第31話

「陛下、倒れていた人たちが、大広間に続々と運び込まれてきました」

「ベロニカ、ラミロが連れてきた医師たちを、大広間に案内したぞ」

 エンリケとルーベンの報告を聞き、ベロニカは大広間へ向かう。

 大広間では簡易的に敷かれた毛布の上に、苦しそうに咳き込む者たちが横たえられていた。

 中にはうまく呼吸が出来ず、顔を真っ赤にしている者もいる。

 急がなくてはならない。

 ベロニカは、大広間にいる医師たち全員に聞こえるよう、声を張った。

「解毒薬はたくさん用意してあります。症状のひどい人から順に、投与をお願いします。また、この毒は風に乗って撒かれました。患者の髪や服には、まだ毒が付着しています。可能な限り、これを拭ってあげてください」

 これは先ほど、侍医からベロニカが注意を受けた内容だった。

 カイザが書きつけた文を見て、ベロニカたちの髪や服を、叩いたほうがいいと教えてくれたのだ。

 服を着替えている暇はなかったので、ベロニカは出来るだけセベリノに全身を叩いてもらった。

 そして濡らした布でベロニカが髪の表面を拭うと、布が黄色に染まったので、間違いなく瓶の中身と同じ毒だと分かった。

 サルセド公爵の見境のない所業に、ベロニカの布を持つ手は怒りで震えた。

 ベロニカが改めて大広間を見渡すと、医師と看護師が手分けして、患者を診ているのが分かる。

 薬を投与されて、症状が落ち着いてきた者もいた。

 しかし、その中にティトがいないと気がつく。

 胸騒ぎと共に、何度も大広間を行き来するが、やはりいない。

 ティトとベロニカが密会していた場所は、出来るだけ人目につかない、庭園の中でも隠れた場所だった。

 もしかしたら、兵の捜索から見逃されてしまったのではないか。

 血の気が引く思いがしながら、ベロニカはセベリノを振り返る。

「ティトがいないわ。もしかしたら、まだ庭園にいるのかも」

「あの駄犬が気になりますか?」

「死んでもらいたくはないわ」

「分かりました」

 セベリノはそれだけ言うと、庭園へ駆けて行った。

 少しでもベロニカの側を離れたくないセベリノにとって、早く行って早く帰ってくることが、最適解だと思ったのだろう。

 ベロニカは、セベリノの戻りを、ハラハラしながら待つしかなかった。

 ◇◆◇

 ティトは、庭園で倒れていたのをセベリノに発見されて、大広間ではなく王立病院へ運ばれた。

 解毒薬を飲ませるだけでは、回復が見込めないほど、毒を吸い込んでしまっていたのだ。

 長く呼吸が出来なかったせいで、後遺症が出るかもしれないと言われ、ベロニカは頭が真っ白になる。

「命が助かるだけでも、良かったと思うしかない。あいつも、サルセド公爵を裏切ると決めた段階で、こうなる可能性を考慮しなかった訳ではないだろう」

 ルーベンが、ベロニカの責任ではないと、気落ちしているのを慰めてくれる。

 確かにベロニカも、いつまでも、うなだれてはいられない。

 カイザがナイフを投げたと言った風上の塔では、壺に半分ほど残った毒の粉と共に、不審者が死んでいた。

 死因はカイザのナイフではなく、ナイフにより顔を覆う布が剥がされ、毒の粉を吸い込んだせいだった。

 撒き散らされた毒の粉を、思い切り吸い込んでしまったのか、もがき苦しんで死んだ跡が残っていた。

 そして、不審者とサルセド公爵との繋がりは、どこにも残されていなかった。

「だが、この毒の粉を売っている怪しい商会の経営者が、サルセド公爵と繋がりのある新参貴族で、サルセド公爵家に頻繁に出入りしているのは証拠になる。サルセド公爵を、かつてないほど追い詰めているのは、間違いない」

 力強いルーベンの言葉に、ベロニカは励まされた。

 ぐっとこぶしを握り、決意を表明する。

「これだけ無関係な被害者を出しておいて、わずかたりとも心を痛めない者が、為政者として人の上に立つなんてありえないわ。私は絶対に……叔父さまに王位を渡さない」

「そうだ、その意気だ。幸い、カイザが投げたナイフのおかげで、毒の粉は半分しか撒かれなかった。相手の計画を阻止したんだ。きっと今頃、慌てているだろう」

 対応が早かったこともあり、ティト以外の患者は、しばらく休めば回復していった。

 それも撒かれた毒が、半分だったせいだろう。

 全てが撒かれていたらと思うと、ぞっとする。

「早々に、叔父さまには退場してもらわないと。これ以上の被害を出さないために」

「俺が言うのもおかしいが、王族同士の争いは、国にとっても民にとっても、利にならない。だからベロニカの判断は正しい」

 ルーベンがベロニカの頭を撫でる。

 頭を撫でられるなんて、いつぶりだろうか。

 犠牲者を出してしまったことで、少しだけ弱音を吐きたいと思った心が、温もりに包まれていく。

(まだ、弱音を吐くには早いわ。今は闘志を燃やすときよ)

 強硬手段に出てきたサルセド公爵との戦いに、敗けるわけにはいかないのだ。

 強い女王として、ベルニカは立ち続けなくてはならない。

 隣ではルーベンが王配として支えてくれるはずだ。

 宰相のエンリケも、秘書官のラミロも、専属騎士のセベリノも、今のところ無事で、ベロニカの味方だ。

(ティトだけが……無事ではないけれど)

 ベロニカのために、サルセド公爵家から危険を犯して毒の粉を持ち出してくれた。

 手元に物的証拠があるのは、ティトのおかげだ。

 過去では、サルセド公爵に命じられたティトに、初心なベロニカは心を弄ばれた。

 ずっとその印象が強くて、ティトを敬遠していたベロニカだったが、二度目の人生のティトは、過去とは違っていた。

 なぜかベロニカに尽くしたがり、側にいたいと、言葉でも態度でも示していた。

 言い方はおかしいが、セベリノが犬と表現したのが、的確だったかもしれない。

 ティトが害にならないことは、ティト自身が体を張って証明してくれている。

 これ以上、ティトを遠ざけるのは、違うのではないかと、ベロニカは思い始めた。

 ティトの忠義に、報いなければならない。

「まずは、毒の粉を売っていた新参貴族を捕えるわ。少々強引にでも家宅捜索をして、もう叔父さまの手に、毒の粉が渡らないようにしないと」

「今回の事件で、かなりの量を使用しただろうから、今後の供給を止めるのはいい考えだ。さらに運が良ければ、家宅捜査でサルセド公爵との繋がりを、発見できるかもしれない」

 ベロニカはルーベンの言に頷く。

 過去では、騙され、弄ばれ、王位を奪われて、怨霊になってまで復讐をしたいと願ったベロニカだったが、今は純粋に、平気で民を傷つけるサルセド公爵が許せなかった。

 絶対にこの手で叩き潰す、とベロニカは自分を奮い立たせるのだった。

 ◇◆◇

 王城の庭園に散布された毒の粉の提供源として、新参貴族が摘発された話題は、すぐに国中に広まった。

 無差別にばら撒かれた悪意の先に、まだ若い女王がいたことが、民を震撼させる。

 しかし、勇敢にそれを助けた専属騎士セベリノと、ルーベンの側近カイザの活躍が明らかになり、ふたりの人気が急上昇した。

 セベリノは相変わらずの無表情だったが、カイザは困ったような嬉しいような、どっちつかずの顔をしていた。

「殿下の暗器として顔が知られるのは困るけど、女の子たちにきゃあきゃあ言われるのは嬉しいし、僕どうしたらいいんですかね?」

「……好きにしろ」

 仲良し主従の会話は、今日も自由だった。

 捜査の結果、捕らえられた新参貴族は商会を隠れ蓑にして、毒の粉以外にも法律で売買が制限されている品を、数多く取り扱っていたと分かる。

 取り引き相手からの受領書が残っており、現在その内容を検めているところだ。

 ラミロが名簿として提出していた、繋がりのある新参貴族たちの名前が次々に出てきて、そちらにも摘発の手が伸びている。

 だが、サルセド公爵の名前が出てこない。

「地位のあるサルセド公爵に気を遣って、偽名で記入していたんだろう」

 ルーベンが吐き捨てるように言った。

 このまま、暗礁に乗り上げてしまうのか。

 ベロニカの顔に焦燥が浮かぶ。

 そこへ、エンリケが違う意味での朗報を持ってきた。