ep06.誤った選択

 この魔族の女に名前は無い、それに必要ないという。

 俺は不思議に思った。

 獣の類に名前という概念がないことは理解出来る。

 しかし、魔族といえども人間の生活様式、文化を持っているはずだ。

 名前が無いということがありえるのだろうか。

 俺はこの魔族の女に興味を持ち始めた。


「名前が必要ない? それは魔族の世界では普通なのか」

「名前があるってことは贅沢なのさ。それは人間も魔族も関係ない」


 俺には言っている意味がわからなかった。

 人間も魔族も名前があることが贅沢だと?

 そう疑問に思っていると魔族の女は言った。


「お兄さん、確か名前はガルアっていうんだろ」

「……知っていたのか」

「聞いてるよ、勇者イグナスの頼れる戦士様だ。そんな装備をさせられて気の毒だね、まるで悪役みたいだ」

「これは、イグナスが俺のために選んだ装備品だ」

「どっからどうみても、それは魔族が作った呪われた装備品のようだけど?」

「どの装備品もデメリットはあるが、攻撃力、防御力の数値は高い」


 俺がそう述べると、魔族の女は冷ややかな笑みを浮かべる。


「あははっ、笑っちゃう」

「なに?」

「あいつは、あんたを使って遊んでるようにしか見えないね」

「遊んでいるだと……」

「だいたい、あいつはあんたを仲間から外したがっていた。違うかい?」

「それは……」

「イグナスはこう思ってるのさ『戦士は前衛のスペシャリストだけど、装備品に金がかかる。それにこれといった特技もスキルもない。それだったら別の職業の仲間を入れた方がいい』とね。だから、あんたで遊び始めたんだ」

「バカな……」

「あんたも薄々気付いているだろ?」

「くっ……」


 手に持つカタストハンマーがピクリと動いた。

 その細かな動きに合わせ、魔族の女の小さな体も僅かに動く。

 この戦槌が振り下ろされると思ったのだろうか。

 だが、魔族の女は気丈な振る舞いを見せる。


「図星だったかい? 勇者に遊ばれる哀れな戦士様」

「うるさい……あいつはあいつなりの考えがある。きっとこの呪われた装備品も――」

「大方『デメリットに目をつむっても、装備させるほどの価値がある』とでも言われたんだろうね」


 魔族の女は赤い瞳で俺を見つめる。


「そんなものはないよ。それはガラクタ――私のようにね」

「ガラクタ……」

「私はどうでもいい存在なのさ」

「……どういう意味だ」

「あんたには関係ない」


 魔族の女の言っている意味はわからない。

 だが、何故だろう。

 俺はこの魔族の女を哀れだと思い始めた。

 自然とカタストハンマーを下ろされ、体は膝をつき横に座った。

 魔族の女は驚いた顔をしている。


「あんた……」

「喋るな、もうすぐイグナスが来る」


 自分でも不思議な感覚だ。

 ガラクタといったことに同情したのかもしれない。

 イグナスからパーティを外され、捨てられていく自分と重ね合わせたのだろう。


「私、あんたを攻撃するかもしれない」

「今のお前に敵意、殺意は感じない」

「何故、そう言い切れる」


 同情したからとはいえず、俺は理屈をつける。

 丁度、頭にはこのスカルヘルムを装備している。

 俺は人の頭蓋骨に似た、この兜を指差す。


「あれば、このスカルヘルムが反応し、攻撃しているはずだ」

「油断しない方がいいよ、私がいつ……」

「随分と親切だな。いちいち喋らなくとも不意打ちで来てもいいはずだぞ」

「それは……」


 魔族の女は下を向く。

 ここで俺は一つの質問を投げかける。

 ここまでの会話で引っかかる部分があったのだ。


「それよりもお前、やけに俺達に詳しいな」

「え?」

「まるで、俺達のこれまでの冒険を見てきたかのような口ぶりだったぞ。それに勇者の最終試験とやらも気になる」


 何故、この魔族の女はこれほどまでに詳しいのだろうか。

 イグナスが俺に呪いの装備品を当てがっていること、パーティから外すことを知っていた。

 それに勇者の最終試験、これも気になる。

 この魔族の女はイグナスの何を試そうというのか。


「お前は何故知っている、何をしようとしている」


 俺の問いかけに魔族の女は何も言わない。

 しん鎮まる空間、そこに張り詰めた空気、緊張感はない。

 あるのは静寂、松明の火と月の光だけ。


          ***


≪名も無き村の宿≫


「可愛そうだけど、殺すしかないな」


 ジルから話を聞かされたイグナス。

 あの魔族の女を殺す選択肢を選んだ。

 勇者の選択、主人公の選択、それはそれで正しいだろう。

 だが、ジルは念を押す。


「本当に殺すのか?」


 イグナスは声を低くし、簡素に答える。


「ああ」

「まだ若い魔族だぞ」

「見た目が人間に似ているだけだ。魔族は敵だ、殺さないといけない」


 冷たい勇者の答え。


「……そうか」


 ジルは黙って頷いた。

 それがイグナスの正解ならば同意するしかない。


「行って来るよ。それに、その勇者の最終試験とやらが何なのか試してやる」

「一人で行くのか」

「当然だろ」


 イグナスは壁に立てかけてある白銀の剣を手に取る。

 防具は身につけず、麻の服という軽装で出ようとしていた。

 それに一人で納屋に行くという。

 その余りにも軽率な行動にジルは苦言を呈した。


「待て、私とミラを連れて行け」

「ミラは寝てるだろ」

「叩き起こせばいいだろ。回復役は必要だ」

「俺一人で大丈夫だよ。それにそこにはガルアもいるんだろ」

「そういう問題ではない」

「なんだよジル」

「お前の行動は全てにおいて軽率すぎるぞ」

「うるさいな。何をしようと俺の勝手だろ」


 扉を開けるイグナス。

 その後ろ姿を見て、ジルは再び声をかける。


「念のために聞くが……本当にそれでいいのか?」


 イグナスは苛立った。

 今日のガルアといい、このジルといい、自分の選んだ選択肢を非難する。

 今まで冒険で自らの指示、命令は全て頷き、従ってきた彼ら。

 それがまるで言うことを聞いてくれない、イグナスは感じていたのだ。


「ジル、しつこいぞ!」


 イグナスは怒っていた。

 これまでのように黙って従い「流石は勇者だ」とただ賞賛してくれればよい。

 実に傲慢で子供っぽい〝主人公〟が出来上がってしまっていたのだ。


「いつだって、俺の選ぶ道は正解だ!」

「正解か……」

「そうさ! だって、俺は勇者なんだからな!」


 俺は勇者だ、その自負心が強いイグナス。

 この物語の主人公であると彼はそのまま部屋を出た。

 部屋に一人残されたジル、静かに椅子に腰かけた。


「勇者イグナス――お前は不合格だ」


 ジルは言った。

 不合格であると――。