8-4 夢

 薬草屋でをしているうちに薬液ができた。ジンジャーとクローブのスパイシーな香りを纏った琥珀色のシロップから熱が引くと、それはコップに注がれてクローデットへ手渡される。

 彼女は透き通った水面をじっと見つめて……それでも飲むことを躊躇っていた。


「私も作る過程は見ていたけれど、身体に有害なものは入っていないわ」

「それは……分かっているんだ」

「んーっ、ダメか。どうするものかねぇ」


 どうしても飲むことができない――

 茨の魔女がカウンター越しにヴァネッサへ視線を向けた。言葉を交わさずとも手伝って欲しいことは明白。何をしたら良いか、彼女はすぐに思い至った。


「クローデット、それを一口、私に飲ませてくれる?」

「……頼む」


 代わりにコップを受け取ったヴァネッサは目を瞑って香りを確かめる。

 レシピはごく一般的なジンジャーシロップで、そこへクローブの香りも添加されてより刺激的な風味が増している。コップの縁へ口を付けて一口飲んでみると、舌が僅かに痺れるような心地と砂糖の甘みが口へ広がった。


「大丈夫よ、良く出来てるわ。ねえ、クローデット……」


 ヴァネッサは祈るような思いでコップを差し出す。

 どうして自分はこのようなことをしているのだろう? 我に返る瞬間もあったが、それ以上に、今の明らかに正常でないクローデットを放っておけない。


 クローデットはコップを受け取って、しばらく目を閉じた後……それを一気に飲み干した。茨の魔女がおおっと声を上げる。


「……ねえ、どう?」

「悪くない。身体が、中から焼けていく心地がする」

「しっかり効いてるみたいだな。しばらくの間は汗も多くなるだろう。だが心配するな、横になってゆっくり休めば元気になる」


 そこまで話していると、帰りの馬車を手配しに向かっていたベアトリスが薬草屋へ再び入ってきた。

 クローデットは茨の魔女へ礼を言うと、ベアトリスと共に薬草屋を出て――その間際に少しだけ立ち止まって、ヴァネッサと目を合わせる。


「また、そう遠くないうちに」


 そうしてドアが閉められた後、ヴァネッサは放心状態で突っ立っていた。明らかに気が動転していた彼女の背中へ店主が手を伸ばし、人差し指でつつく。


「ちょっと! もう、絶対クローデットに変な人って思われた……!」

「何も問題は無かったぞ。というか、彼女を自分のものにするんだったら、遅かれ早かれお前のそういう部分を曝け出すことになるんだ。早く本当の自分って奴を見せられればいいな」

「本当の自分……」


 ヴァネッサは先程の憔悴しきったクローデットの表情を思い出す。

 だがその直後に、二年前の「自分を殺しに来る表情」も思い出してしまった。


「その日は来ないわよ。私は魔女で、騎士団にとっての永遠の敵だもの」

「そんな――」

「長居して悪かったわね、そろそろ戻るわ。店でリルも待ってるし」

「待てって、これお前が頼んでた奴…………ふう」


 帰り際にスパイス一杯の籠を受け取ったヴァネッサは、最後にもの悲しい顔で店を出て行った。先程までの騒然とした様子から一転、もとの静けさを取り戻した店の中で茨の魔女は一人、揺れ椅子に腰掛けて天井を見上げる。

 きこきこと木を軋ませながらヴァネッサの最後の言葉を思い返した。


「ヴァネッサ……あたしは、そんなことないと思うぞ」


◆ ◆ ◆


 馬車で騎士団寮へ戻ったクローデットはすぐに自分の部屋で安静となった。騎士団長の仕事は全てベアトリスが代理で行うこととなり、体調が元に戻るまでの間じっとベッドで横になる。すると、身体の底で眠っていた疲労が隙を窺っていたように彼女を仄暗い闇へ引きずり込んでいった。


 ……具合が悪いせいか、変な夢を見た。


 昼の城下町の警備を行っていたクローデットは、どういうわけか周りから多くの視線を感じて顔をしかめる。彼女へ向けられていたのは好奇の視線だ。町行く平民、貴族らは揃いも揃って彼女を指さしては陰口を叩いている。


『おい、騎士団長様が来たぞ……』

『黒魔女がいると信じて気が狂ってしまったらしい』

『可哀想に、あの時に取り逃がしたのを相当根に持っていたんだろうな』


 クローデットは他者からの称賛を求めることは無かったが、それでもあること無いことを言われたら気にしてしまう。それを何度も何度も、終わりがないように言われ続けている……。

 空は晴れているはずなのに、曇天のように視界が暗い。

 おもりを背負ったと錯覚する怠さに抗いながら歩み続け、よく見知っている女将校の後ろ姿を目撃した。名前を呼ぶと、それはどこか必死な物言いになった。


『……クローデット様、もう外に出ても良いのですか?』


 悲痛とも呼べる声色で振り向いたのは、彼女をひどく哀れむような目で見るベアトリス。思わず足が止まった。ベアトリスは前のめりでふらつくクローデットの傍まで歩み寄ると、横から彼女を支える素振りを見せて耳元で囁きかける。


『街の人たちは皆、貴女が変わってしまったことを嘆いています』

『どうか無理をなさらないで。魔女はもういません、お気を確かに……』


 ちがう。クローデットは首を横に振って、ベアトリスを押しのけた。鉄枷を引きずったように重い足で歩く……


 その先には、黒衣を纏った後ろ姿があった。

 全身を闇黒あんこくに包んでつばの広い三角帽子を被っている女。


 魔女だ。腰から錆だらけの剣を力づくで抜き、一歩一歩で地面を抉るような思いで迫る。彼女はクローデットが来たことに気付くと僅かに振り返って――嗤った。


『貴女も大変ね、騎士団長様』

『あれだけ頑張っていたのに、誰からも分かってもらえない』

『"狂っているのは自分だけ"……それが怖いんでしょう?』


 魔女は、ヴァネッサの顔と声を以て極限状態の女騎士へ迫る。拒否することはできなかった。背中を押されるままクローデットは噴水まで歩かされ、水面を覗くよう促される。

 見れば……

 憎き魔女と同じ装いをした自分が、気でも違えたような笑みに染まっていた。


 叫んでいた――

 クローデットは暴れて逃れようとしたが、今の彼女にそれだけの力は無い。いつの間にか二人を取り囲むように市民は集まって、水や卵を投げつけてくる。


 声を上げながら泣いた。自分が殺す筈の魔女へすがりついていた。今すぐにでも剣で喉元を貫いてしまいたかった。


『クローデット』

『私と一緒に生きましょう』


『貴女なら……最高の"魔女"になれるわ』