第29話

「早くしろォ!! 」

「薬はまだ来ないのか!?」

「うわああ! こっちに来るなぁああ!」

「グオオオォ!」


人々の波が押し寄せる。喧騒が鼓膜を破壊しそうで嫌になる。

(あーあ。とんでもないことになってやがる)

呼ばれて会場に出た瞬間視界に入ったのは、まさしく惨劇と言えるものだった。頑丈な造りであるはずの建物は壊され、高い調度品やカーテンなどの布類はガラクタになり果てていた。転がる客は全員お高そうな衣服や、趣味の悪いアクセサリー類をその身に纏って無様に転がり落ちている。嘲笑ってやりたいほど間抜けな姿をしているものの、現状は笑えるほど安全とは言い難い状況だった。

(まずはお嬢に報せに行くべきか。……いや)

このまま放置して、行く末を報告した方がよさそうだな。

そもそも、自分はこの店の監視を任されているだけであって、この店がどうなろうと正直どうでもいい。お嬢様は多少気にかけていたようだが、その理由はわかり切っている。


「うわああ! 助けてくれぇええ!!」

「ヒッ! こっち来るな!」

「……ここも潮時だな」


カチリと煙草に火を付けて、呟く。

視界で店の男たちをぶん投げては咆哮を上げているのは、黒金獅子だ。裏で捕まっているものよりも一回りも二回りもでかく、歴戦の傷すら威厳にしている。歳を取っているのが目に見えてわかることから……恐らく母親、といったところだろうか。

(捕まえてきた時も思ったが、随分面倒くさいものに手を出しやがったな)

黒金獅子の子離れしていない母親の気性の荒さは有名だろうに。フーと煙を吐いて、惨劇を見つめる。やはり、この店は切っておいた方が後々の為になりそうだ。


――この店は表は単なる貴族御用達のブランド店を装っているが、その実、希望者には奴隷を売るという、闇商売を行っている。

店の店主にとあるものを頼むと奥に通され、路地をいくつか曲がっていけば、奴隷が買える会場へと辿り着くという仕組みだ。よくもまあ、バレずにやっているなと思っていたが、なるほど。金と権力の力が働いているらしい。

どさりと一人の女が目の前に落ちて来る。綺麗な装飾品で体を着飾り、いくらするかもわからないドレスで身を包んでいる。まあそれも、この騒動で見る影もなくなっているが。

(名前は確か……いや、わかんねェな)

出てこない名前にため息を吐きながら、後頭部を掻く。お嬢様に使える身としては覚えていないといけないことは重々承知しているが、なんせ生まれも育ちも一般家庭の更に下だ。礼儀の〝れ〟の字すら知ったことではない。


「あ、あなたッ! 何見てるのよ!?」

「あ?」

「助けなさいよッ! 私を誰だと思っているのッ!?」

「誰、か」


――知らないな、そんなこと。

女の前にしゃがみ込む。乱雑に顔を掴んでよくよく見てみるが、やはり見覚えはない。少なくとも、お嬢様が懇意にしている奴らの中にこんな不細工は紛れていなかったはずだ。怒声を上げながら手を振り払う女は、ギャーギャーと喚いていたがどうでもいい。

フーっと顔に煙草の煙を吹きかける。咳き込む女を嘲笑えば、手首に腕輪がされているのに気が付いた。この店のルールとして、奴隷を購入した者は、その奴隷の番号を記した腕輪を付けることになっている。

番号は一五六四番。つまり、一五六四番の奴隷を買った張本人だということだ。

(一五六四番っていったら、死んだ人魚の肉じゃなかったか?)

そういや、人魚って食べたら不老不死になるとか、一生衰えない美をもらえるとか、そんな話ばっかりだった気がする。――まあ、そんなわけないってことは、普通に生きていればわかることだが。この女は自分たちとは違うのだろう。金持ちは異常者が多くて困る。


「まったく……反吐が出るな」

「なッ……!」


女が声を上げようとした瞬間、再び起きる轟音。

それは先ほどの地響きの非にならないほど大きく、鼓膜が吹き飛びかけた。慌てて耳を抑え、遮ったからよかったものの、そうでなかったら足元で伸びている女と同じことになっていただろう。煩いのがいなくなってせいせいしたと思う反面、周囲の異様な雰囲気に呑まれないように息を吐く。さっきまで惨劇を繰り広げていた者たちが、一斉に振り返ってこちらを見ている。――否。自分の後ろを見ていた。

びりびりと感じる威圧。紛れもない、強者の圧力に、自分も振り返らざるを得なかった。


(……誰だ)

砂埃の向こうに大きな影が見える。四足歩行で、鞭のような尾を揺らしている存在はきっと黒金獅子だろう。そんなの一目でわかる。

わからないのは――その足元にいる小さい方だ。

グルルル、と甘えるように喉を鳴らす声が聞こえる。砂埃が僅かに晴れていくのと同時に、そのが見えてきた。


「よーしよし。いい子だな、お前」

「な……ッ!」

「お。また会ったな。幸薄男」


ひらりと手を振るのは、先ほどまで牢屋にいたはずの男だった。




「皆さん、こっちです!」


レムの声に、全員が走り出す。一緒の牢にいた女性たちが子供たちと先陣を切り、その後ろを捕まっていた鳥や奇妙な動物、時には魔物たちまでが追いかけていく。もちろん、追われているのではない。一緒に逃げているのだ。

(カオスすぎる……!)

アリアは目の前に広がる光景に、つい頬を引き攣らせてしまった。


こうなったのは、紛れもない師匠――サイモンのせいだった。

脱出をすると告げた彼は、子供たちの枷を外すといとも簡単に檻の鉄格子を吹き飛ばした。ガシャァン! と派手な音が響いたが、男たちは一切来る気配がない。それどころか、周囲の騒ぎに動揺していた動物たちまでもが一瞬動きを止め、檻から出るサイモンをじっと見つめていた。まるで、絶対的王者を目にしたかのような感覚に、アリア自身も目が離せなかった。


「聞け! お前たち!」


サイモンの声が室内に響く。ビリビリと背中を震わせる声に、本能が動くなと命じた気がした。

彼は部屋の中心にある見張り台に土足で上がると、室内を仰ぎ見る。上にいる者たちの意識がサイモンに集中しているのがわかる。きっと彼等は自分が見下げているはずなのに、彼を見上げているような、そんな感覚だったと、アリアは思った。それほどまでに、サイモンの存在感は絶対的であった。


「俺たちはこれからここを脱出する。着いて来たい奴だけついてこい! だが、二つ。約束をしろ。それが助けてやる条件だ」

「やく、そく……?」

「一つ、自分の身は自分で守れ。一つ、仲間を絶対に裏切るな。一つ、仲間がピンチになったら迷わず助けろ。怪我をしてもいいが、絶対に死ぬなよ。安心しろ。――俺が全部、治してやる」


パチンっとサイモンの指が、弾く。


「〝アーネモス〟」


瞬間、強風と共にすべての檻の鉄格子が吹き飛んだ。


(おとぎ話にも出てこないよ、こんなの……)

アリアは予想以上に大所帯になった逃走者たちに、ため息を吐いた。アリアがサイモンから命じられたのは、案内役の護衛。案内役はもちろん、レムを中心とした女性と子供たちだった。とはいえ、上の騒ぎにほとんどの人間が出払っているこの状況で、護衛などほとんど役に立たないのではないかとアリアは思っている。それに、アリアよりも数倍強い魔物だっているのだ。いっそのこと気まずさすら感じて来る。


「はあっ、はあっ……! ど、どっち……!?」


レムの足が止まる。きょろきょろと周囲を見回す彼女。そんな彼女に一羽の青い鳥が「こっちだ」と言わんばかりに鳴いた。アリアとレムは顔を合わせ、彼の示す方へと足を向ける。

走りながら、アリアはサイモンと交わした約束を思い出す。


一つ、自分の身は自分で守れ。

一つ、仲間を絶対に裏切るな。

一つ、仲間がピンチになったら迷わず助けろ。怪我をしてもいいが、絶対に死ぬな。


……その前提に、一体何の意味があるのかと思っていたが、どうやら効果は絶大だったらしい。

仲が悪いと書物で読んでいた魔物たちが、息を合わせて人攫いたちを薙ぎ倒していく。敵が疎らとはいえ、その連携は微塵も揺らがないのが見てわかる。彼等は本気で逃げるために、自分たちと走っているのだ。――疑う者など、誰もいない。

サイモンが交わした約束は、謂わば〝契〟のようなものだと言っていた。約束を破らせない為。破った者を放置しない為。サイモンは全員にその〝契〟を掛けたのだ。その証拠にアリアの手の甲には不思議な文様が付いていた。レムの首にも、子供たちの手足、先ほどの鳥の腹にも、それらは描かれている。

(本当に、すごい)


〝契〟といえば、高度な魔法契約だと魔導書には書かれていた。

大前提として、上級魔法使いの資格を持っており、互いの同意があった上で誓いを交わし、行われるもの。通常であれば一人につき、多くても三人までが限度とされている。何でも、契約効果を続けるために必要な魔力を常に吸い取られるからだそう。

やり方は単純だったが、契約時にもかなりの魔力量を消費すると書いてあった。そのため、本来は専用の部屋で魔力を補給しながら行うものだとも。……それを『魔力供給なし』、『両手足の指分以上の数との同時契約』、『誓いの省略』だなんて、正直情報量が多すぎて理解が出来ない。

(サイモンさんを見てると、魔導書が絵本に見えてくるのはなんでだろ……)

さっきの風の簡易魔法〝アーネ・モス〟だって、自分じゃそよ風程度しか吹かせられないのに、サイモンは鉄格子を吹き飛ばした。あれが簡易魔法の通常の威力だというのなら、反逆を起こさない先人の魔法使いたちは心が恐ろしく広い存在でないとおかしい。

(……サイモンさんって、昔何かしてたのかな)

旅以外の、特別なこととか。


「止まって!」

「!」


レムの声にはっとしてアリアは足を止める。目の前に立ちはだかるのは、分厚そうな壁だった。


「はぁ……はぁっ……いき、どまり……っ」


切れる息を繰り返し、アリアは呟く。空を仰ぐ。さっき道を教えてくれた青い鳥が仲間たちと一緒にぐるぐると回転している。まるで混乱しているかのようだ。後ろでは狼のような獣が地面に鼻を擦り付けて何かを探している。子供たちも周囲の壁や地面に手を付けて、おかしい所がないか探し回っている。自分だけが集中していなかったのだと思うと、みんなに申し訳なくなってくる。

――嗚呼、そうだ。今はそんなこと考えている場合じゃない。今はみんなと逃げることに集中しなければ。

大きく息を吐き出し、自らの頬を叩く。いい音が響き、何人かが振り返ったが、アリアは気にせず気合を入れ直す。今は仲間の為に、自分が出来ることをしなければ。そう思うアリアの頭の中には、サイモンから言われた言葉が残っていた。


『恐らく、この施設は魔法で隠されている。俺たちは街中の路地を通って来たと思っていたが、それはきっとフェイクだ。場所がバレないようにしているんだろう。相手が人間なのか、それとも魔法を込められた道具なのかはわからないが、十分注意しろ』


(そう言われていたのに)

知っていたのはきっと自分だけだった。そしてサイモンは〝アリアだから〟教えてくれたはず。その自分がしっかりしなくて、どうする。


「みなさん! 手がかりを見つけたら、すぐに私に教えてください! 私が活路を開きます!」


アリアがそう叫ぶと、その場にいた全員がそれぞれの返事を口にした。

圧し掛かる緊張感と重圧に、アリアは笑う。

(ああ、やっぱりサイモンさんは、すごい)

みんなの視線が集まっただけで、自分はこんなに足が震えてしまうのに。


自分の師匠は、やっぱりすごい人だったのだとアリアは再確認した。