「それで。今度のこの薬はどのような薬効が?」
石臼を挽いた灰色の細かな粉を全て容器に入るように掻き集めている私に、ハープがたずねてきた。
そういえば、まだ伝えていなかったわね。
私は身体を起こすと、汗ばんだ額に片手で風を送りながら、ハープの方を向く。
「あなたのお母様が喉のご病気だというでしょう? 咳が酷く、声が枯れていると。その薬よ」
「私の母……ですか?」
「ええ。このままでも良いのだけれど、慣れないと服用しづらいから、糖蜜に混ぜて舐めるように使うと良いわね」
「いえ。奥方様。使い方はともかく、なぜ私の母の病に効く薬を作ってくださったのです? 一度もお会いしたことがないはずですが……」
ハープは困惑顔で、目を白黒させながら私を見つめる。
そんなに驚くことかしら。
「なぜって、あなたのお母様は旦那様。あら、いけない。まだ言い慣れないわね。オルガン様の乳母様でしょう? それだけで理由は十分じゃないかしら。あなたのお母様ならなおさら、ね」
「正直なことを申し上げますと、奥方様はかなり強い博愛の心をお持ちかと。本当に、なぜ奥方様にあんな噂が流れていたのか、理解に苦しみます」
「私のあんな噂? どういうことかしら?」
私の問いに、ハープは口元に手を当てて、慌てた様子だ。
言うつもりはなかったけれど、油断して出てしまったということかしら。
そういえば、ここに来た時、いいえ、王都の別邸に訪れた時から、使用人たちの私を見る目はどこか含みがあったわね。
知らない間に変な噂が流れていたみたい。
一体誰がどんな噂を流したのかしら。
「ねぇ、ハープ。決して怒らないし咎めたりしないと約束するから、どんな噂か教えてちょうだい」
「いえ……あの……根も葉もない噂ですから。奥方様が気にされるようなことは……」
「ハープ?」
「……かしこまりました。奥方様は今まで一度も社交界に顔を出されていませんよね?」
社交界には確かに一度たりとも出たことはない。
お父様が許してくださらなかったから。
私は無言でハープの問いに首肯する。
「男爵家のご令嬢ですので、さすがに一度も、というのには訳がある。皆様そう考えるのが普通です」
「そうね。それで?」
「理由はお身体がお弱いから、ということだと聞いております」
「まぁ! そんな理由になっているのね。初めて知ったわ。言われてみれば、私自身どういうふうに周りに説明をしているのか聞いたことがなかったわね」
身体が弱いから出られない。
良い言い訳だと思う。
お母様も身体が弱かったと聞いているし、早逝している。
その娘である私の身体が弱くても、誰も不審に思う者はいないのじゃないかしら。
でも、それが理由ならあんな噂という言い方が理解できないわね。
「しかし、それは表向きの理由で、本当はおかしな行動を繰り返すため、外に出すことができないと……頭が、その……おかしいという意味でして……」
「なんですって!?」
「いえ! あくまで噂ですので! 私も奥方様がそんな方でないことは重々承知しております!」
「まぁ……そんな噂が私に……一体誰がそんなことを……」
あまりのことに、私はびっくりして目眩を感じてしまった。
本当に一体誰がそんな噂を流したのかしら。
顔も見たことのないような、いち男爵家の娘の噂など。
考えてみると、一人の顔が浮かんできた。
でも、確証がないのに人を疑うなんて最低の行為よ。
もしそうだとしても、そんなことする必要がないもの。
私は
そんな私を、ハープは心配そうな目をして見つめていた。
「大丈夫よ。驚いただけなの。それに、噂が違うとあなたが言ってくれて嬉しいわ。もしずっとその噂を信じられて扱われてたとしたら、悲しいもの」
「大変申し訳ございませんでした! 私の失言で奥方様の気分を害してしまい!」
「いいのよ。言ったでしょう。怒ることも咎めることもしないって。本当に驚いただけなの。さぁ、薬作りの続きをしましょう。といっても小瓶に詰めるだけだけど」
「お手伝いいたします! そして、私の母のために薬を作ってくださり、本当にありがとうございます!」
思わぬことを聞いてしまったけれど、気持ちを入れ替えて、漏斗の下に置いてあった容器から小瓶へと粉を移し替える。
私が粉を詰めた小瓶に、ハープがコルクの栓をしていく。
「これを糖蜜に混ぜて服用するんですね? 水で飲むのではダメなのですか?」
「この粉薬は喉に直接効くらしいの。飲むんじゃなくて、舐めるのよ。ただ、そのままだと癖があるから」
「そんな薬があるんですね。薬は高価だし、中には全く効かなかったり、逆に悪化させる薬も多いと聞きますから。奥方様の行為には感謝しかありません」
「うふふ。ありがとう。気を遣ってくれているのね。本当にさっきのことは大丈夫だから。気にしないで、そうだ!」
ハープの気遣いに少し気が楽になる。
気にすることはないわ。
それこそ根も葉もない噂だもの。
ちょっと待って……もしかしてオルガン様もこの噂をご存知で……?
「ねぇ、ハープ。オルガン様も私の噂をご存知なのでしょう? なぜそんな噂の娘と結婚するなどしたのかしら?」
「いえ! オルガン様から聞いた話ではございません! ただ、ご存じかどうかについては……嫌でも耳には入ってきているかと。結婚に至る理由については使用人の私にはとても……」
「そうね。悪気はなかったのよ。オルガン様が戻るまでまだしばらくあるのね……戻られたら聞けるかしら。一度しかお会いしていないし、その時はとても素っ気なかったけれど」
ほとんど話せなかったから、オルガン様の気持ちなんて分からない。
ただ、好意と呼べるものはなかったのかもしれない。
ううん。
考えるだけ、無駄よね。
好きにしていいと言ってもらえて、こうして今、素敵な毎日を過ごせているんだもの。
実家にいたら一生味わえなかっただろう幸せな毎日を。
どんな意図があったにせよ、オルガン様には感謝しかないわ。
いつか恩返しができたらいいのだけれど。
「終わりましたね! 流石にまたお暇をいただくわけにはいかないので、使い方をしたためて、母の元へ送らせていただきます」
「あら。また一日くらい、いいじゃない。でも、そうねぇ。この間もドラムに伝えたら、渋々許可をといった様子だったし……私の噂の話を聞いた後では、少し大人しくしていた方が良いかもしれないわね」
「申し訳ございません……本当に」
ハープのお母様には、早馬を飛ばして荷物を届けてもらうよう手配することにした。
その際に、ハープに渡したものとは違う成分を入れたフォルテの葉から作った軟膏も入れておく。
これは肌のどこの部位に使っても問題ないもの。
肌に潤いを与えてくれるから、とハープに伝えると、よければ自分用にも欲しいというので、快くあげた。
ハープの嬉しそうな顔を見ると、とても心が癒されるから、ありがとうはこっちの方なのに、何度も感謝を伝えられ、くすぐったい気持ちになる。
本当に、こんな生活を与えてくださったオルガン様には感謝しかないわね。
そんな平和で楽しい日々に変化が訪れたのは、しばらく経ってのこと。
オルガン様の弟君、オリン様がいらしたのだ。