私が辺境伯領から戻って10日ほど経ち、ルクの町で買った土産が無事に届いた。
まずはリーファ先生と一緒にマリーに箱いっぱいの布を渡しに行く。
マリーは、
「うふふ。なにを作ろうかしら」
と言って目を輝かせ、
「まずはリーファちゃんの髪飾りかしら?」
と言って楽しそうに話していたので、どうやら気に入ってくれたんだなと思いほっとした。
次に、リーファ先生にネックレスを渡したら、
「相変わらずだね、君は」
と言い、
「ありがたくつけさせてもらうよ」
と素っ気なく言われた。
そう言った、リーファ先生の顔が赤かったのできっと照れ隠しなのだろう。
喜んでもらえてよかった。
メルとローズには姉妹でおしゃれを楽しんでもらいたかったが、
「これなら2人でお嬢様の髪が梳かせます」
と笑顔で言われ、少し残念なようなうれしいような気持ちになる。
その後ギルドと役場でサナさんとアレックスに土産を渡したが、相変わらずだった。
ただ、アレックスが、
「辺境伯様はなんと?」
と聞いてきたので、
「村に骨をうずめろと言われたよ」
と笑って答えておく。
ちなみにドーラさんは見たことがない香辛料に目を輝かせていたし、ルビーとサファイアは興奮しさっそく2人して遊び始めたからどちらも喜んでもらえたようだ。
夜、晩飯のあとズン爺さんが土産に渡した酒を持ってきた。
長期熟成の珍しい芋焼酎だ。
なかなかの逸品らしい。
「どうです。ご一緒に」
と言うズン爺さんに、私が、
「いいな」
と言うと、ドーラさんが、
「うふふ」
と笑って台所に下がり、しばらくすると肴を持ってきくれた。
ドーラさんは、
「今夜は先に休みますから、たまには男性同士でゆっくりやってくださいな」
と言ってルビーとサファイアを連れてリビングを出ていく。
私とズン爺さんはドーラさんに礼を言うと、さっそく2人で飲み始めた。
「こいつはズン爺さんが?」
とつまみに出された沢蟹の素揚げを見ながら私がそう言うと、
「へぇ、昼頃沢に行って罠を上げてきましたんで。この時期は殻が柔らかくて美味いんでさぁ」
と言ってさっそく一口食うと、さくりと音をさせたので、私もつまむ。
なるほど、程よい硬さだ。
ズン爺さんの言うように殻が柔らかい。
サクサクとした食感が心地よく、臭みもなかった。
香ばしさだけが口に広がる。
「いい塩加減ですなぁ」
とズン爺さんが言うので、私も、
「ああ、ドーラさんの塩梅は完璧だ」
と答えた。
春とは言え、夜は少し冷える。
お湯で割ったぬるめの焼酎が心地いい。
芋の甘い香りと沢蟹の塩気が合わさって生まれる奥行がたまらない。
「こいつぁ辺境伯様に知らせてやりてぇですなぁ」
と言って、ズン爺さんは自分が辺境伯様に通じていることをあっさりと漏らした。
それに対して私が、
「そう言えば、辺境伯様に言われたよ。トーミ村に骨をうずめろとな」
と言うと、ズン爺さんは一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに苦笑いして、
「そういうことになったんですなぁ…」
とつぶやく。
私はこうなったら変に気を遣って遠回しに聞くことも無いだろうと思い、
「アレックスやサナさんはなんとなくわかるが、ズン爺さんはなにを?」
と直球で聞いてみた。
すると、ズン爺さんは、
「はっはっは」
と笑って、
「村長は村長ですなぁ」
と言って、焼酎を一口やると、しばし間をおいて、
「たいしたことはなんも。なにせ隠居の身ですんで…。私が報告してたのは、ドーラさんの飯の感想くらいでさぁ」
と言って笑った。
「はっはっは。そうか。それは我が家の重要機密だ」
と言って私も笑う。
続いて、ズン爺さんが、
「ええ。執事長のヤツがちゃんと台所に伝えてりゃぁようござんすがねぇ」
と言うので今度は2人して笑った。
「しかし、美味いなぁ」
私は改めてそうつぶやく。
「ええ、良い焼酎でさぁ」
とズン爺さんが言うので、私は、
「そっちもだがこっちもだ」
と言って沢蟹をまた一つ、つまんだ。
「はっはっは。この時期だけですがね、こいつらが美味いのは」
とズン爺さんが笑い、
「この時期は山菜も採れますし、ヤナも太り始めます。いい季節になりやした」
と言って目を細める。
「ああそうだな。山菜は天ぷらで…、ヤナは塩焼きか?」
と言って、私が料理と味を想像すると、ズン爺さんは、
「山菜はお浸しもいいですし、ヤナの燻製もようござんすよ」
と言った。
「ああ、それもあるな…」
私はそう言ってまた味を想像する。
どっちも酒が進みそうだ。
山菜は蕎麦酒、燻製はアップルブランデーか?
いや、ウイスキーの方がいいだろう。
近々コッツに言って仕入れなけなければ、などと思い、その味に思いをはせていると、
「アレックスはああ見えて義理堅ぇやつです。サナはちょいと不器用で世渡り下手なところがありますが、根っこが真面目ないい子でさぁ」
とズン爺さんは遠くを見ながら、先ほどとは少し違う表情で目を細めながらそう言った。
「ほう。長い付き合いなのか?」
と私が聞くと、
「いえ、ほんの数年で。ガキの頃、基礎の基礎を教えたぐれぇでして…」
とまだ窓の外の夜空を見上げたままズン爺さんは言い、
「できれば可愛がってやってくだせぇ」
と言って私の方へ顔を向けた。
私は、
「可愛がるもなにも、2人とも村には欠かせない人材だ。2人がいなければ役場もギルドも回らない」
と言って苦笑いする。
ズン爺さんは、
「やっぱり村長は村長ですなぁ」
と言って小さく笑うとまた酒を一口やった。
しばし酒を飲む。
私はなんとなく閃いて、
「そういえば、ズン爺さんは『かっぽ酒』ってのを知ってるか?」
と聞いてみた。
「なんです?そいつぁ?」
と言うズン爺さんに、私は、
「地域によっては別の名で呼ばれてるかもしれんが…」
と前置きしたうえで、
「竹筒に酒を入れて焚火で燗をつけるんだ。ついでに湯飲みも竹で作ってしまえばより一層趣がでるだろうな」
と言う。
「ほう。そういう飲み方は聞いたことがねぇですが、実に美味そうですなぁ」
と言ってズン爺さんがニヤリと笑った。
私が日本の記憶にはあるが、まだやったことはないその飲み方を思い出し、
「ああ、実は私も聞いたことがあるだけで、まだやったことはないんだがな」
と言うと、ズン爺さんは、
「竹切りの時期はまだ随分先ですなぁ…」
と言ってまた窓の方に目をやり、夜空を見上げる。
「そうだな」
と言って私も窓の外を眺めた。
ゆっくりとした時間が進み、やがて酒も肴も残りわずかとなったところで、
「村長、ちょいと待っててくだせぇ」
と言ってズン爺さんが席を立ち、なんだろうかと思って待っていると、ズン爺さんは一本の瓶となにやら籠持ってきた。
籠の中にはビワが入っている。
そして瓶の中身は酒だろう。
「こいつぁ、ちょうどこの村にやってきたときに作ったやつでしてね」
と言って、ズン爺さんは瓶のふたをスポンと開け、
「そろそろ飲み頃かと思いましてね」
と言って、その酒を湯飲みについでくれた。
なんの匂いだろうか?
青い香りの中に、少し甘い香りもする。
実に複雑な香りだ。
一口飲んでみると、強い酒精と甘い香り、青みがかった苦みが口の中に広がり、鼻腔を抜ける余韻にはスパイスの香りもした。
(ジンか?)
一瞬そう思ったが、何かが違う。
「こいつは?」
私がそう聞くと、ズン爺さんは、
「へぇ、アップルブランデーの原酒をちょいと分けてもらいましてね。そいつに青コショウやら冬ミカンやらいろんなものを漬け込んでおいたんでさぁ」
と言った。
なるほど甘い香りの正体はリンゴだったらしい。
しかし、リンゴと言われなければわからないほど他の香りと混ざり合って独特の香りになっている。
そして、ズン爺さんは、籠の中に入っていたビワを一つ取り、
「こういう強くて癖のある酒はみずみずしくて甘い果物とよく合いますんで」
と言ってビワをつまみだした。
私もひとつ剥いて食べてみると、なるほどよく合う。
「そいつにゃぁほんのちょいとですが、ビワの葉も入れておりましてね。だからですかねぇ。特にビワとはよく合うんで」
と言って、ズン爺さんは美味そうに酒を飲み、
「そのビワの葉っていうのは、ちょいと癖があって入れすぎると酒が苦くなりすぎたり味が濁ったりするんですがね、不思議なことにちょいとだけ入れると、酒がしまるんで」
といかにも満悦といった表情でそう言った。
「なるほど、そういうものなのか」
と私が言うと、ズン爺さんは、
「へぇ。まるで世間みてぇでさぁ」
と言ってしみじみとその酒が入った湯飲みを見つめる。
ズン爺さんがどういう環境に育って、どういう人生を歩んできたか、私にはわからない。
本人が話したいのならともかく、聞くべきことでもないだろう。
今、私の横にいるズン爺さんはズン爺さんだ。
妙に美味い酒を造る好々爺。
それでいい。
そう思ってまたビワをかじり、その名もない酒を一口やると、ビワのみずみずしい甘さと酒の青くてほろ苦い香りが鼻腔に広がり絶妙な和音を奏でた。
(いいマリアージュだ)
そう思って、私もその春のような香りの酒をじっと見つめる。
夜風に乗ってどこからか花の香が漂った。