ごめんなさい……」


 さすがに、喧嘩してましたなんてことは言えない。


「ちょっと待ってて、タオルと傷薬を持ってくるから」


 そう言い残すと、伯母さんはパタパタと奥に走っていった。

 部屋の中は、僕と伯父さんの2人きり。

 椅子に深々と腰掛けた伯父さんは、腕を組んでジッと僕を見詰める。

 言葉はない。

 その視線の圧力に気圧されそうになる。


 やっぱり怒ってるのかな……。

 もう一度、ちゃんと謝ろう!


「あ、あの……伯父さん」


 僕が口を開いたとき――


「探し物は見つかったのか?」


 それを遮って、伯父さんの言葉が飛ぶ。

 戸惑う僕に、伯父さんは言葉を続ける。


「免許のこと、試験のこと、自分自身のこと……。何か見えたんじゃないのか?」

「うん……」

「学司自身は……」

「お待たせ、学司」


 伯父さんの話に割って入るように、伯母さんが帰ってきた。

 その手には、タオルと傷薬を持っている。


「ほら、早く拭いて」


 そう言いながら僕にタオルを渡すと、伯母さんは脱脂綿に消毒液を染み込ませ、それを僕の顔に当てた。


「いてて、いてて! だ、大丈夫だから」

「ダメよ、ちゃんと手当てしないと」


 痛がる僕に、お構いなしの伯母さん。

 その様子をしばらく黙って見ていた伯父さんだったけど……。

 やがて、その口が再び開いた。


「学司、お前自身で決めた道は……」


 その瞬間、部屋の中に響き渡る起動音。

 伯父さんは、困ったように再び唸った。


「あらっ? やっと再起動が終わったみたいね」


 そんなこと、気にする素振りもない伯母さん。


 2人のの視線の先――

 そこには、例の教習人形があった。


「業者の方が来て、新しくOSを組み直したのよ」


 伯母さんが説明する中、僕のパートナーだった女性型教習人形の目が、ゆっくりと開いていく。


 コイツには、いい思い出はない……。


 僕は、ゴクリとツバを飲み込んだ。

 その音が聞こえたのか、人形はこちらを向く。

 椅子から立ち上がる人形。

 ささっていたプラグが抜けていく。

 機械的な音が響いた。


 人形は、1歩1歩を踏み締めるように近付いてくる。

 そして、僕を求めるかのように、その手が伸ばされた。


「な、なんだ……!?」


 戸惑いの中、人形の口が開いた。


「アナタ、今マデ ドコ行ッテタノー!!」


 意外なその言葉に、僕たちの口があんぐりと開く。


「アタイヲ置イテ……寂シカッタンヨ?」


 だけど、そんなことお構いなしで、人形は僕の腕にすがりつく。


「寂シカッタンヨー! アタイ、寂シカッタンヨー!」

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待てって!!」


 慌てて人形の手を引きがす。


「な、何で人形キミにそんなこと、言われなくちゃなんないんだ!?」


 その言葉に、人形の顔色が変わった。

 すごいな、そんな機能まであるのか……。


「ソンナ言イ方……。サテハ、浮気ネー!!」

「な……!?」

「ドコノ女ヨ! 歯車ノ1ツモ無イ体ノ、何ガイイッテイウノヨー!!」

「ちょ……落ち着けって!!」

「悔シイーッ、ムキー!!」

「……はい、そこまで」


 いつの間にか人形の後ろに回り込んでいた伯父さんが、首の後ろのカードを引き抜いた。


「ア……ア……」


 2、3度、口をパクパクさせた人形は、僕に絡み付いたままの格好で停止する。


「人工知能のバージョンを上げたと、業者の人は言っていたけれど……」


 頬をかく伯父さん。


「うん……失敗だと思う」


 人形の手足を引きがしながら、僕は深いため息をついた。


「まぁ、なんだ……学司はどうするんだ?」


 2回も話を遮られた伯父さんは、バツが悪そうに訊ねる。


「うん、そのことなんだけど……」


 ようやく手をはがし終わった僕は、伯父さんに向き直った。


「僕はまだ……将来のことはわからない」

「わからない……か」

「うん……」


 うつむく僕。


「何のためにとか、何をしたいとか……正直、良くわからない」


 そう言いながら、握り締めた右手を包み込むように、そっと左手を当てた。

 右の手の甲が、ほんのり温かくなる。


「だけど……」


 僕は顔を上げた。


「こんな僕だけど……。信じてくれた人を裏切ることは、もうしたくない」

「学司……」

「だから……僕に、追試を受けさせて下さい!」


 僕は、頭を下げた。

 手に残る温もり。

 それは、ミサキの手に触れたときのことを……。

 僕に、思い出させてくれた。


 2人で合格しようねって約束したんだ!


 そんな僕のことを、伯父さんはじっと見詰める。

 ややあって、その口が開いた。


「……もう寝ろ」

「伯父さん!?」

「明日の出発は早いぞ」


 そう言う伯父さんの顔は笑っていた。


「ありがとう、伯父さん……」

「ほら、学司」


 喜びに震える僕の肩に、伯母さんがそっと上着をかけてくれた。


「冷えた体を温めて、ゆっくり休みなさい」

「ありがとう、伯母さん……」


 色々あったけど、これでようやく試験が受けられる……。

 これに受かって、ミサキとの約束を守るんだ!


 握り締めた拳が震えている。

 これが武者震いというヤツか!!


 これで合格すれば、きっとミサキは笑顔で出迎えてくれて……。




「ガク!!」

「君の為に免許を取ってきたのさ!」

「まぁ、素晴らしい!」

「これで僕たちを妨げるものは何もない……」

「ああ、ガク……」

「2人の運命デスティニーは、今夜ワンナイト大変革レボリューションする」

「素敵……」

「この世界に、2人だけの伝説レジェンドを作ろうじゃないか」

「はい……喜んで」




「お、おい、学司?」

「……んあっ!?」


 久しぶりに夢の世界に浸っていた僕は、伯父さんの声で現実世界に戻される。


「大丈夫か? 顔が真っ赤だぞ?」


 ヤバイ、幸せ妄想が顔に出てた!?


「だ、大丈夫、何でもないよ!」


 僕は、慌てて口元を拭うと、伯父さんたちに背を向けた。


 思いっ切りニヤケていたかもしれない……。

 これは恥ずかしすぎる!!


 思わず息が荒くなり、心臓の鼓動が早くなっていく。


「そ、それじゃ、もう寝るね!」


 それでも何とか平静を装って、出口へと踏み出した。


 その瞬間――


「あ、あれ!?」


 カクンと、僕は崩れるように片膝を付く。


「学司、どうした?」

「あ……あはは、大丈夫。ちょっとつまずいただけ」


 笑いながら机に手を置いて体を起こす――


「うわっ!?」


 はずが、手は体重を支えられず、床の上を激しく転がった。


「だ、大丈夫か!?」


 慌てて伯父さんたちが駆け寄ってくる。


「あれ……おかしいな……」


 体が震える。

 とても寒い。

 息も苦しい。

 体中が痛い。

 世界がぐにゃぐにゃになって、グルグルと回り出す感覚。


 これは一体……。


あつっ!?」


 僕の体に触れた伯父さんが、驚きの声を上げた。

 すぐさま伯母さんが、僕の額に手を当てる。


「が、学司、あなた凄い熱よ!?」

「あ……れ……2人の声が……遠くに聞こえ……る……よ?」

「ちょ……学司、学司ーっ!!」


 そして、僕の記憶はここで途切れるのだった……。