第2章「流転する日常は変わらずに人を取り残し続ける」②

1つ、人生に夢を見よう。

1つ、人生に目的を持とう。

1つ、目的を絶対に忘れない。

1つ、意思疎通を大事にしよう。

1つ、隠し事はしないようにしよう。

1つ、理解できないなんてそんなことはない。

1つ、メリハリは大事に。

1つ、思考停止はしてはいけない。

1つ、共に居られるよう努力しよう。


これはとある少年の心層である。


2003/05/19

山浪高校 1年C組教室 12:30


昼休み。新婚ほやほやが溢れる教室ではあーんっ、なんて甘い、いや、甘ったるい行動が取り交わされている。とても気分が悪い。人の幸福を呪う性質ではないのだが、いかんせんここまで見せ付けられると多少イラつくもので。がたっと、四限が終わって五分。食べかけの弁当を片付ける。

「あれ、在香食べないの?」

首をかしげるは現伴侶もどき、浅葱。浅葱はそもそもご飯を食べる必要がないのだが、どういうことか生クリームたっぷり苺のコッペパンなんかを頬張っている。

(これで、年上なのよね……)

そう、年上だ。あれからお互いそれとなく形だけでも一緒に住んでみるか、なんてことになって同居生活一日目に打ち明けられた。それは浅葱が二浪しているという事実。高校の受験で二浪……とか一瞬思ったが、まあ、それは彼なりの深い事情があるのだろうとあまり踏み込みはしなかった。そんなことを思い浮かべつつ、この教室から出て行く理由を述べる。

「バカップルどもがうざい」

そんな相手に小声で告げれば、弁当を片手に立ち上がる。

「え、俺たちもバカップルする?」

「しない」

首をかしげる浅葱を一睨みしてから教室を出る。一瞬、浅葱がさびしそうな顔をしたのが見えた気がした。が、私はそれに気づかず……もしかしたら気付かないフリをして、歩き去っていく。

行くところは検討してないが、概ね、体育倉庫裏なんかは比較的静かだろう。何故かというと、体育館倉庫裏はゴミを燃やす施設となっているので、あんなところでご飯を食べようなんて酔狂はいないはず……だ。よし、と意気込み体育館倉庫裏に向かう。数分、予想通りにそこには人がいず。また、静かだ。少し生臭いが、そこは我慢。煤のついたコンクリートの上を手でぱっぱっと払い、腰掛ける。途端。

「ひっ」

ぴりりりり、女子高生らしくもない携帯の着信音が響き渡る。この場には私しかいないので、私の携帯電話で間違いないのだが。

「誰だ?」

一人で呟きながら携帯のディスプレイを見れば、新鹿の文字。はあ、とため息をつく。電話の相手はわかった、からこそ出たくない。出ないといけないのだが。心を決めて諦め半分、通話ボタンを押す。

「は―――」

「こんにちはぁ、志藤チャン」

こっちがしゃべる暇すら与えないハスキーボイス。そして、神経を逆撫でする語尾、完璧に新鹿という私のアルバイト先の上司であった。

「お久しぶりです、新鹿さ」

「お久しぶりぃ、元気してたぁ?」

「はい、あと人の話は遮らないでください」

これは言わなければいけないと思い、遮らないで、をかなり強調して刺々しく言葉を発する。言わなければ完璧相手のペースだ。痛くなるこめかみを押さえながら、電話を首と肩ではさみ、弁当を広げる。

「もお、それぐらいいじゃない」

そんなことそれぐらい、この人の口癖だ。本当に適当な人である。そして、そんな適当な人の名前は新鹿あたしか けい。上級機関、対策課の人間でことあるごとに私に声をかけてくる人間だ。姿は規定試験のとき見たのだが、とても小綺麗というか、女として悔しくなるのでできれば隣を歩くのは避けたい、そんな人物。

「で、なんですか?また、碌でもないことですか」

箸でトマトを口の中に放り込めば、ぐちっとわざと音を立てて噛み砕く。こんな、いたいけな子供を危険な事件に巻き込む大人にはこの対応で十分だ。だが、そんな嫌がらせは通じないのか暢気に相手はしゃべりだす。

「やあ、もう。碌でもないなんてことはないわよぉ。ちょっと面倒なだけ」

語尾にハートがつきそうなしゃべり方にうんざりとしながら耳を傾ける。

「志藤チャン、山浪高校よね」

「?そうですけど」

そんなのは規定値検査のときにこれからの進路なども聞かれたので答えたはずだ。いつもいろいろ先回りしているこの人らしくもない質問に心のどこかが電話を切れと囁く。

「山浪高校で、先月初めにあった事件覚えてるかしらあ」

事件、と思い返す。そういえば、先月初めに、女生徒の自殺があったなんて耳にしたかもしれない。そして、この話の振られ方。その事件になにかあるといわんばかりだ。

「新鹿さんのところ、自殺は専門じゃないですよね」

私の中の幸せを込めて全力投球と言わんばかりにため息をつけば、幸せが逃げるわよぉなんて声が聞こえる。誰のせいだ。が、それはそれと話を勝手に新鹿は軌道修正する。

「そうなのよぉ、でも、ちょっと引っかかって……捜査本部、まだ解散してないのよ」

目の前が眩む。仕組まれていたのかなぁ、なんて泣きそうになる。主に自分の運のなさに。こんなのじゃ、あっちの組織で正式に働いているのと一緒だ、高校卒業するまでは火急でも緊急でもない限り働く気もない。のに、入学早々こんなんじゃ先が思いやられる。

「自殺って公表しておいてですか?というか、それ私に言ってもいいんですか」

卵焼きをくっちゃくっちゃ苛立ってますよ、というのを表しながら噛み砕く。自棄を起こして電話を叩き割らないだけまだ、褒めてもらいたいぐらいだ。

「あらやだぁ、志藤チャンだからこそよぉ……未来の頼れるお役人さん」

背筋がゾワリ、と鳥肌を立てる。ぱきっ、と携帯が悲鳴を上げるほど圧をかけずにはいられない。相変わらず人の神経を逆撫でするのがうまい人だ。もうここまでいくなら褒めてもいいぐらいに。

「なる、とは言ってませんが」

「なるわよぉ、志藤チャン。あんな判定叩き出しておいて、ならないなんてないわあ…初任給いくらの予定か知ってる?」

何気にそれはちょっと気になる情報だったりする。

「知ってたら怖いですね」

「怖いわねえ、ちなみに、80万は軽く行くそうよぉ。上も優秀な人材確保のために必死で」

とても魅力的な数字ではあった。が、だ。今は生憎とお金に困ってないし、緊急でも火急でもない。だが。

「……考慮はします、じゃあ、用件はそれだけですね」

また、といって都合のいいことだけ聞いて切ろうとすると、待って待って!なんて聞こえてくる。逸らしきれなかったことに心の中で舌打ちをしつつ、なんですかと不満げに携帯に声をかける。

「志藤チャン、15万で雇われない?」

「……内容にもよりますが」

なるべくして話の方向性が戻され、ここからは仕事とは言わないがまあ、軽いアルバイトのお話になった。そう、軽いアルバイトだ。本職じゃない。心の中で言い聞かせながら、ポケットからメモ帳とボールペンを取り出す。

「山浪高校のスクールカウンセラーに接触してほしいのよぉ」

「スクールカウンセラー、ですか」

スクールカウンセラー、昨今いじめ問題なんかで急に学校に配備されるようになった人間で。ようは、多感な思春期の年頃のかたがたの相談員となる方だ。自殺する前に何か相談があったか、なんてことだろうか。メモ帳に断片的に記録する。

「そうそう。麻布あざぶ 早貴はやたかという人よ」

「お話、だけでしょうか」

それで15万なら安い、それなら乗る。だが、この人がそんなことのために電話してくるとは思えない。

「とりあえずは、ね……だけど、気をつけて」

「スクールカウンセラー相手に何を気をつけるんですか、いづっ」

ペンを回しながら、空を見上げようとすれば頭をガツンッ!とぶつける。いや、普通ならそんなことにはならない、だって、後ろに壁なんてないのだから。つまり、普通じゃないことが起こったのだ。正しくは目の前で起こっているということにしたほうがいいのだろう。現在進行形だ。

「ちょ、どうしたのぉ」

電話の向こうから心配するような声が聞こえてくる。いや、もうそれどころじゃない。

「な」

なんでここに居るの、という疑問が言葉にならず喉につかえる。

(聞かれた……)

顎を持ち上げられ上を向かせられる、むかつくぐらいのに綺麗に象られた笑み。いつから後ろにいたかもわからなかった、気配がわからなかった。自慢ではないが私は新鹿のおかげで何回も死線を潜り抜けてきている、だから、気配に気づかないことなんてめったにない。なのに、気づかなかった。その事実に二つ目のショックを受けながら震える声をあげる。

「……盗み聞きなんて、趣味が悪いよ。浅葱」

口元に浮かべる笑みは恐らく引きつってるであろう、唇は震えているであろう。だけど取り繕うのも忘れるぐらいに頭が混乱している。

「在香こそ、隠し事は俺悲しいんだけど、なんか、危ない話っぽかったし」

言葉に思わず反論が口からころっと出そうになる。

(あんただって……隠し事あるじゃない)

だが、その様々な思っても口に出されない本音が頭を埋める。固定されて動けない、見た目ではあまりわからないが、それなりについている筋力にこの状況は一種の恐怖を感じさせる。そもそもこういうときは一体どういう対応が正解なのであろう。頭にあたるベルトの金属がいたい、これに頭をぶつけたのかなんて思いながら携帯をぶちぎる。すると存外にもあっさりと手を離してくれた浅葱は私の目の前、ゴミ処理場入り口金網に寄りかかる。はっとしてぱぱっとメモ帳を片付け、にらみ合いが続く。浅葱の表情がぜんぜん読めない。笑みを浮かべているのは変わりない、でも、どこか影があるような。要約するなら怖いですむのだが、それではすまない色々なものが渦巻いている。そして、そんな無言に私はぽつぽつと言葉を零す。人付き合いが決して得意なほうではない私はそれ以外に手段を持ち合わせていなかった。

「電話はあれ、アルバイトのお誘いみたいなものだよ」

「うん」

相槌は打ってくれる。何が言いたいのだ、何を求めているのだ。頭の中が混乱する。

「電話の相手は新鹿 圭って言ってさ……羽振りのいいお仕事を回してくれるの。あ、水仕事とかじゃないよ?決して」

「そうだね」

本当のことしか言ってないのに攻められている気分になる。口が渇く、詰問されているわけでもないのに。スカートの裾を握り締める手が汗ばむ。わからないことは怖いこと、よく聞く言葉だが、まさにそれだ。分からない、のが怖い。いや、一番怖いのにはホントウが分からない相手だからだろう。本当の感情、本当の気持ち、本当の目的。下手したら素性すら嘘かもしれない、この人の本当。ぐるぐるしていると、はあ、とため息をついて浅葱が頭を掻きながら口を開いた。

「在香さ、俺のこと嫌い?」

唐突に求められる回答。なんじゃ、そりゃ。

「嫌いじゃないけど」

好きでもない。いや、まず好きになるには時間が短すぎる。まだ、何も知らない。

「じゃあ、信頼できない?」

探るような言葉。きっとそれはYESとしか答えられない。だって、まだ、何も知らない。何も知らないから、なんとも応えられない。だけど、嘘をついたらまた追い詰められる気がして。

「ごめん」

はい、というのが後ろめたくて、謝罪の言葉が漏れた。ずるい、自分の狡猾な一面が浮き彫りに出る。

「別にいいよ、うん」

浅葱が困ったように何かいいたげに眉毛を下げる。そして何かを言おうとしては口を閉じ、それを繰り返す。何とも言えない時間の中、予鈴のチャイムが鳴り響く。その状況に占めたと言わんばかりに、あわてて弁当を片付けて、浅葱をほうって走り出す。

(何が言いたいのさっ)

罪悪感はだんだん怒りに変わっていく。理不尽だが、しょうがない。人間そういうものだ。しばらく走り、理科実験準備室の窓が開いているのを見つければそこに飛び入る。授業なんて受けていられない、というより浅葱が戻るであろう教室なんて気まずすぎてもどれやしない。段々相手への理不尽な怒りが募っていく。だけど、それを理不尽だと判断できる自分がいるわけで、それはぶつけどころのない怒り、という形になってしまう。

「は……もうっ……」

口を結び、自分が財布などの最低限のものを身につけているのを確認し、弁当を薬剤なんかがしまってある棚へそっと隠す。今日はもう学校なんかにいる気分じゃない。入ってきた窓から再度脱出し、今度は学校の壁をハードルのごとく飛び越え、きれいに着地する。

「私たちは知らないモノ同士、なんだよ」

学校の教室を一睨み、全速力で在香は駆け出した。このぶつけどころのない怒りをどうしよう、だが、今更戻るなんてありえない、だけど。感情がぐるぐると巡り、擬似的な袋小路を作る。ぐるぐる、ぐるぐると感情の迷路を彷徨い続ける、ただそれをふっきりたくて私は走り続けた。