―第二十章 目的―

『戦え! 屈服するな! 戦え! 戦え!』


 気付けば拓真は、またあの空間にいた。何もない、ひたすらに暗い世界。死んだ後にウェルファーナと話した空間に似ているので、死後の世界とでも言おうか。さすがに数回は訪れているので、拓真も恐れずに前を向くことができた。たとえ上下左右がわからずとも、何も見えなくとも。


「今度は誰なんだ……戦えって、誰と?」


 拓真が呼びかけると、ぼんやりと淡い光の人型が現れた。以前見た人型とは形が違い、鎧武者のようなシルエットだ。息が荒いのか、肩が上下しているのが見える。


『戦え! 戦え!』


 鎧武者の人型は、それしか言わない。手に持っているのは、長い棒のようなものだった。


「……戦って、なんとかなるのか?」


 同じことをいう人型に、拓真は疑問を投げかける。わずかに下を向いていた鎧武者の人型は、顔を上げると距離を詰めてきた。重たい一歩一歩の勢いに押され、拓真は数歩ほど退いてしまう。


『お前がおれを呼んだのだ! 抗いたいと! お前の内なる鬼が呼んだのだ!』


 鎧武者の人型は、拓真の胸に人差し指をつけつけた。よく見てみれば、鎧武者の顔あたりにそれとなく見た覚えのある形が浮かんでいる。口を開き、立派な二本角を携えたその形は、鬼の面を模していた。


『混乱! 怒り! 疑念! ありとあらゆる感情が燃え、お前は抗うことを選んだ! だからこそ、おれはここにいるのだ!』

「……やっぱり、そうするしかないのか」


 女王ミルフェムトが何を望んでいるのか、何を試そうとしているのかはわからない。だが抗うことしかできないと、拓真は深いところで理解していた。むしろここで抗わなければ、ロザリンとランディがどんな目に遭わされるかわからない。


『戦え! 戦え!』


 言葉を発する毎に、鎧武者の人型は棒の底で地面を叩く。まるで太鼓を叩き、鼓舞するかのように。

 あの場で戦えるのは自分だけだと拓真は意を決し、鎧武者に告げる。


「俺は戦う! ロザリンとランデイをわけもわからず傷つけられて、黙っていられるか!」

『そうだ! いかれ! 抗え! 戦え!』


 鎧武者は棒を両手に持ち、大きく振り回した。拓真はそれを受けるために、自然と腰の刀を抜く。振り回された棒と拓真の刀が強く打ち合わされ、火花が散った。

 それは怒りの炎。戦いの象徴。胸の中がざわめき立ち、拓真は刀を掲げた。同時に鎧武者の人型も棒を掲げ、炎が二人を包み込む。


『戦え、若人わこうどよ! この真壁まかべうじもと霞流かすみりゅう剣術で鬼となるのだ!』




「……ほう?」


 大剣が押し返されていることに気付き、ミルフェムトはほくそ笑んだ。


「タ、タクマっ……!」


 様子が変わったことに気付き、ロザリンはそっと呼びかける。だが拓真は答えない。聞こえていないのか、答える余裕がないのかは、怒気に溢れる背中を見るだけでは判断ができなかった。

 喉に食い込む大剣を完全に押し返すと、拓真はミルフェムトへ振り向いた。大剣を押し返すために手のひらが傷つき、古い床板に血が落ちる。


「これが女王様のおもてなしか」


 まるで人が変わった拓真を見て、ミルフェムトは呆気にとられる。先ほどまで事態に困惑していた若者はどこへ行ったのか。今目の前にいるのは、確かに英雄と呼ばれてもおかしくない男だった。


「これは驚いたな。こっちが本当の姿か?」

「どうだろうな、試してみたらいいんじゃないか?」


 そう言うと共に、拓真は腰の木の剣を抜き、そのまま柄で大剣を弾いた。

 身体に溢れる不思議な力は、ランディとの決闘の際に流れていたものとは違う。あの時の力を例えるなら、清流のように自然と流れるようなものだったのに対し、今は荒々しい波が身体中を駆け巡り、血が沸騰しているかのように全身が熱かった。

 弾き飛ばされた大剣を持ったままだったミルフェムトは、切っ先を床板に差してさほど飛ばされないようにしていた。拓真が椅子から立ち上がるのを見ると、軽々と大剣を一回転させ、背中に担ぐようにして構える。


「来い」


 そういうが、拓真はミルフェムトへ見向きもしなかった。


「……おい、私はこっちだ。待て!」


 拓真は一直線に、ロザリンとランディを捉えているオークスへと向かっていた。オークスは拓真とミルフェムトが一度刃を交わしたにも関わらず、そのままの体勢で二人を拘束していた。拓真が向かってきている今ですら、微動だにしない。


「二人を離せ」


 いつも以上に低い声で、拓真は言った。


「タクマ……!」

「タクマ殿っ……」


 ロザリンは痛みと緊張からなのか、顔色が悪い。ランディは何もできない自分を不甲斐ないと思っているのか、悔しそうにも、苦しそうにも見える表情だった。


「二人を、離せ!」


 怒りの叫びは宿屋中に響き、古い木を鳴かせる。

 まだ共に過ごした日々は少ないとしても、傍にいた二人が苦しい目に遭っているのは、見ていられなかった。そして、二人が苦しんでいるのに何もできないとなると、拓真は自分が許せなかった。

 しかし扉をくぐるにも屈まなくてはいけないような高身長で分厚い身体のオークスは、全く怯みもしていない。拓真が木の剣を構えながら迫っても、身じろぐことすらなかった。


「はっ……タクマ殿!」


 不意に、ランディが叫んだ。その前にオークスの視線が動いたのを見ていた拓真は、振り向かないまま腕を挙げ、木の剣を背後に回してミルフェムトの大剣を受けていた。


「女王である私が呼んでいるのだぞ。それを聞きもしないとはいい度胸だ」

「何が女王だ……こんなところに呼び出したかと思えば、何も言わずに襲いかかってきやがって!」


 身を翻しながらもう一度剣を弾き、拓真はミルフェムトと向き合う。ロザリンとランディが前へ出ようとするが、それでも二人を抑えるオークスはビクともしなかった。

 拓真は剣先をミルフェムトへ向けながら、叫ぶように言う。


「もうたくさんだ! 何も言わず俺に何かをやらせようとするのは、女神だけで十分だろ! あんたは何が目的なんだ⁉ 俺に何をしてほしいんだ⁉」


 女神、という言葉が出ると、ミルフェムトは目を大きく見開き、それから静かに拓真を見据えた。掴みどころのないものから、強大で重たいものへと雰囲気が変わったが、拓真はそれでも目を逸らさない。


「女神、か……そなたも女神から神託しんたくを受けたと?」

「そうだよ! 俺は元々死んだ身だ! なのに、その女神ときたら自分の作った世界に招くと言って、俺をここへ寄越よこした! 何をすべきかも言わずに!」


 拓真の言葉に、ミルフェムトはどんどん眉間の皺を寄せていく。美しい顔立ちは歪んでいき、それからパッと力を抜いたように元に戻った。


「そうか、そうか……そなたも奴と同じ、女神の神託を……」


 一人で頷くミルフェムトに、ロザリンもランディも訳が分からないと言った様子で、顔を見合わせた。


「すまないな……元々そなたの力を計るため、このようなことをしたのだが……」


 ミルフェムトが指を振ると、その手に持つ大剣と同じものが、宙に浮かんで現れる。それらはよく見るとクリスタルのように煌いていて、実際の剣ではなかった。


「敵か味方か、ここではっきりさせておく必要があるようだ」


 華奢な少女がその体躯に合わない大剣を振るっているかと思えば、似たようなものが宙を浮かび、その切っ先の全てを自分に向けている。現実離れした光景だと思えども、それがこの世界のことわりであるとだんだん馴染んできていた。

 同じく切っ先を向け直すと、拓真は自身を無の感情で見つめるミルフェムトの目を見て答える。


「ちょうどいい。そうすれば俺もこれからどうすればいいのか、わかるかもしれないな」


 緊張の瞬間が訪れる。互いに睨み合い、いつ仕掛けようかタイミングを伺っていた。

 双方ともに隙を許さなかったが、屋根裏でネズミの足音がしたその時、両者ともに強く踏み込む。

 クリスタルの大剣と木の剣がぶつかり、耳を貫くような甲高い音が、戦いの始まりを告げた。