73話 最後の仕事

 刑が執行される日がきた。

 多くの民が見守る中、オラシオは笑顔すら浮かべて、絞首台へと上がる。

 

「いよいよだ。私とウルスラの、新しい人生が始まる。今日をどれだけ、待ち望んだことか」


 すがすがしい気持ちで、首に縄をまかれる。

 その様子を、忸怩たる思いでダビドが見ていた。

 

「国王としての最後の仕事だ。……やり遂げなくては」


 そう独り言ちて、さっと右手を掲げる。

 合図を確認した処刑人が縄を引くと、それに合わせてオラシオの立つ床板が落ちた。


 刑場に、悲鳴とも絶叫ともしれない、大きな声が沸く。

 ぶらりと垂れ下がるオラシオの体からは、もう生命の躍動は感じられない。

 恍惚とした表情で、神童ともてはやされた美貌の元宰相閣下は、この世を去った。


 よろり、と群衆の中から、一人の貴婦人がまろびでる。

 それは蟄居を命じられていたブロッサだった。

 オラシオの死に際を見るため、屋敷を抜け出してきたのだ。


「オラシオさま……、一人では逝かせないわ」


 胸元をまさぐり、そこから美しい小瓶を出す。

 蓋をねじれば、無色透明の液体が中で揺れた。

 

「すぐに追いかければ、間に合うはず」

 

 躊躇わずにブロッサは、ぐいっと、中身をあおった。

 ほんのりと甘い毒が、喉奥を通っていく。


「他の女には、渡さない。来世のオラシオさまも、私のものよ」


 どっと砂埃をあげ、ブロッサの体が地面に倒れる。

 それに気づいた民が、大変だと声を上げるが、すでに口から大量に喀血していた。

 

「今……おそばに……」


 閉じた瞼の裏に、デビュタントで出会った、若かりしオラシオの端正な姿が浮かぶ。

 

(神様だって、あんなに美しくはないだろう)

 

 そんな罪深い考えに、ブロッサの口は弧を描いた。

 それが、カーサス王国の貴族の頂点に立っていた、アラーニャ公爵夫妻の最期だった。


 ◇◆◇◆


 ダビドの退位は、ブロッサの葬式が終わるまで、延期となった。

 両親を亡くしたホセとエバの、これからの生活環境を整えたり、新たに次期国王に指名した元公爵へ、政務の引継ぎを行ったり。

 その間、ダビドは精力的に働いた。

 多くの悲しみや苦しみを、置き去りにして。


 ――新たな国王が戴冠し、いよいよ旅立ちの瞬間がくる。

 

「後のことは、よろしく頼む」


 宰相となったトマスにそう言い残して、ダビドはペネロペとレオナルドを連れて王城を出る。

 これからは家族三人で、五百年前に廃れた東の古城へ移り住み、世間から隔離された中で余生を過ごすのだ。

 そこでなら、ようやく全ての状況を、受け止められるだろう。


 いつもよりも随分と質素な馬車の車窓から、流れる外の風景を眺める。

 もうダビドが王都へ戻ることはない。

 だからこそ、そこで生活する民の暮らしぶりを、この目に焼き付けておきたかった。

 これまでトマスと一緒に、護ってきた国の姿を。


(だが、私は国や民より、ペネロペを優先した。それで護ってきたなど、おこがましかったのかもしれん)


 これは神様からの罰だ。

 そう思うと、腑に落ちた。

 親子二代続けて、私欲のために、神様の恩恵の力を行使してしまった。


(だから王冠を、傍流の血筋に渡して、正解だったのだ。これから国に何かが起こっても、一度だけは助かる)


 そんな何かが起きないよう、何十年間と気を張り詰めてきた。

 ダビドの肩から、やっと大きな荷が下りる。


(安心すると共に、急に老けた気がする。この数日だけでも、どれだけ白髪が増えたことか)


 トマスと並ぶ見事な銀髪だったが、今やそれは見る影もない。

 輝きが消えた髪はまるで、神様からの寵愛を失ったようだった。

 

(国の安寧を祈り、静かに生きよう)


 そう願うダビドだったが、果たしてそれが叶うかどうか――。


 ◇◆◇◆


 ヘルグレーン帝国へ帰り着いたファビオラは、ヨアヒムの紹介でソフィと顔合わせをした。


「初めまして。カーサス王国グラナド侯爵家のファビオラと申します」

「こんにちは、ディンケラ公爵家のソフィです。お会いできて嬉しいですわ」


 ファビオラの3歳年下のソフィは、美しい黒髪が腰のあたりまで伸びていた。

 それがヨアヒムの胸のボタンに絡んでしまったのか。

 まじまじと見ていると、ヨアヒムが弁解をする。


「近くにいたから絡んだのではなく、ちょうど風が吹いて髪がたなびいて――」

「そうなんです、誤解を与えてしまって、すみませんでした」


 ソフィも申し訳なさそうに眉を下げた。

 

「私にとってヨアヒムお兄さまは、本当のお兄さまも同然なんです。小さいときからお世話になりっぱなしで、とても恋愛対象にはなりません」


 ファビオラの胸のつかえが取れる。

 ヨアヒムを信じていなかったのではない。

 ヨアヒムの気持ちは聞いたが、それとソフィの気持ちは別だ。

 もしかしたら、ソフィはヨアヒムを慕っているかもしれないと、心配していた。

 

「その……ファビオラお姉さまと、お呼びしてもいいですか?」


 上目遣いでソフィに甘えられて、なんだかムズムズする。

 妹がいたら、こんな感じなのだろうか。

 ソフィに優しく接するファビオラに、ヨアヒムも胸をなでおろす。


「ディンケラ公爵令嬢には、もうすぐ5歳年下の婚約者ができるんだ。私に会いに来たのも、それを報告するためだったんだよ」

「だってヨアヒムお兄さまったら、パーティの日はお爺さまと話してばかりだったでしょう。本当だったら、その日のうちに伝えられたのよ?」


 ソフィはぷくりと頬を膨らませる。

 それを見たヨアヒムが苦笑した。


「婚約者の前では、お姉さんぶっていると聞いたけれど、そんな子どもっぽい仕草をしているんじゃ、本当かどうかは怪しいな」

 

 ヨアヒムとソフィの遠慮のないやり取りを見て、ファビオラは納得する。


(私とアダンみたいだわ。正しく兄妹なのね)


 その日からファビオラも、ぽんぽんと飛び交う会話に混ざることになる。

 お姉さんになりたいソフィの、頼れる『お姉さま』として。


 ◇◆◇◆


 アダンの婚約者が決まった、という知らせが届いたのは、ファビオラとヨアヒムの結婚式が間近になってだった。


「同級生なのね。しかも、政略じゃないって書いてあるわ」


 現在、カーサス王国においては、トマスが宰相の職に就いたため、グラナド侯爵家の力が強くなりすぎていた。

 これ以上の力の集中を望まないトマスの判断により、婚約者の決定はアダンの一存に任せることになったそうだ。

 そんなアダンが声をかけたのは、ダンスの授業でよくペアになっていた伯爵家の令嬢だった。


「政略結婚をするとばかり思っていたから、急に婚約者を好きに決めていいと言われて、アダンもさぞや戸惑ったでしょうね」


 これまで件の伯爵令嬢とも、あくまでも同級生として、節度を保った付き合いをしてきたはずだ。


「でもきっと、心のどこかで彼女に惹かれていたのね。そうでなければ、よくペアになるはずがないもの」


 ファビオラは予知夢の中で、淑女科を受講したから知っている。

 いつも同じ人と踊っていては、ダンスは上達しない。


「だから先生たちは、なるべく違う人と組ませようとするのよね」


 アダンとその伯爵令嬢は、そんな先生の指導の目をかいくぐり、何度もダンスを踊った。

 お互いになんらかの意図がなければ、そうそう同じ組み合わせにはならない。


「良かったわね、アダン。きっとその想いは、一方通行じゃないわ」


 ファビオラはさっそく、お祝いの手紙をしたためた。

 愛用している銀縁の便せんに文字を綴るうちに、ふと思い立つ。

 

「届けてもらうより、結婚式に参列するお父さまやお母さまに、手渡したほうが早いかもしれないわね」


 そろそろ二人は、ヘルグレーン帝国へ入国している頃だろう。

 たくさんのお土産を馬車に積むパトリシアと、それを微笑ましく見守るトマスの姿が容易に想像できる。

 二人の結婚は政略だと聞いていたが、とてもそうは思えない。

 ファビオラにとって、よい夫婦のお手本だった。


「ヨアヒムさまと私、本当に結婚するのよね。なんだか、まだ現実味がないわ」


 ほう、と息をつき、ファビオラは左胸に手を当てる。

 初夜の前には、打ち明けようと思っている。

 この矢傷について、ファビオラは何ら負い目を感じてはいない。

 だから、ヨアヒムも気に病む必要はないのだ、と伝えよう。

 

「どうせだから、ヨアヒムさまの肩の傷も見せてもらいましょう。私とお揃いなんだから」


 ヨアヒムからも、大切な話があると聞いている。


「私に関する話だと言っていたわ。一体、何かしら?」


 それは、ファビオラの予知夢についてだった。

 いつ真実を伝えるのか、トマスとヨアヒムの間で何度も検討を重ねた結果、結婚後と決まった。

 なるべくファビオラに負荷がかからないように、とヨアヒムはトマスに念を押されている。

 どう切り出せばいいのか、今頃ヨアヒムは必死に考えているだろう。

 だがそれをまだ、ファビオラは知らない。


「式の当日も、晴れてくれるといいわね」


 窓から見上げたヘルグレーン帝国の青空は、陽光に満ちていた。


 ◇◆◇◆


 カーサス王国では、シトシトと長雨が降っている。

 このところ、あまり日が射さず、民は農作物の成長を気にしていた。

 それは爵位を返上し、貴族から平民になった、元アラーニャ公爵令息のホセも同じだった。


「蒔いたばかりの種が、流れてしまうな。意のままにならない天候を相手にするなんて、農家とは外務大臣よりも難しい仕事だ」


 慣れない庶民の生活を続ける内に、ホセの外見はかなり変わった。

 社交界でもてはやされた、父親似の細身の美男子だったのが、野良仕事で日に焼けて、全身は埃っぽく薄汚れている。

 それでも、ホセは二度と、貴族には戻りたくなかった。


「何も信じられない。あそこは怖い世界だ」


 そんな場所に、エバを残してきたのが、ホセの気がかりだった。


「遠い親戚筋の養子にしてもらって、新国王陛下の戴冠にあわせて恩赦を受けたと聞いた」


 謹慎が解けて、夜な夜なパーティに参加しているのだろうか。

 ホセは恐ろしくてぶるりと震える。


「エバ、今度こそ、大人しくするんだぞ。もう私たちを庇ってくれる人は、誰もいないのだから」

 

 しかし、そんな兄の心配は、エバには届かない。