私が、ローデルエスト侯爵領を発ち、西の公爵領で、魚介類を堪能しながら馬車で進んでいるころ、辺境伯屋敷では辺境伯が執事長から報告を受けていた。
「そうか。相変わらずの風来坊ぶりだな」
辺境伯はそう言って顔をしかめる。
「急ぐよう遣いをやりますか?」
そう訊ねる執事長に、
「いや、どうせ3,4日もすれば来る。それにあいつのことだ、私の屋敷には泊まらずどこぞの宿屋へ泊まるはずだ。それを確認したら知らせてくれ。いらくなんでもその翌日には来るだろう」
と言って今度はため息を吐き、
「で、あの家にはなんと?」
と聞いた。
「いえ、まだ具体的には」
と淡々と答える執事長に、辺境伯は、
「そうか…。エインズベルは?」
と立て続けに訊ねる。
「そちらも今のところは。しかし、裏では動いているようです」
とまた、淡々と答えた。
「…そうか。やはり先んじて手を打つに越したことはないな…。まったくあいつがのんびりしているせいで気を揉む」
そう言って辺境伯はまたため息を吐き、執務机の上の書類に目を落とした。
そんな会話が交わされていることなど全く知らない私はのんびりと辺境伯領の領都、ルクの町を目指す。
(さすがにのんびりし過ぎたか?)
とも思ったが、
(どうせ、これから面倒事になるんだ。これくらいいいだろう)
と思って開き直り、ルクの町に着くと、さっそく冒険者時代の定宿に向かった。
ルクの町は辺境伯領南部にある。
わずかな森の切れ目を通じて隣国との貿易を独占するこの領には各地から様々な加工食品などが集まり、一種独特な料理が食える。
代表的な例で言うと、魚介の出汁で作るリゾットにたっぷりのチーズがかかっていたり、ドライフルーツが入ったパウンドケーキにスパイスが効いていたり、と言った具合だ。
そして、もう一つ、この町を特徴づけているのは酒だ。
辺境伯領の南部ではいわゆるジンに近いスパイスを使った酒や薬草酒が盛んに造られている。
北部では芋焼酎やエール造りが盛んだ。
隣国からはラムやミードも入ってくるし、西の公爵領からウイスキーも入ってくる。
東隣の子爵領からはワインやブランデー。
最近ではトーミ村のシードルやアップルブランデーも出荷されているから、とにかく酒が豊富にある。
冒険者の間にはルクの町へ立ち寄ったら予定よりも1日多く泊まることになると思えという言葉がある。
次の日は二日酔いで動けなくなるから、らしい。
私も酒は飲む。
酒が好きで飲むというよりも酒と料理の相乗効果で飯をより味わい深くする、いわゆるマリアージュを楽しむために飲むという性格の方が強いが、ともかく酒は嫌いではない。
私の泊まった宿「六角亭」はまさしくそういう宿で、いわゆるコース料理が出てくる。
その一品一品に、それぞれの料理に合う酒が少量ずつついてくるというこだわりようだ。
少しばかり高い宿だが、普通の宿の2割増しくらいだから高級宿というわけでもない。
実にいい宿だ。
なんでも名前の由来は、先代が元々はミードを中心に酒を扱う行商人の子だったかららしい。
その伝手でいまでも質のいいミードが手に入るとのことで、それを使った料理が名物だ。
なかでもミードに漬けたコッコに米とドライフルーツを詰めてローストしたものがやたらと美味い。
他にも、薬草種に付け込んだフルーツを添えたヨーグルトのデザートなんかもあって、とにかく酒と料理のバリエーションが豊富だから何泊しても飽きがこない。
二日酔いにならなくても、1日くらい予定を伸ばして泊まりたいと思う宿だ。
そんな宿で夕食と酒を堪能した翌朝、私は辺境伯屋敷へと向かった。
(とりあえず、今日のところは、執事にアポを入れて帰るだけだ。昼は、魚介出汁のパスタにしよう)
そう思って辺境伯屋敷の門番に目的を告げると、すぐに玄関まで案内され、少し待つと、メイドが「どうぞ」と言って控室へと案内してくれた。
(…なんでだ?)
と私が戸惑っていると、ドアがノックされ、執事が入ってきた。
何度か見たことがある。
執事長だ。
「どうぞ、お待ちしておりました」
と言って、余計なことは何も言わず、先に立って案内してくれる。
(私を待っていた?一体どういうことだ?)
と私が戸惑っていると、いつの間にか執務室の前まで来ていた。
執事長が、ノックをし、私の来訪を告げると、中から、
「入れ」
と言う声がして、ドアが開けられる。
(ちっ…。面倒事の臭いしかしない…)
私はそんな失礼なことを考えて心の中でげんなりとしつつも、
「失礼いたします。バンドール・エデルシュタット、お呼びによりまかりこしました」
と言って執務室へと入っていった。
「久しいな。バンドール。7、8年ぶりくらいか?その後どうだ?」
と言って辺境伯様は執務机から立ち上がると、ソファに座った。
私は、
「失礼します」
と言って無造作に座る。
「相変わらずだな」
と辺境伯様は言うが、私はなにが相変わらずなのかよくわからなかったので、どうせ、マナー違反でもしたんだろうと思って、
「申し訳ありません」
と、とりあえず答えておいた。
「…まぁいい」
と言って辺境伯様は、苦笑し、
「普通は時候の挨拶を並べ立てた後に座るものだ。覚えておけ」
と教えてくれる。
私は、
(…そういう貴族的なやり取りは面倒だからさっさと用件に入ってくれないか)
と思い、
「それは失礼いたしました。で、この度のご用件は?」
と直球勝負に出た。
「…相変わらずだな、お前は」
と言って辺境伯様はため息を吐き、
「まぁいい。私も忙しい身だ。話が早くて助かる」
と言うと、私を見つめて、
「話は簡単だ。婿に行け。相手は子爵家だ。後家だがいい女らしいぞ」
といきなりそう言った。
「お断りします」
私は自分でもびっくりするほど即答してしまった。
辺境伯様も少し驚いている。
私は自分に驚きつつも、
(まぁ、どうせ貴族の勢力争いとかそういう類の話だ。受けるわけがない)
と思い、深呼吸をすると、
「お話は以上でしょうか?」
と答えた。
(冷静に考えれば、無礼どころか、その場で斬られてもおかしくないほど失礼な態度だな…)
と思ったが、辺境伯様はしばらくあっけにとられたあと、
「はっはっは。そうか、断るか」
と言って、豪快に笑った。
私は、
(これは許してもらえたのか?)
と思ったが、どうやら違ったらしい。
辺境伯様は笑い終えると、すぐに真顔に戻り、腹の底から響くような声で、
「私に背くということか?」
と聞いてきた。
もう面倒くさくてしょうがない。
おそらく私はそんな顔をしていたのだろう。
「どうした!答えよ!」
と言って辺境伯様は激高する。
私はひとつ深呼吸、いや、ため息を吐いたのだろうか。
ともかく、そのどちらともとれる息を一つ吐くと、
「いくら辺境伯様とはいえ、法を曲げてのご命令は無茶が過ぎます」
と冷静に答えた。
「なに!?」
辺境伯様はまた、私をにらみつける。
その視線を受け流し、私は、
「王国法で、婚姻の自由は保障されております」
とだけ言った。
王国には一応そんな法がある。
しかし、貴族社会では無視されているし、庶民でも裕福な家庭であればあるほど親が結婚相手を決めるのが常識だ。
しかし、法は法だ。
だから私は、直球で挑んだ。
そして、辺境伯様の鋭い視線をひたすら受け流し、丹田に気をためる。
こういう時は剣と同じで集中力が大切だ。
気合で負けた方が、負ける。
そう思って冷静に辺境伯様の怒りを受け流し、静かに集中を増していった。
しばし、にらみ合いが続く。
すると、辺境伯様がしびれを切らし、私をにらみつけたまま、
「お前は私の剣にはなれんと言うのか?」
と本音を言った。
私は、
「なれません」
とまた即答した。
「なぜだ?」
と、今度は冷静に辺境伯様が聞く。
私は単純に、
「私はすでにトーミ村の剣なれば」
と答えた。
すると、辺境伯様がまたあっけにとられる。
辺境伯様は何か言いたいのか、私をにらみつけるが、言葉を発しない。
………。
しばしの沈黙とにらみ合いが続く。
そして、辺境伯様は、ため息を吐いたあと、
「正直に言おう」
と言って、あっさりと白旗を上げ、
「クルシウスでは具合が悪い。やつは中立だが、王閥に近い。やつには恩があるし、マルグレーテのことは人として当然援助はしたが…」
と言って、悔しそうな顔をした。
私は理由がわからず、
(なぜここでエインズベル伯爵とマリーの名が出てくる?)
と心の中ではきょとんとしながらも、一応、表面上は冷静さを保ったふりをして、辺境伯様に視線を向け続けた。
すると辺境伯様は、
「なかなかの胆力じゃないか。私なんかよりよほど貴族に向いてるぞ?」
と言って、
「ふっ」
とひとつ鼻で笑った。
恐ろしい勘違いだ。
こんなにも面倒事が嫌いな私に向かって貴族に向いていると言う。
心外以外の何物でも無い。
そう思った私は、
「面白い冗談ですね」
と正直な感想を述べた。
「はっはっは!」
と辺境伯様は豪快に笑う。
私も、仕方がないので、
「はっはっは」
と笑った。
ひとしきり笑うと、辺境伯様は、
「笑わせてくれた礼だ。なにか望みを言え。金くらいなら融通するぞ?」
と言って私を見てくる。
私は、一瞬だけ村のことを考えもしたが、
(借りを作れば面倒だ)
と思って、
「自由以外はなにも」
と言って突っぱねた。
「…そうか」
と言って、辺境伯様は苦笑すると、
「まったく…。小賢しい上に可愛げまでないな」
と言い、
「仕方がない。今回はそれで許してやる」
と言ったが、
「お前は先ほど、自分はトーミ村の剣だと言ったな?その言葉通り、お前はトーミ村に骨を埋めろ」
と言って、
「はっはっは」
と笑った。
私は何がなんだかわからなかったが、とりあえず、辺境伯様に合わせて、
「はっはっは」
と笑う。
「用件は済んだ。もういいぞ」
と言ってまた執務机に戻る辺境伯様に一礼して、部屋を辞した。
執事長は控室の前まで送ってくれると、そこで案内をメイドに命じて、また執務室の方へと戻っていく。
私は、
(いったいなんだったんだ?)
と思いつつも、
(とりあえず難は逃れたらしい)
と思って安堵し、門番の兵に見送られながら辺境伯様の屋敷を出た。