54話 すれ違う二人

 城内に何カ所もある隠し通路の出入り口を、ひとつひとつ回っていたヨアヒムが、そろそろ皇帝ロルフから鍵を奪おうかと考え出した頃、やっとバートがファビオラの居場所を突き止めてきた。

 

「母上のところに?」

「侍女さんに変装する更衣室があるじゃないですか。あそこで倒れていたのを、発見されたそうです」

「容態は? 無事なのか!?」

「気絶してるだけって、医者は言ってるみたいですね」


 ファビオラが見つかって、ホッとする反面、何がどうしてそうなったのかが分からない。


「取りあえず、ファビオラ嬢を見舞おう」

「ウルスラさまも、もうじきお戻りになるでしょう」


 今日のウルスラは、会いたくない相手が城内にいるとかで、外へ出かけていた。

 

「ファビオラ嬢は、また危険な目に合ったのだろうか。そうでなければ、隠し通路になんて入らないだろう?」

「その可能性は高いですが、たまたま人目を避けて、ヨアヒムさまに会いに来ただけかもしれませんよ?」

 

 その結果、どうなったのか。

 ずんと落ち込むヨアヒムの腕を引っ張り、バートはファビオラがいる医務室へと向かわせた。


 ◇◆◇◆


 その日は意識を失ったままのファビオラだったが、次の日には目を覚ました。

 医務室のベッドで診察を受けていると、ヨアヒムとウルスラが見舞いにくる。

 まずは心配をかけてしまったことをファビオラが詫びたら、逆に二人から謝られてしまった。


「ファビオラ嬢、昨日は申し訳なかった」

「私も肝心なときに留守にしていて、ごめんなさいね」

 

 ファビオラは首を横に振り、改めて真剣な眼差しを二人へ向けた。

 人払いをお願いしてから、核心について触れる。


「私の記憶が鮮明なうちに、一言一句、違わずにお伝えします」


 それはマティアスの後をつけ、密会の現場を押さえたことから始まった。

 そこで誰と何を話していたのか、ファビオラは正確に覚えている。

 まさかという顔をしているヨアヒムと、複雑な表情で考え込むウルスラ。

 しばらくの静寂の後、ヨアヒムがポツリと呟く。

 

「カーサス王国の宰相が、なぜヘルグレーン帝国の皇位継承争いに加担を?」


 その理由は分からないが、告白しなければならないことがある。

 ファビオラは申し訳無さそうに付け加えた。

 

「私の父は、カーサス王国で財務大臣を拝命しています。そして長らく、国庫から横領されたらしいお金の行方を追っていました。しかし、カーサス王国内では使われた形跡が見つからず、もしかしたら……」


 ウルスラが顎に指をあて、賛同した。

 

「ファビオラさんの考えは、あたっていると思うわ。宰相の言葉を噛み砕いて解釈するに、定期的にヘッダへ渡していたお金がそれに該当しそうね」


 オラシオは外交のため、数ヶ月おきにヘルグレーン帝国を訪れていた。

 マティアスがハネス親方を呼び出していた時期とも、それは重なる。


「そのお金で、マティアスは私兵団をつくったのね」

「父が言うには、監査を厳しくしたので、横領されたのは多額ではないそうです」

「だから兵士の質が悪いし、装備も行き渡らないし、雇ったものの給金が払えず、退団が相次いでいるんだわ」


 ウルスラの予想に、ヨアヒムが同意して頷く。

 しかし、オラシオは加えて、個人的にも出資をすると口約束をしていた。

 その後押しのせいで、俄然マティアスは張り切ってしまって――。


「いよいよ、戦になるのではないかと思いました」


 それでファビオラは、急ぎ走ったのだ。

 一日遅れてしまったが、ちゃんと伝えられて安堵する。


「ありがとう、ファビオラさん。おかげでこちらも、万全な状態で迎え撃てるわ」


 ウルスラの笑みは力強かった。

 役に立てたという自負で、ファビオラも誇らしい。

 じわり、と視界が滲みそうになり、ぎゅっと目をつむった。


「ファビオラ嬢、恐ろしい思いをしただろう。それなのに、昨日は力になれず――」


 ヨアヒムに忘れたかった話を持ち出され、ファビオラは慌てて言葉を遮る。

 

「ちょっと、緊張の糸が切れたみたいで……情けなくも、ウルスラさまの部屋に着いた途端、気を失ってしまいました」

「もうファビオラさんは、偵察を止めた方がいいわね。万が一、マティアスに侍女の姿を見られていたら、危険だもの」

 

 報復があるかもしれない、とウルスラは言う。

 ファビオラは素直に受け入れた。

 『朱金の少年少女探偵団』だったら、いくらシャミが無茶をしても、最後にはオーズと仲間たちが助けに来てくれる。

 だが、現実に生きるファビオラは、その法則には当てはまらない。

 昨日の経験で、ファビオラは思い知った。


(ヨアヒムさまは常に、こんな世界に身を置いているのだわ。それは、どれほどの緊張を強いられる日々なのかしら)


 そっとヨアヒムを窺うと、なぜかファビオラよりも顔色が悪かった。

 

「ファビオラ嬢、こんなときだけど、話がしたい。昨日の状況を、説明させて欲しくて――」

「ヨアヒム、せっかくファビオラさんが、急ぎでもたらしてくれた知らせよ。すぐに対策を取るための、会議を開くべきだわ」

「いえ、少しの時間でいいんですが――」

「前代未聞の大捕り物になるのよ。赤公爵たちも呼び出して、今度こそ一網打尽にするわよ!」


 ヨアヒムは襟を掴まれ、ずるずるとウルスラに引きずられていく。

 ファビオラへ手を伸ばしていたが、あえなく扉の向こうへ連れて行かれた。

 医務室に残されたファビオラは、ふう、と肩を落として息をつく。


(対外的なヨアヒムさまの婚約者は、今は私だわ。だから、ああして執務室で人目を忍んで、ソフィさまと逢瀬を重ねていたのね)


 それを知らず、うっかり覗いてしまった。

 ヨアヒムはファビオラに、そうした情報を共有しておこうと思ったのだろう。


(まだ冷静に聞ける自信がない。ウルスラさまが別の話を持ち出してくださって、助かった)

 

 しかし、いつまでも避けては通れない。

 ヨアヒムとソフィの関係を、受け止めなければならない。

 心の中で泣きじゃくっている、朱金色の髪をした少女を、ファビオラは慰めるしかなかった。


 ◇◆◇◆


 その頃、カーサス王国では――。


「今、何と言ったのですか、母上?」

「つい最近、パトリシアから聞いたのよ」


 久しぶりに、母ペネロペの見舞いに訪れたレオナルドは、ファビオラがヨアヒムと婚約したと知らされる。

 

「ファビオラさんは、ヘルグレーン帝国でお仕事をしていたでしょう? その関係で、第二皇子殿下とお知り合いになって、そのまま話がまとまったらしいわ」

 

 ファビオラがカーサス王国に帰ってきたら、その身をかどわかし、あの屋敷に閉じ込めてしまおうとレオナルドは考えていた。

 しかし、ヘルグレーン帝国の第二皇子と婚約したならば、もうファビオラはカーサス王国に戻ってこないかもしれない。


「どうして……」


 茫然自失なレオナルドに、ペネロペはかける言葉が見つからない。

 亡くなったラモナと同じ銀髪を持つファビオラに、執着しているレオナルドの精神は、ペネロペと同じでまだ回復していないのだ。


「レオ、私たちの中に、いつでもラモナはいるわ」


 ファビオラとラモナを、同一視してはいけない。

 そう諭したつもりのペネロペだったが、レオナルドには通じない。


「いませんよ。ラモナは無慈悲にも、神様が連れて行ったじゃないですか」

「レオ……」

「僕が護ってあげないと、ファビオラは早死にするんです。もう失敗は許されません」


 二度目はないのだから、と呟き、レオナルドは離宮を出て行った。

 その不穏な言葉に、動悸を感じてペネロペは胸を押さえた。


「もしかして、すでに、レオも使ったの? 時を巻き戻せる、神様の恩恵を――」


 普段は大人しく温厚なペネロペが、たった一度だけ、号泣しながらダビドを詰ったことがある。


『どうして! どうして使ってしまったのですか! その力は、もっと崇高な目的のために、神様が授けてくれたものでしょう!』


 これから、どれほど恐ろしい災禍がカーサス王国を襲おうとも、ダビドはそれを無かったことにはできない。

 ペネロペが落馬して命を落とした際に、時を巻き戻してしまったからだ。

 神様の御使いの血が流れる一族として、もう民を救えない。

 その罪を償うかのように、ダビドは真面目に政務に取り組んでいる。


 しかし、政略により結ばれたと思っていたダビドが、ペネロペに対して示した愛の深さに、乙女心が歓喜してしまったのも事実だ。

 その一瞬は、ペネロペは自分が王妃であることを忘れた。


「私は……レオを責められない」


 ペネロペの言葉は、澱みを含んでいた。